表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
瀬戸の波  作者: 河杜隆楽
2/8

雨雲来る

今回は陶家視点で行きます。背景説明が中心です。

  瀬戸の波 -雨雲来る-



  〈山口 陶家屋敷 (天文22年 西暦1553年)〉


「これはどういうことじゃ!」


 どんよりと曇る水無月みなづきの空の下、屋敷中に怒号が響き渡る。この地方最大の権力者の声に家来達の体がビクッと反応し、(またか)と全員眉をひそめる。この家の主は頻繁に怒るとはいえ、慣れることはない。しばらく前だが、ほんの些細ささい粗相そそうをした出入りの商人を自ら切り殺したこともあり、(明日は我が身)と譜代ふだいの配下でも思うほどであった。

 一瞬静寂が包み、皆は少し落ち着くが、また怒りの声が彼らの耳を突き刺す。


「どういうことか説明せよ、隆兼!」


 晴賢は明からの手紙を隆兼に投げつけながら言った。他の重臣たちは怒りの矛先ほこさきが自分に向かないようにうつむいたままだった。

 この屋敷に重臣たちが通うようになってからもう3年目になっていた。一方で、大内家の嫡流ちゃくりゅうあかしでもある『義』の字を用いて義長と改名した大友晴英の屋敷に通うものは、ほとんどいない。いるのはそれこそ出入りの商人か、事情をよく知らずに京から来た没落貴族ぐらいであった。町人でさえそのことを知っていて、陶家の屋敷を政治の中心を表す『本所ほんじょ』と呼ぶほどであった。

 隆房も義長と同時に改名することになった。旧主の義隆の『隆』を捨て新主の晴英の『晴』をもらって晴賢とした。これは義長への忠誠心を内外に表すためだったが、同時に“義隆を捨てた”ことを如実に表す結果となった。もちろん義長への忠誠心などない。ここ二か月は顔すら見ていなかった。


「つまりはそういうことでありましょう、晴賢様」


 弘中隆兼は晴賢の怒りなど知らぬ顔をして、乱れた書状を丁寧にまとめながら答えた。

 読者の方の中には「おや?」と思った方もいると思う、同じ家臣同士なのに隆兼が晴賢に敬語を用いることに。しかしこれこそ名家大内家の姿であった。歴史長く、広大な領土を保有する大内家の家臣団は当然巨大なものであり、その中での身分の差も大きい。重臣といわれている弘中氏も、陶家から見れば“格が低い”家柄であった。

 また余談になるが、大寧寺の乱もこれが原因の一つであったかもしれないと作者は思う。晴賢と対立していた相良武任は、実は義隆の代から仕えた新参者しんざんものであり、他の重臣からしてみれば『新参者が大内家を牛耳っている』という苦々しい状況であった。そして名門の陶家が立ち上がり、ほかの重臣達もそれに賛同した。彼らの多くは晴賢が義隆を殺すことになると思っていなかった。だが主殺しに加担したことになったが、以前の状況よりは良くなった、というのが乱直後の感想であった。

 晴賢は隆兼をキッとにらみみ付けた。


「どういうことじゃ?」

「つまり、明は義長様を大内家の当主として認めないと」


 ズバッと耳障みみざわりな意見を言ってのけた隆兼を、ほかの重臣たちは何か恐ろしいものを見たように見つめていた。そして来るであろう晴賢の怒声に備えた。

 しかし予想外なことに晴賢は何も言わず、もともと座っていた上座にゆっくり腰かけた。


「なるほど、昨年から明と貿易がとどこおっていたのはそれが原因でありましたか」


 江良房栄は隆兼から受け取った書状を見てそう答えた。房栄・隆兼、そして晴賢の三人はまだ30代の若さであったが、才覚に優れ、大内領以外にもその名をとどろかしていた。特に晴賢は『西国無双の侍大将』と呼ばれ、若い頃から大内軍の中核をになっていた。一方、他の二人は政務にも優れ、房栄は大内家にとって重要な海上貿易を取り締まっていた。

 房栄はため息をつき、言う。


「…困りましたな、晴賢様。海上貿易の利益のほとんどは明との貿易から出ております。それが無くなるとなりますと、今までの財政・軍費の規模を維持できませぬ」

「だが、維持せねばなるまい。火急かきゅうの時に用意しても間に合わぬ」

「昨年から徴収している諸領主からの貢納金、しばらくは続けるしかありませぬな」


 隆兼の発言を聞いた諸将は、そんな!という悲痛ひつうな叫びが聞こえて来るかのように騒ぎ始めた。

 晴賢ら武断派が主導権を握ったことで、大内家の軍隊は大幅に拡充された。乱後の治安維持のためとはいえ、その軍費の負担はかつてないほどで、大内家の諸将はこぞって悲鳴を上げた。それに加わったのが明との貿易中止である。晴賢一同、これは一時的なものとみていたが、今回派遣した使者の返答でそうではないと判明したのだった。

 その理由は、歴代中国王朝が信仰する儒教じゅきょうの『仁』である。親兄弟を一番大事にすべきであるという思想だ。一つ、有名な例を挙げてみよう。『あるところに犯罪を行った父親がいて、その子供は警察に報告し、父親は逮捕された。この子供の行動は是か非か?』我々にとって不思議かもしれないが、儒教の見解では『非』である。何があっても家族は守るべきだということなのだ。これに基づくと大内義長は、例え彼が実の息子であろうと、父親を殺したことに加担したとして子供としては『失格』なのだ。いや、もはや人間としても『失格』と見なされた。結論を言うと、明にとって彼は貿易相手として不適切ということになった。


「そのくらいで騒いでいては困りますな」

「さよう。もっと大きな問題がござる」


 騒ぐ諸将を後目しりめに末席の方から声がすると、そこにはいつの間にか三浦房清と宮川房長が座っていた。二人の姿を認めた重臣の中には露骨に嫌な顔をする者もいた。何処からともなく誰かのつぶやきが聞こえる。


(またか)


 房清と房長が重臣たちの会合で許可なく発言するのはもはや当たり前のようになっていた。なぜ問題になるかというと、二人は陶家の家臣であり、大内家内の身分は『陪臣ばいしん』であるからだ。この場で発言することはもちろん、居ることさえありえないことだった。ではなぜこのようなことができるか?それは晴賢の寵愛ちょうあいを受けているからだった。最近ではその発言力は他の重臣たちを上回り、誰しもが一目置く隆兼や房栄にも並ぶぐらいであった。このような状況を見て今では、すべての重臣が乱がおきる前よりも


(悪くなった)


と感じていた。

 その重臣達を代表するように房栄は二人を叱責しっせきした。


「また出過ぎた真似を!下がってお「いや、そのまま申せ」


 晴賢に促され、房長は報告を続けた。


「石見の吉見様に不穏な動きが」

「なに!」


 一同に緊張が走る。房長は続けて言った。


「皆様方御存じのように、現在尼子家では当主の晴久と新宮しんぐう党の対立が強まり、その反動で我が家に対する圧力は弱まっております。尼子領に接する吉見様にも余裕ができたと見えます」


 この頃、尼子家でも政争があった。晴久と新宮党の対立である。新宮党とは、尼子国久・誠久親子が率いる組織で、強大な尼子軍の中核をになっていた。そのせいか、その権力は当主の晴久に並ぶくらいとなり、家中における彼らの態度は日に日に傲慢ごうまんになっていった。例えば、晴久と違う命令を勝手に出したり、形式上は同じ身分の重臣に対して下馬を命じるなどかなり酷かったと言われている。晴久を始めとした家中の反感を買うのは当然であり、とうとうこの一年後の1554年に晴久は彼らを粛清する結末を招いた。

 この結果尼子家の結束が強固になり、尼子家の全盛期を迎えるが、その一方でこの頃、弱体化したのは事実であろう。吉見家や毛利家はこれを好機として、各自行動し始めた。

 重臣達のざわつきが収まらないうちに、房長はふところから一通の書状を出した。


「以前吉見様は石見の大内方の領主にしきりに書状を送っていると噂を耳にしました。そこである領主を懐柔してその一通を調べましたところ、これはまぎれもなく挙兵の誘いでした」


 房長から渡された証拠の書状を開くと、晴賢の顔は見る見るうちに赤くなっていった。そして読み終えると同時に、晴賢は勢い良く立ち上がった。


「許すまじ、吉見正頼!」

「殿、こうなれば奴らより先に手を打ち、石見に攻め入ることが良策かと」

「西は大友様がいらっしゃいますから後顧こうこうれいはありません」

「もっともである。皆の衆、今すぐ領国へ戻り兵を集めよ!」

「…お待ちくだされ」


 晴賢の号令に活気づいた評定が、隆兼の一言で再び静まった。


「なんじゃ!?」

「安芸の毛利元就はいかがしましょうか」


 その発言の意味すら分からないかのように晴賢は首をかしげた。


「あやつが……どうかしたか?」

「最近元就は平賀氏を取り込むなど急速に力をつけております。安芸を統一するのも時間の問題でしょう」

「当たり前じゃ、安芸一国の統治をまかせたのはこの儂じゃ」

「確かに安芸は貧しい国ですが、毛利家には人材も集まっており、何より元就の存在が不気味です。吉見殿と結んで挙兵したら厄介かと」


隆兼の懸念を聞くと、晴賢は鼻で笑った。それに同調するように房長ら晴賢に近い者達が笑い声をあげた。


「隆兼、冗談がうまくなったな。元就は義長様の相続をいち早く祝いに来た者ぞ。素早く新しい主に取り入ろうとするただの臆病おくびょう者よ」

「それにまだ安芸の中には毛利家とは疎遠な者も多く、もし元就殿が反旗を翻したらその瞬間、毛利家自体が危機に陥りましょう」


 房清の言葉に何人かうなずく。大内家の重臣たちにとって陶家と並び立つ名家吉見家の方が、成り上がりの毛利家より重視されるのは当たり前であり、また銀鉱山が豊富な石見は安芸とは比べ物にならないぐらい重要であった。


(確かに名声・国力共に吉見家の方が上だが、戦の勝敗を分けるのは“人”なのだ)


 隆兼の心の声も聞こえずに、晴賢は締めくくった。


「兵士が集まり次第、石見に攻め入る。儂は義長様の下へ行き討伐命令を持って参る。正頼に吠え面をかかせてやろうぞ!」



 〈山口 弘中家〉


 その夜遅く、隆兼は自己の所領にいる家臣に出陣の旨と手筈をしたためた書状を書いた後、不意の来客を受けた。すぐさま酒とつまみの準備をさせ、客間まで案内するよう命じた。


「房栄殿、いかがした?こんな夜更よふけに」

「ちょっと相談したいことがあってな」


 一言話すなり、房栄はゆっくり座り込んだ。以前まで見せていた動きの切れはどこかへ忘れてきたようで、老人の態をなしていた。今回の貿易問題の担当をして心労がたたったのか、少し痩せたようで、この2年ほどで10歳も老け込んだように見えた。


「しばらく戦もなかったからな、食欲が以前ほどなくなってしもうた」


 隆兼の視線に気づき、房栄はケラケラと笑いながら弁解した。笑い方は依然と同様豪快な房栄らしかったが、どことなく元気がない。ちょうど酒とつまみが運ばれてきたので軽く飲み交わすも、食欲がないのは本当のようだった。つまみには全く手をつけず、酒ばかり飲んでいた。


「こうして話すのも久方ひさかたぶりじゃ」

「ここ最近は互いに忙しい身であったな。ところで交易の方はやはり酷い有様ありさまなのか?」

「ああ、酷いぞ。我々が管理してきた海上交易の対象は、銭や焼き物など明のものが中心だ。それが無くなった今、上方からの商人もめっきり減ってしもうた」


 明と交易しない大内に、もはや上方商人は見向きもしなくなった。その代わり、明の朝貢国である琉球と交易している薩摩の方に流れてしまった。もちろん通り道として瀬戸内海を利用しているが、馬関ばかんや博多までは来なくなり、また民間の交易であるため、大内家自身の取り分は少なくなってしまった。


前途多難ぜんとたなんじゃ」


 と、つぶやくと同時に房栄は酒をあおる。隆兼もため息を漏らす。


「我らが始めたこととはいえ、軍の拡張ももはや限界じゃ」

「初めは我々も賛同していたが。…房長どもめ!むやみにあおりよって」

「晴賢様の気が済むまで続けるしか無かろう。事実、尼子の脅威も続いているしな」


 酒が無くなったことに気付き隆兼は次を持ってこさせようとするが、房栄は手で制する。そして人払いを頼んだ。隆兼はぜんを下げさせ人払いを命じ、少し背筋を伸ばして次の言葉を待った。


「…隆兼殿、お主ほどの者がこたびの吉見様の件、気付いてなかったのか?」

「石見の事はここ一年、他のものに任せておったのじゃ。今は安芸のことで忙しくての」

「…毛利元就か」

「…うむ、宗像むなかたの一件から雲行きが怪しくなってきた」


 通称『山田事件』と呼ばれる宗像氏内の内紛騒動である。宗像氏とは、全国7000もある宗像神社の総本山である宗像大社の大宮司を代々受け継ぎ、その経済力はもちろんのこと、軍事力もかなりのものであった。大内氏とも親交が深く(室町後期には主従関係を結んでいたと思われる)、当主の宗像氏男は大寧寺の乱で討ち死にした。陶晴賢は支配確立のためそこに目をつけた。まず先々代の庶子でまだ元服前だった宗像氏貞を支持し、無理やり家督を継がせた。当然反発も起き、先々代の正室山田局を中心に反対勢力が形成された。怒った晴賢は脅しの意を込めて、山田局の娘菊姫らを殺害した。これが騒動のあらましである。その晴賢のやり方に諸将は怖れと軽蔑の念を抱いた。


「山口付近にいる領主に反抗の恐れは無いんじゃが、安芸の方は露骨に感情が冷えてな。毛利家と親しくする者が増えた」

「大内家の他に求心力がある大名がいるためだな。我らにとって良くないこととはいえ、気持ちは分かる」

「だが、晴賢様には分かるまい。それがどれほど危険なことかも」


 話が途切れ、互いに考えに耽る。少ししてから、房栄は決心を付けたようにパッと隆兼の顔を見た。


「実はな…言うべきかずっと考えていたが……元就殿から寝返りの誘いがきた」

「なに!?」


 隆兼は顔を近づけ小声で言った。


「まさか…許諾し「馬鹿を言え!そのようなことができるか!」


房栄は大声で怒鳴ったことに自分自身驚き、自らを落ち着かせてから続けた。隆兼の脳裏のうりからは先ほどの老けた印象が消し飛んで行った。猛将と呼ばれた男の迫力であった。


「わしは大内家の江良房栄ぞ。主君が変わろうともそれを変えるつもりはない。お主とて同じだろう」

「いや、念のために言ったのじゃ。すまなかった」


 頭を下げる隆兼を、房栄は「分かった」と慌てて頭を上げさせた。


「元就殿とは共に戦った仲、戦い方も良く心得ておる。敵にすれば一番嫌な相手であろうな」

「だからこそ、お主を誘うてきたのだろう」

「ああ。我ら二人がしっかりしておれば、たとえ毛利家と吉見家が一緒くたに攻めよせても勝てよう」

「うむ。だが油断するなよ。誘いを断ったと分かれば今度はどんな手を使うか分からぬぞ」

「なに、まだまだ武芸の腕は衰えてはいない。刺客なんぞには負けやせんよ」


 明るく笑う房栄の姿に「それもそうか」と安心する隆兼。二人の会話はこれで終わり、隆兼は玄関で房栄を見送った。


「む!まいったな」

「どうした?」

「もつかと思いきや降ってきよった」


隆兼が玄関の外を見ると、確かにぽつぽつと地面を雨粒が叩いていた。


「傘を借りてもかまわないか?」

「ああ、持っていってくれ」


 下男から傘を受け取り、急ぎ足で房栄は帰って行った。


(本降りにならなければよいが)


 隆兼は自らの希望が外れることを予感しつつ自室へ戻っていった。


パソコン壊れて書くスピードがガタ落ちです。それはそれとして、三部で終わらないことになりました(笑&土下座)何部になるか分かりませんが今後も読んでくれるとありがたいです。

読んでいただきありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=630269894&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ