開戦
今回は折敷畑の戦いを描きました。
瀬戸の波 -開戦-
梅が咲き始める季節、吉田郡山城の城下も桃色に染まり、続々と城内に入ってくる武士達をその甘い匂いで出迎えた。武士達はそんな歓迎を気にする様子もなく、全員が全員、覚悟を決めた強張った顔で門をくぐる。途中口々に言葉を交わす時でさえ、春には合わない怖い表情をしている。そして大広間に詰めながら坐り、自分たちの主達の登場を待った。静まった部屋の上座に近い襖が開き、毛利元就と嫡男隆元が入ってきた。家臣団は平伏、二人の着座を待つ。元就は最上座に、隆元は家臣団の先頭に坐り元就を向く。元就は彼らを見回し、口を開いた。
「面を上げよ。む、これほど多いとはな」
「父上、我々は全員挙兵を望む者達です」
家臣団は皆、元就をじっと見つめ、自分たちの覚悟の強さを伝えた。
「お主たちの思いはわかった。だが、気持ちで勝てるほどやさしい相手ではない。もう少しは準備をしてだな…」
「父上、そのようなことを言っていてはこの機会を逃します!陶晴賢めは忠臣江良房栄を殺し、大内家内の信頼を失っております。さらに未だ石見での戦いは終わっておらず、晴賢は三本松城に釘付けになっております。今こそ絶好の機会!父上、ご決断を!」
「待て待て。たしかに今が絶好の機会かもしれない。しかしそれでも、我が勢力と陶の勢力には格段の差があり、山口に残っている部隊にすら負けるかもしれぬぞ。そのことが分かっているのか!」
「…父上、四年前父上が晴賢に従うと決められた時、我々はどれほど悔しき思いをしたか。毛利家をあれほど親しくしていただいた義隆様の仇すらとれぬ我らの不甲斐無さを嘆いたものでございます。しかし、この四年間、より領土を拡大し、より結束を強めた我々が、逆賊ごときに負けるはずがありませぬ!戦いは兵の数で決まるものではありません!」
そうだ!、と後ろで呼応する声が聞こえる。それでも元就は返事せず、瞼を閉じ悩んでいる様子だった。不意に後ろの方の襖が開く。
「我らも賛成であります、元就様」
と、慎重派の代表格で、四年前も元就を全面的に支持した児玉就忠が、隆元の隣に座り言った。
「就忠…」
「元就様、確かに毛利家はまだまだ陶家には実力で劣っており、大内家に勝てる見込みは低いです。しかし我々慎重派は開戦に賛成いたしました」。
「…なぜだ?」
「実は、つい先ほど、ある知らせが飛び込んできました」
「ほう!?」
「陶晴賢が我々と疎遠な領主に対して、頻繁に連絡を取り合っていると」
「なに!」
隆元の怒りの感情も混じる驚愕の声が広間に響く。隆元の後ろでも、「晴賢、許すまじ」と、怒号が聞こえる。元就は就忠に問いただす。
「本当か!?」
「本当にございます、元就様。お知らせするのが遅く、申し訳ございませんでした。失礼ながら、先に議論した我らはこのままでは“じり貧”であると判断し、このまま屈するよりかは心行くまで反抗してみようでは、と考えた次第にございます」
「父上、時は来ました。ご決断を!」
元就は考える。考える。そして、決断を下した。
「我らは今から義隆殿の仇を討つ!就忠、お主達はやけくその様に決めたようだが、この元就、負ける気で戦いを始めたことなど一度もない。必ずや晴賢の首を義隆殿の墓前に供えようぞ!」
おお!と隆元たちは口をそろえて答える。この危機に立たされた毛利家は、かつてないほどに一致団結した。
〈元就自室〉
元就の決断の後、正式に合議を開き開戦を決めた。元就は陶家に宣戦布告の書状を送りつける使者をその日のうちに派遣する。そしてその夜、元就の自室に主な重臣たちが集まっていた。夜空にはもうすぐ満月になる月が雲の衣をかぶり、地平線に消えた太陽を見送っていた。
「隆元、ようやってくれたな」
元就に皮肉ではなく素直に褒められた隆元は恥ずかしそうに頭をかいていた。
「私は父上の言われたとおりにやっただけで、大したことは…」
「いやいや、お前があそこまで演技達者とは知らなんだ。…ともあれ、これで勝てるのぉ」
嬉しそうに髭をなでる元就と、満足げな隆元。もうお気づきかと思うが、これは立派な作戦の一つである。慎重派の元就と主戦派の隆元が対立することで(見せかけだが)家中を二分さる。二分さるというのは一見、失策の様に見えるが、別の言い方をすれば、この二つの意見以外を出させないようにしたということである(例えば尼子家に鞍替えするとか)。さらに隆元が主戦派をまとめ上げることで、勝手な行動を防ぐ。最後には元就が押し切られる形で(慎重派は前々から元就の意向を知っていた)、家中の意見をまとめ上げた。これはひとえに隆元の人望がなせる技であった。
「はい。家中の全員が打倒晴賢で団結しました」
「…しかし父上、団結したのはいいのですが、結局のところ晴賢を打ち破ることが重要です」
まるで隆元の活躍を軽く見るような言い方で、三男の小早川隆景は意見した。隆元はそんな弟の顔を小憎しく横目で睨んだ。
「石見の吉見殿が踏ん張ってくれておる。その隙に安芸を完全に治め、大内家内の反発分子と手を組めば問題なかろう。大丈夫じゃ」
「はぁ…」
今一つ、合点がいかない表情の隆景を咎めるように、今度は次男の吉川元春が話しかけた。
「またお前は考えすぎよって。お前も今では小早川家の当主なのだぞ。いつまでも弱気なのは困る」
「私は“慎重”なだけです。兄上が強気すぎるだけです」
「なんじゃ、人が心配しているというのに。そんな薄っぺらい顔をしているから、考えも薄っぺらいのじゃ」
「ふん、それならば納得いきますな。兄上がいつも猪のような考えなのは、猪のような顔をしているからでしたか」
「兄に向ってなんという口のきき方じゃ!だいたいな…」
「止めんか、こんな大事な時に!」
父親の一喝で二人の口げんかは収まった。長男の隆元はというと、関係ないといった顔でそっぽを向いていた。
「ともあれ、江良殿がいなくなったことで大分形勢は変わりました」
「うむ。後は陶の軍勢を打ち破るのみぞ」
こちらでは赤川元保と児玉就忠が珍しく意気投合していた。二人の言葉に元就はうなずく。元就はこう言って、この場を締めた。
「これで手持ちの駒はそろった。あとは勝負と行こうか」
〈安芸 折敷畑山 大内方本陣〉
上出来だ、と宮川房長は思っていた。山口に残っていた大内家の軍勢3000、安芸の反毛利勢力4000、合わせて7000。おそらく毛利家の倍に相当するだろう。上出来だ。
(これで儂も正式に重臣になれるな)
江良房栄の影響力はやはり大きかった。江良の下ではしっかりとれていた統制が崩れ、特に山口周辺の領主の強固なまとまりが消えた。しかし陶晴賢の側近たちは重大な問題とは思わず、むしろ絶好機と捉えていた。なぜなら、要は自分たちが江良の代わりを務めあげれば万事解決する、という楽観的な思考が彼らを支配していた。その考えの下での出世頭と言われているのが、首領格の宮川房長というわけだ。
(毛利元就を叩きつぶし軍功を上げれば、江良の代わりに大内軍の統率役になれる)
にやけ顔の房長の心中には、栄光をつかみ取る自分の姿しか映ってなかった。
〈桜尾城 大広間〉
しまった、と毛利元就は思っていた。頭を抱えたこの男の姿は尼子攻めでの敗北以来であろう。軽率な手を打ったことへの自責の念に苦しんでいた。
(まさか、吉見殿が晴賢と講和するとは…)
石見にいる陶の遠征軍と同様に、吉見正頼も限界だった。春が来れば田植えの季節はもうすぐ。その時まで襲撃を受け続ければ、石見全体が間違いなく飢える。困り果てた正頼は和睦を勧めにきた周良の言葉に飛び乗った。正頼の息子を人質にできた晴賢は満足し、この三本松城の攻防戦は痛み分けで終了した。その結果、毛利家は大内家の圧力を一身に受けることになってしまった。
(これからどうする)
暗い部屋に一人、窓の外を眺める毛利元就もこの戦のことを重要視していなかった。
「父上、ご気分がすぐれないのですか?」
少し考えすぎたらしく、いつの間にかそばにいた息子の心配を受けた。その隣には元保もいた。元就は手を煩わしそうに振り、思考を切り替えた。
「隆元、吉川と小早川両軍は配置についたか?」
「はっ、もうすぐ布陣が完了するかと」
「では手筈通り、我らも出ましょうか」
「うむ」
早足で部屋を出ていく元就に合わせて二人も後に続く。そして雲が月光を遮り、蝋燭だけが照らす廊下を歩く。カチャリカチャリと鎧の音が誰しも寝静まった夜に響き渡る。
(とりあえずは眼前の敵を打ち破るとしよう)
元就の悩みとその姿は、梅雨間近の湿っぽく肌寒い闇夜の中に消えて行った。
翌日の正午前、大内軍の見張りは一人騎乗した武士と数人の徒士の姿を見た。
「やあやあ、安芸のこわっぱどもよ。ひさしゅうのぅ」
昼飯前で気が立っている兵士たちが前に出て見てみると、その男は坪井元政だった。「小童」と言われるのも納得してしまうほど大柄な体格をしており、傍目から見れば馬をつぶしてしまうかと思うぐらいだった。
この武士には面白い小話があるので紹介しておこう。元政を含め、彼の近親者には怪力の持ち主が多かったと伝えられていて、その怪力が役立った話がある。坪井家は元々厳島神主の家来であり、神社の近くに極楽寺という寺がある。その参道に落石かなんかで巨大な岩が転がっていたそうだ。その重さ、現在の基準でいうと240㎏あったという。参拝者が困っていたところに颯爽と現れたのがこの元政。彼は軽々と岩を持ち上げ、参道を通れるようにした。そして面白いことに、それを自宅の庭に持ち帰り鍛練用の重りとして使ったという、何とも魅力ある武士だった。
しかし大内方の各領主は彼を睨み付けていた。というのは、彼は元々大内家の家来で、毛利家の宣戦布告後に寝返っていたからだった。厳島神主家衰退後、坪井家は大内家の配下となっていた。元政もその怪力を存分に使い、武断派なら誰しもが知っているほど活躍していた。その関係から旗下に入ることが多かった江良房栄を、上司として尊敬していた。江良暗殺後、彼は「江良様を殺した陶晴賢に誰が従うか!」と言って、当然のごとく毛利家に寝返った。情に厚い男だった。
そうは言うものの、他の大内方の領主にとっては裏切者であり、憎々しい存在だった。その彼らの憤りの声が聞こえると、元政はにやりと笑った。
「みなさま方。いくさの余興に歌を一つ作りもうした。ちゃんと聞いてくれ!」
歌と聞いて、試しに聞いてやろうと、少し静まる。元政はその大きな体を振るわせて歌い始めた。
♪やーれ みなさま ききなんし
カラスがタカのねぐらとり 置物まつって笑あってら そーれ♪
何事かと総大将の房長も前に出てきた。歌は続く。
♪やーれ みなさま ききなんし
カラスにハエがむらがって とりのまねしてわらってら そーれ♪
房長はどうやら自分たちのことを嘲笑していると分かった。周りの兵士たちも少しずつ分かってきたようで、拳を握りしめていた。
♪やーれ みなさま ききなんし
タカのむくろをつっついて きたねえかおでわらあってら そーれ♪
歌は怖い。良くも悪くも人の心に沁みわたる。房長が気づいた時には、多くの兵士が陣から突出していた。
(しまった)
房長ら首脳陣は必死に抑えようとしたが、時すでに遅し。結局は突撃した安芸の軍勢に引っ張られる形で本隊を出撃させた。彼らはようやく気付いた、自分たちには房栄の統率力がないことに。
笑いながら逃げる元政、それを追う軍勢。彼らを待ち構えていたのは、毛利家本隊。元政を追う体制のまま大内軍は毛利軍に突撃した。毛利軍の矢の雨を潜り抜け、乱戦に持ち込もうとする。しかしバラバラのまま切り込んだため、数は多いものの攻めきれない。激昂する大内軍、冷静なままの毛利軍。後方の本陣で見守る房長は今更ながら相手に違和感を覚えていた。
(耐えるばかりで反撃してこない…?)
その時、左右から鬨の声が上がる。左手に見える旗には三引両、右手は左三つ巴。吉川家と小早川家の軍勢だった。唖然とする房長達。見る見るうちに左右から前線の安芸の軍勢を飲み込んでいった。
(ここで見殺しにすれば晴賢様に申し訳が立たない)
副将に本隊の指揮を任せ、自分は前線へ急ぐ。立て直しを図ろうとするも、もはや手遅れだった。制止も効かず、房長の隣を走り逃げていく雑兵たち。それでも指揮を執ろうとする房長は周りが見えていなかった。
「粟屋元通が家臣、春日元重。お相手仕る!」
しまった、と思う暇もなく、あっという間に飛び掛られ馬から落ちる房長。「ぶれいものっ!」という声もむなしく、首に差し込まれる刃。首を濡らす暖かさに、房長は自分の終わりを知った。
〈吉田郡山城 志道家屋敷〉
戦後処理も一段落した雨の日、湿気と病人特有の匂いで部屋はむせ返るようだった。主君が来ても起き上がることのないことに、元就は広良の病気が進行していることを実感した。が、すぐに思考の奥底に閉じこもってしまう。
「元就様。ずいぶんと黙っておいでですが、悩みがおありですか?」
「………」
少し広良を見遣るが、黙ったままの元就。
(察せよ、か。病人でも容赦がない)
と、広良は少し恨めしく思い、ぼんやりとした頭でその理由を考える。やはりあれしかないか…。
「どうやって陶を始末するかですな」
「……そうだ」
ようやく返事をする。確かに安芸全体を手中に収めた毛利家だが、大内軍に本腰を入れて攻められればひとたまりもない。だが一方で強力な指導力を持つ陶晴賢さえ殺せば、大内家は再び義隆派と晴賢派に分裂する。策を講じるなら石見攻めの疲れをとっている今しかない。
(策はいくつかある。しかしどれも一長一短、どうすれば…)
悩んでいる元就を、我が子を見るように見ている広良は諭すように言った。
「元就様…、私は40年近く元就様のご成長を見てきました」
「………」
「元就様はこの中国一、いや、三国一の武将になられました。もはや私の助言など要らないでしょう」
「広良…」
「元就様の策、外れるわけがございませぬ。後はそれをするだけの度胸、それだけでございます」
急に咳込む広良、気づかう元就を手で制し、息を整える。
「ふう…」
「長居したな。出よう」
「では最後にこれだけ……元就様、家臣は水…」
「主君は船、だったな」
「はい。味方にも敵にもなる水、それを乗りこなすために必要なのは腕前と自信、それだけをお忘れなく」
ニコッと笑う広良。元就も片方の口角を上げ、スッと立ち上がった。
「広良、これも覚えているぞ」
「?」
「最善の策は大抵、最も危険な策だ」
合戦シーンって難しいですね
次はいよいよ厳島の戦いに入ります。お楽しみに
読んでいただきありがとうございました




