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瀬戸の波  作者: 河杜隆楽
3/8

大蒸し

元就の真骨頂、謀略編に突入です。お楽しみください。

 瀬戸の波  -大蒸し-


 〈山口 陶氏館 天文22年(西暦1553年)〉


 吉見氏の反逆が発覚してから1カ月、早くも先発隊は出発し、晴賢率いる本隊の出発も二週間後の予定であった。重要な梅雨の季節であるため重臣達は農民の徴兵をためらったが、晴賢が命令を押し通した。そのため士気は低いが人数は圧倒的であり、大方の見方では吉見氏の滅亡を予測した。晴賢自身もこの上なく楽観視し、先発隊が出発した今夜、前祝いとして息子たちと酒を交わしていた。そこへ不意の報告を受けた。


「なんじゃ、隆正。こんな夜更けに」


 酒宴しゅえんを邪魔されたためか、不機嫌な声音で晴賢は応対した。晴賢の側近中の側近である伊香賀隆正は座敷の床に平伏し、謝罪とともに話を切り出した。


「夜分遅く申し訳ありません。わが愚妻が容易よういならざる噂を聞いてまいったので」

「噂ごときで報告に参ったのか!」


 少し声を荒げて叱責した。だが隆正は晴賢の酒癖は悪くないことを知っていたので、報告を続けた。


「それが…義隆様の霊が現れたと言う噂でございます」

「…ほう」


 晴賢の眼の色が変わる。隆正は主君の興味を引けたことに安心し、その噂を語り始めた。


 ……噂では山奥に住む猟師の一人の体験だそうです。その者はある日つい猟に夢中になり、気付くと日暮れになっていました。急いで帰りますが、途中で通りかかった大木から呼ぶ声が聞こえました。誰かいるのかと恐る恐る大木の裏手を覗くと、そこには足がなく宙に浮いた落ち武者がこちらを睨んでいたそうです。腰が抜けた猟師に向ってその亡霊は語り始めました。

「我は大内兵部卿義隆なり。陶隆房に討たれし我が恨み晴らさじとて、この世を彷徨い続ける。其の甲斐あってか、もうすぐ我が念願かなへり。今は晴賢と名を変へしれ者に『覚悟せよ』と伝えよ」……


「ふん、よくある話ではないか。化けて出るならわしの前に来い!直々に成敗してくれる」

「私もここまでは聞き流していたのですが、ここからが本題です」

「まだ続くのか」

「はい。この後、義隆様の霊はこうおっしゃったそうです。『謀反に加担した者たちにも罰を下す。ただし弘中隆兼と江良房栄は忠義の士。奴にそそのかされて反逆したと見、その二人の罪は許す』と」


 その言葉を聞き晴賢は眉間みけんにしわを寄せ、いぶかしんだ。すぐさまこう尋ねた。


「その噂の出所を探せ」

「もう探しておきました」


 ほう、と晴賢は感心する。隆正は主の予想をいい意味で裏切ったことに笑みを隠さなかった。


「本日、丹念たんねんに調べましたところ、どうやら安芸から来た行商人の集団だそうです」

「…安芸?」

「はい。噂の鎮静化は市中の役人に命じましたが…」


 腕を組んで少し考える。


「隆正、これは毛利の策謀とみて相違ないか」

「おそらくは晴賢様とお二方の仲を裂くためだと。……ただ、これが謀反の準備だとしたら…」

「どういうことだ?」

「この噂に心乱される諸将も多いと思います。そうすることでお二方が謀反を起こすした時、それに賛同する者を増やす狙いがあるかと」

「本気でそう考えているのか、お前は!?」

「はい」


 先ほどとは比べ物にならないほど時間をかけ、晴賢は考えた。もう彼の顔から酒の赤みは取れていた。隆正がじれったく感じ始めた時、晴賢はやっと口を開いた。


「…隆正、二人の身辺しんぺんを探れ。ばれないようにな」

「御意」


 そういうと隆正は一礼して外の闇へと消えていった。晴賢はもう酒を飲む気にはなれず、少しの間玄関でそのまま立ちつくしていた。もうすぐ梅雨が明けると言うのに妙に肌寒い風が玄関から迷い込んできていた。



 〈一週間後〉


 石見の情勢を知らせに頻繁に早馬が館に駆け込んでくるのにも一同慣れてきた梅雨明けの季節、報告によれば先遣隊の出発やその規模に驚き、早くも吉見氏からの離反者が出ているという。その吉報は市中にまで広まり(広めたと言ったほうが正しいが)、案外早く終わりそうだと楽観した声が増え、山口の町は以前の平穏さを取り戻しつつあった。蝉がけたたましく鳴いていた。


(こんな夜更けまでよう鳴くのう)


 既に寝間着ねまき姿であった隆正はけだるそうな足取りで軒先のきさきへ向かった。ろうそくの明かりしか光源こうげんのない闇の中に蝉の声が響く新月の夜だった。軒先のきさきに面する庭には、立っている見張りの兵士とその隣で平伏している薄汚い中年の男がいた。


「なに用か?」

「こやつがどうしてもお目通り願いたいと」


 若い兵士が代わりに答えた。中年の男の方は隆正に対して、白髪交じりの頭を地面にこすり付けていた。


「無礼な!こんな夜更けに面会を求めるものがあるか!お前も勝手に通すとはどういう了見りょうけんじゃ」

「も、申し訳ございません。しかし必死に請うておりましたので」


 阿呆とはこういうやつじゃな、とため息をらす隆正。仕方なしにこの男の顔を上げさせ、話を聞くことにした。


「そなた、名はなんと申す」

「わたじは「又吉と云うそうでございます」


 この又吉という男に話しかけたところ、隣に立っている兵士が勝手に話に入り込んできた。じっと目でたしなめる。


「そなた、どういう用件で参った「それがなかなか言おうと致しませぬ」…のか」


 今度は話しかけている途中に入り込んできた。さすが阿呆、わからなかったのだろう、と思い、再び目でたしなめる。もっと厳しく。


「よほど内密な話なのだろう。だが儂が来たのだから申せ」

「ほらさっさと申し上げよ!」

「お主、ちょっとどっかへ消えておれ!」


 阿呆はすごすご退散した。すると、それを狙っていたように(やっと発言の機会が与えられたにすぎないが)又吉は話し始めた。


「伊香賀さま、このたびは急なお目通りをお許しいただきありがどうございまじた」

「前置きはよい。早う本題を申せ」


 又吉はゆっくりとした口調で続けた。


「わたじは房栄さまのおやしきに仕えている下人でございます」

「なに!」


 又吉の黄ばんだ歯が見える口から急に自分の調査対象の名が出たことに、隆正は驚いた。


「じづはわたじ、あるさむらいと友だちでございまして、そのひとからこのたびのお調べのことを聞いておりました」

(調査のことまで知っておるのか!)


 隆正のは依然つまらなそうに聞くふりをしていたが、組んでいた腕のわきからは嫌な汗が止まらなかった。


「それをそなたに話したのはどこのどいつじゃ?」

「そ、それだけはお許しください!わだじを助けてくれた恩人でございます」


 つたない口調だがはっきりした意思を感じ、隆正はそれ以上の追及を諦めた。いや、今の彼の脳裏のうりには失敗の責任を取らされる未来の自分の姿で一杯だったので、追及ついきゅうに回す思考の余裕がなかったといった方がよいだろう。隆正の目は泳ぎ、焦っていることを隠せなかった。だが、又吉の口から意外な言葉が出てきた。


「……ですが伊香賀さま、わだじこのことを房栄さまに申し上げていません」

「へ!?」


 まったく予期せぬ幸運の登場に、隆正は思わず変な声を出してしまった。


「なぜじゃ!?江良様はお前の主人であろう!」

「わだじ、よく考えました。伊香賀さまがお調べなさっているということは、これは陶さまのご命令ということ。ということは、房栄さまはもうだめだ、と思いまじた」


 又吉の言い方に疑問を抱く。軽くたしなめるように見せつつ、探りを入れた。


「これこれ、いくら晴賢様が強大であるとはいえ、罪なき者を罰することはできぬ。江良様も疑いが晴れたら大丈夫じゃろう」


 すると、又吉は持ってきた袋からぐしゃぐしゃになった紙を取り出した。


「………房栄さまはほんとうにむほんを起こそうとしていまず」

「本当か!!」

「嘘ではごじゃいません!こいがその証しです」


 隆正は庭に飛び出し、又吉の手から紙屑かみくずを奪った。広げてみるとその紙屑は書状だった。差出人は毛利元就とある。ただし、読もうとしても肝心な部分には“墨塗り”がしてあった。

 この又吉が言うには、これは房栄が燃やすように言った反故であったそうだ。又吉が好奇心で開いてみると、反故にしてはきっちり書かれてあるし、最後の方に毛利元就と署名を見つけた(たまたま又吉は文字が読めた)。友人から調査のことを聞いていた又吉は、もしやと思ってこの書状を取っていたのだった。


(さすが江良様。すぐ燃やすと思っていても用心して墨で隠しておくとは)


 だがこれで疑惑ぎわくは深まった、と隆正は自分の任務の成功を感じ、ほくそ笑んだ。


「お前はこの後どうする」

「よいことをしたとはいえ、房栄さまを裏切ってしまいまじだ。すぐにお暇して、田舎に住むいもうと夫婦のもとに行きたいと思います」

「…左様か。では褒美をやろう」


 又吉の気持ちを察した隆正は(間抜けそうな又吉が役立つかどうかも疑問であったし)、これ以降又吉を利用することは諦めた。又吉は褒美としてもらった銭を袋に入れ、何度も何度もお礼を言ってから去って行った。その後寝室に入ってからも隆正は、この地面からひょっこり出てきた幸運に笑いが止まらなかった。ふと上機嫌な隆正は見張りの兵士のことを思い出した。


(あの阿呆も捨てたものではないな)


 翌日、山口の町内で商いをしていた魚売りは、又吉がこそこそ荷物を持って歩く姿を見かけた。知り合いであったので声をかけてみると、又吉は「事情があって故郷こきょうに帰る」と話した。二人は別れを惜しみ、再会を誓った。また道を歩き始めた又吉の背に向かって、魚売りは「そういえば故郷こきょうはどこだ?」と聞いた。

 又吉は振り返って「安芸」と答えた。



 〈吉田郡山城 隆元自室〉


 元就の号令で集まった志道広良ら数人はすでに全員揃い、元就が来るのを待っていた。自室といっても元就の自室の数倍はあり、大人30人はゆうに入れる広さであった。なぜそんなに広いのか?それは外部への音漏れを防ぐためである。謀議ぼうぎの内容は外部に漏れると危険である。そのためそれをするのはこのような部屋と相場が決まっていた。今回もその謀議である。

 ガラッとふすまが開き、元就が現れた。その後ろには重臣の児玉就忠がするっと入ってきた。元就は隆元が譲った上座に坐り、就忠は元就の周りを囲むように坐っている円の中に入った。ふすま隙間すきまからは夜の涼しい風が入り込んでくるが、太っている就忠の額には汗が光っていった。

 元就が口を開く。


「世鬼政清から“成功した”との報告が参った」


 世鬼一族について話しておこう。彼らは元就が就任する前から毛利家に仕える忍者衆、といわれているが実際のところは分からない。ただ、『謀神はかりがみ』と呼ばれる元就にとって欠かせない存在であることは確かであり、この対陶戦にも活躍したことは間違いない。彼らをたとえるなら、元就にとっての“第三の手”であった。この策略の成功もこの“手”が呼び寄せた。

 元就の報告に、ある者は胸を撫で下ろし、ある者は当然と思って平然としていた。元就は続ける。


「すでに就忠と相談し、次の手は考えておる」

「私から申しましょう」

 ブタブタと太った就忠の口から次の謀略が発表され、一同が成功を確信する。確信はしたが(むしろ確信したからこそ)、一人懸念を言う。


「考え直してもらえませんか」


 赤川元保の言葉に皆驚く。しかし隆元だけは彼が何を言おうとしているか気づいた。


「元保、よせ」

「江良殿は殿が人質として山口に赴いた際、一番世話をしてくれたご友人です。弘中殿も一緒に尼子家と戦った間柄。御二人を謀殺するのは仁義にもとることかと」


 隆元の制止にかまわず、元保は元就に諫言かんげんした。その言葉に就忠は怒りをあらわにした。


「今更何を申されるか!陶一派の戦力を削ぐことはもう3年近く前に決まった毛利家の大方針。それをないがしろになさるおつもりか!」

「それにな、江良殿も弘中殿も追い込まれたらこちら側に寝返るかもしれぬぞ」


 広良も就忠の意見に同調しつつ、自己の予測を言った。だが隆元は首を横に振った。


「……おそらくそうはならないだろう。儂が親しく話した二人は共に、真の忠義者であった…」


 思い出すことさえつらそうな隆元の姿に、広良と元保は同情した。しかし就忠はその姿にも怒った。


「敵に同情するとは何をお考えか!敵の有能な士の死はこちらの利ですぞ!」

「言い過ぎではないか!隆元様のお心も少しは察せよ!」

「そのようなつまらぬことをしていては、勝てる戦も勝てませぬ!」

「黙れ、豚!」


 謀議の場はもはや元保・就忠のののしり合戦となった。さしもの元就の堪忍かんにん袋の緒も切れかけ、叱責しっせきしようと口を開いた。しかし先に叱責しっせきした者がいた。


「もう良い!元保、控えよ!就忠も見苦しいぞ」


 久しぶりに見た隆元の怒気が静寂せいじゃくをもたらした。元就も口を開いたまま言葉を失った。


「…た、隆元様」

「元保。お主の気遣いは有難いが、もはや無用じゃ」


 隆元は元就に向かい、告げる。


「父上、此度こたびの策、そのように進めてくださいませ」


 少しあわててうなずく元就。隆元の決定に元保も従い、謀議は終了した。が、広良は念を押してみた。


「隆元様、よろしいのでございますか?」

「…広良、儂は毛利家の当主じゃ。毛利家のためになる策略に何の不満があろうぞ」


 一同が注目する中、隆元は言った。


「毛利家のために二人には死んでもらう」



 〈元就自室〉


 妻の乃美大方のみのおおかたの酌を受けながら遅い晩飯を食べている間、元就の顔には笑みが張り付いていた。


「殿、いかがなさいました?」

「隆元がのぅ、立派に成長しよった」


 上機嫌のあまり、普段は控えている酒をかなり飲み、乃美大方にも飲ませた。二人とも酒には強いが、顔はほんのりと赤みを帯びつつあった。


「でも隆元さまは元服のころからしっかりなさったお方でございましたよ」

「今の世を渡るためには誠実なだけでは、駄目じゃ。あくどさも必要での。今宵こよい奴は「毛利家のため」と……言ってくれた」


 元就はぐいっと杯を飲み干す。その様子に乃美大方は笑い声を漏らす。


「ほほほ、まことに今夜はご上機嫌なこと」

「…儂とてな、好きで戦をしているわけではない。自分の欲望もあるが、最近では次代に禍根かこんを残さずに、安心して死ぬために、戦っておる。……今、隆元に、君主の片鱗へんりんを見た。どんな戦いの勝利も、この嬉しさにはかなうまい」


 次の君主様に乾杯じゃ、と元就の酒は進む。最近の安芸の空は雲が覆っていたが、ちょうどこの時、夜空に新月を越えた小さな月が雲間から顔を出し、あたりを照らし始めていた。



次も謀略編です。その次からはやっと合戦シーンに入れると思います。

読んでいただきありがとうございました。

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