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瀬戸の波  作者: 河杜隆楽
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始まり

初めまして、河守と申します。今回初めて投稿させていただきます。お題は厳島の戦い。短めにまとめますので飽きずに読んでいただけたらと思います。それではどうぞお楽しみください。

 瀬戸の波 -始まり-


 月が隠れる夜の空、光は無い。視界も悪く、晴れた冬の日なら四国まで見渡せるぐらいなのだが、目を凝らしても前の船が見えるくらいだった。風が轟々と吹き、雨がその風と共に船に襲ってくる。それを音頭おんどと間違えたかのように波が踊り狂う。あれほど穏やかで民に生きる術を授ける瀬戸の海は、全く違う顔を見せていた。その波を切るように、逃げるように船団は進んでゆく。

 そもそも瀬戸の海が荒れることは大変珍しい。中国山地と四国山地に挟まれたこの海は季節風が遮られるために降水量が少なく、日本ではまれともいえる気候である。その利点を買われ、古くから海上貿易が盛んな地帯であった。遣唐使に始まり、日宋貿易、そして明との勘合貿易が続いている。そしてその貿易を受け継いだのが西国の雄、大内氏であった。いや、むしろこの貿易を独占したからこそ、そう呼ばれる実力を持つようになったのであろう。その惣領であった大内義隆亡き後、誰が受け継ぐのか、その答えはもうじき出されるに違いない。



「父上、もっと奥にお入りください」


 船の奥の方から隆元は言った。20代前半でいきなり家督かとくを継いでから約10年、30を過ぎてまだ何処どことなく頼りないが、甲冑かっちゅう姿は父に勝って立派であった。もう十分惣領そうりょうとして認められ、毛利家の希望の象徴であった。その父親はという、と聞こえてなかったのか、外の様子(何も見えないはずだが)をぼんやりと見続けていた。

 それほど遠くから言った覚えはないのだが…。父親の様子に対していぶかしげにしつつ隆元はもう一度呼びかける。


「父上、聞こえておられますか?そこは雨が入り濡れますゆえ、もっと中に「わかっておる。ほっとけ」


 わずらわしく、それでも振り向かずに答える。毛利元就。多少名が売れたとはいえこの頃は安芸の一大名。だがそれは今日までの話。明日すべてが変わる。


(西国一の大名となり名を残すか、…それとも)


 雨が先祖伝来の鎧を打ち、衣を濡らす。元就は雨の時は必ずこうする。冷静な状態に引き戻してくれるこの感触が好きだった。酒好きの家系にもかかわらず、急死してしまった祖父や先代を教訓に酒を控えてまで健康を保つこの男にとって完全に矛盾した『奇癖きへき』。この癖を知る数少ない家中の者は止めようとするが、かたくなに止めようとしなかった。むしろ感情を荒げた時が死ぬ時だと確信している元就にとって長寿の薬であった。


(…間抜けな老いぼれとして死ぬか)



 船に容赦なく雨粒が当たる。風にそよぐ髪は既に黒いところもなくなり、大分前から白一色となっていた。元々老け顔で常に冷静沈着を心掛けてきたせいか実年齢よりも老けて見られてきたが、この年になってむしろ見た目が変わらないせいか若く見られるようになった。だが決してなめられているわけでもなく、深いしわは歴戦の戦士を思わせる。眼光は歳を重ねるにつれて鋭くなっていった。


「帆を下せ!」

「えんやーさー!」


 周りを見ると水軍の兵士達が風に耐えるために帆を半分まで畳んでいた。数十年と鍛え上げてきた水軍だ、心配はないと思いつつも、自身はあまり船に乗ったことがないためこの暴雨の中不安に駆られる。しかし全く動じていない水兵の顔を見ると、そのような不安など鼻で笑ってしまう。昔水軍を預けている就方なりかたに水兵の心構えを聞いたことがある。就方が言うには戦と同じだと、海と戦いに行くのだと。だから陸の兵士にとっての戦と同じようにいつでも死ぬ覚悟ができていると。



  ハードッコイ ドッコイ

 ヤーレ船頭せんどう可愛いや音戸おんどの瀬戸でよ

  ハードッコイ ドッコイ

 一丈五尺のヤーレノーエがしわるよ



 船上で水兵は歌う。嵐に負けないようにと大きな声で。



  ハードッコイ ドッコイ

 ヤーレ浮いたの夫婦の中をヨ

  なさけ知らずの伝馬てんま船よー

 ヤーレここは音戸の瀬戸 清盛塚のよ

  岩に渦潮うずしおどーんとぶち当たるよ

  泣いてくれるな出船のときにゃ

  沖で艪櫂ろかいの手がしぶる

  安芸の宮島廻れば七里

  浦は七浦七恵比須



 ふと気づく、それだけのことだということに。もうすぐ還暦というにも関わらずよく引き締まった体から首が離れる、それだけのこと。今まで何千人と自分がしてきたのだ。たとえ今までの人生で一番大事な戦であっても、変わることなどない。

 兵士に気付かされるとは、元就は苦々しく自分に対して声を出さず笑った。そうしてふと現実に思考を戻すと、波の様子が変わったことに気付いた。


「父上、もうすぐです」


 隆元の声に導かれるように船の正面に目を向ける。先ほどまで波の谷間に見える程度であったが、島に近づき波が収まったことで厳島いつくしまが眼前に大きく見えていた。神の島はまさしく海を支配しているかのように、嵐の中、傲然がんぜんと鎮座している。船団は帆を畳み、錨をおろす準備作業に入っていた。


「隆元、長かったな」


 島を見続けながら元就はつぶやくように言う。


「はい。義隆殿が死んでからもう4年ですな」


 隆元が答える。


「ふむ、お主はそう考えるか…」

「はい?」


 船が包ヶ浦に着き、船内にいた将兵は音も無く小舟に乗り島へ渡る。


(長かった)


 本船から小舟へと移った元就は今までの人生を再度振り返った。安らかな日などなく、死や恐怖と戦い続けた日々。今夜の嵐とは比べ物にならないほどの…。彼ははたと今までの人生がこの島までの航路であったかのように感じた。家臣や甥までも手にかけ、この乱世を必死に渡ってきた。そして到達したこの島で元就は神の裁定さいていを受ける。


(さあ、吉と出るか凶と出るか)


 さっきまでと打って変わって不思議と楽しそうにしながら、後に稀代の名将と呼ばれることになる男は審判の島へと向かっていった。



 〈4年前(天文20年、西暦1551年)〉


 安芸の山道を早馬が駆ける。人馬ともに息は上がっているが、休まず森の中を駆け抜ける。長い坂を駆け上がると、裾野に広がる町並みとは比較にならないほど巨大な山城が彼の眼に飛び込んできた。吉田郡山城。昔尼子の大軍にも屈しなかったことでその城主とともに有名になった。その堅固けんごな守りは外面からは全く分からない。城はその城主の性格を物語るといわれるが、そうするとこの城主はよほど得体えたいの知れない者といえるだろう。

 城が見えたことに安心した使者は一気に坂を下って行った。この戦いはここから幕を開ける。



 〈大広間〉


 最上座に老人、その隣に若者。年功序列で考えるといたって普通だが、この老人、すでに隠居しているのだ、しかも5年も前に。だが未だにこの老人が権力を持っているということを如実に表しているこの席順を疑問に思う者はいなかった。昨年の井上氏の粛清しゅくせい以来誰も文句を言わなく、いや言えなくなったのだ。不満を感じるはずのこの若者、隆元はこの状況に全くと言っていいほど不満を感じてはいなかった。父は天才であった。それを実感してしまうことからこの若者の青春は始まり、20代後半になった今ではもはや諦めすら彼は感じていた。人は彼を『おとなしい』と表現するが、その姿の裏側にはこのような思いが隠されていた。

 元就が書状を見るとはっとした表情(一瞬だけだったが)をしてすぐさま隆元に重臣の招集を命じた。隆元は事態を察し近くの者に召集の鐘を鳴らすよう命じると、血が騒ぎ待っていられなかったのか、自身は二の丸で待機している配下を自ら呼びに急いだ。彼は早歩きで廊下を歩きながら少し冷静になると、違和感に近いものを感じた。父が驚いた表情を見せたのは、何時ぶりであっただろうかと。

 陶隆房の挙兵以来、大事に備えて城内に集まっていた重臣たちが一斉に大広間に集まった。ほとんどの者が荒げた息を整えつつ座り込むのが見て取れた。事態は一刻を争った。


「全員揃ったようだな。分かっているようだが、他でもなく、大内氏内の紛争についてである。」


 元就がそう言うと一同が息をのみ次の言葉を待った。


「…義隆殿が御自害なされた」


 驚愕のあまりであろうか、一瞬音が消えた。だが、次の瞬間には皆騒然そうぜんとなり、隆元が収集を付けようとしても収まることはなかった。誰しもがこの降ってわいた“天災”に戸惑とまどいを隠せなかった。

 後に大寧寺の乱と呼ばれるが、作者自身中国地方でこれほどの事件は何時ぶりであろうかと考えてみたが、1336年に足利尊氏が九州からの入京した時の通り道になって以来かもしれない。その直後から勢力を伸ばし中国地方に安定をもたらしたのは他でもない大内氏であった。かの足利義満が応永の乱で大内義弘を打ち取った際も、その影響力を考慮して家名および領土にすら手を付けられなかった。そして乱世が始まるまでの大半の事件は近畿、関東で発生し(応永の乱でさえ堺で起こった)、西国は安定を保ってきた。その功績は大内氏に帰するものが大きく、言い換えれば大内氏以外に実力者がいなかったためでもあった。寧波の乱以降、勘合貿易を支配したことで圧倒的な経済力を持ち、さらに応仁の乱で亡命した貴族を受け入れることで「小京都」と呼ばれるほどの高度な文化を誇った大内氏は、まさしく西国の大黒柱であった。この柱が倒れたことで中国地方はもちろん、九州でも戦国時代が本格的に始まったといっていいだろう。

 その始まりを元就は感じていたのだろうか?いや、感じる暇さえなかったのだろう。彼の配下である“小領主”と同様、まるで自分の家の屋根が柱を失って落ちてきたような衝撃を受けていた。大内氏の前では毛利家も“小領主”に過ぎなかった。

(これからどうなる)そのような空気が充満した大広間は、元就の一喝で静まった。


「騒ぐな」


 重臣たちの話し声が一瞬で収まる。


「義隆殿を弑逆したのは陶隆房・杉重矩ら武断派、義隆殿並びに相良武任殿、杉興連殿、そして嫡男の義尊殿が討死なされた」

「所詮文弱の徒といったところでしょうな。陶殿には勝てますまい」


 長老格の志道広良は騒ぐ重臣たちを後目にのんびりと構え、目蓋まぶたまでかかりそうな眉毛を動かしながら付け足した。元就の家督引継ぎに協力した老臣は、今でも隆元の後見人として尽力し、この場ではその若君に近い所に座っていた。


「そうじゃな。尼子攻め以来、相良殿らが実権を握り、敗北の責任を負わされた陶らは遠ざけられた。それ以来、相良殿と陶の争いが続いてきた」

「つまりはこの事件は大内氏内の派閥争いの結果ですな」


 広良は穏やかな声で応じる。結局のところ義隆は相良武任を信用し、最後には義隆対陶の構図に変わっていった。


「しかし、ただの派閥争いがまさか主殺しまでになるとは…」


 隆元は落胆の表情を隠さず、その場にいた者は皆同情の念を持った。実は義隆は隆元にとって岳父にあたるのだ。まぎれもなく政略結婚だが、隆元と妻の尾崎局の仲はこの時代では珍しいぐらい良かった。そのことは美談びだんとして周知しゅうちされているため、重臣たちは愛妻の父が殺害された悲しみを感じる隆元の姿を当然と感じ、また、この感情の豊かさがこの新当主に好感を持つ理由の一つとしていた。


「まだ幼少の義尊よしたか様も殺すとは…何故でしょうか?」


 若手筆頭の赤川元保が一人つぶやく。普段は隆元の右腕として活躍し、この時も冷静そうに見えていたが、実際は動揺を隠せず、手のひらから汗が噴き出していた。どこか眠そうにするほど肝が据わっている老練の広良と対照的であった。元保は続けて訊ねた。


「それで大内家の御当主は誰に?」

「晴英殿が継ぐらしい…」

「元猶子の晴英様ですか!?」


 静まっていた座がまた騒ぎ始めた。

 猶子ゆうしという言葉にピンとこない方は多いだろうと思い、少し説明させてもらうと、猶子とは“契約”で成立する子供のことで、実子の様に扱う養子とは全く異なると考えてほしい。大友晴英の場合、子供のいない大内義隆が『実子が生まれるまで』という条件で遠戚の大友氏からもらいうけた子供である。その翌年、嫡男の義尊が生まれたことでその“契約”に沿って大友氏に戻っていった。つまり大友晴英という男は、この時点で大内氏とは縁もゆかりもないといっても過言ではない。元保を始めとした重臣たちの驚きはその背景があるためであった。


「隆房殿が無理やり、といったところでしょうな」

所詮しょせん傀儡かいらいに過ぎん」


 元就、広良の落ち着き様は異様であった。その様子に重臣一同が少し冷静になったことを見て、元就は懐から新たな書状を出した。


「先月、日野山城の元春から文が届いておる」


 隆元に手渡し読むように促しそうとしたが、一寸怯んだ。この書状を見た瞬間、隆元の表情が悲しみから苦虫を潰したような表情に一瞬で変わったからだった。

 隆元は(またか)と思っていた。実権は持たないがあくまでも現当主は隆元であり、それにもかかわらず、自分には一切報告せず隠居の身の父にだけ報告するのは明白に“違反行為”である。しかし元春や隆景が公然とそれを行い、それを見た他の家臣までもそうする傾向が見受けられた。


(いくら自分の力の無さを自覚しているとはいえ、これでは実権が無いことを公に示しているようなものではないか!父上も父上だ!そのことに何の苦言もていせず受け入れているとは…)


 温和な隆元が珍しく日ごろから不快に思っていることを、身内のことには疎いのか元就は知らなかった。隆元自身も広良ぐらいにしか漏らしていないため仕方のないことだったが、この表情を見ても分からなかった。その理由に気付くのは、もう少し後になってからだった。

 余談になるが、毛利元就といえば『三本の矢』が有名であろう。実際にあのように言ったことはないのだが、その逸話は半分本当である。というのも事実、隆元・元春・隆景三兄弟の仲は非常に悪かったのだ。隆元は内政を、ほかの二人は軍事を得意としたためもあるが、二人は気の弱そうな隆元を侮ることが多かった。しかし隆元の政治力は確かなものであり、元就より隆元に信頼を寄せる家臣は多かった。元就ですら明確に把握できなかった隆元の実力は、隆元の死後に家臣団の統率が急に乱れたことで判明する。その際、二人は大いに反省したそうだが、逆に言えば隆元の生前中、兄弟の仲が良くなることはなかった。(備中高松城の際もそうだが、元春と隆景も性格の違いから対立することが多かったそうだ。元就の悩みの種は尽きなかった…)

 戸惑った元就は代わりに広良に渡した。広良は隆元ににじり寄ってぼそぼそと諭すと、元々温厚な隆元はすぐに落ち着いて、手紙を受け取り読み上げた。


「本題だけ読み上げます。『石見の吉見正頼様より文が届き候。要件はこのたびの大内騒動のこと。“不測ふそくの事態”が起きし際、毛利家に協力を求む。ご考慮を…』…なるほど、吉見様はこのことを前々から予想なさっていたそうですな」

「吉見様は義隆様の義兄弟。様々な噂もお耳に入ってくるのでございましょう」


 広良が合いの手を入れる。その言葉にうなずいた隆元は手紙をそばに置き、真剣な表情をして元就の方へ向いた。重臣たちも隆元が考えているであろう意見に同調して、前へ向き直った。


「父上、此度このたびの一件は簡潔に申しまして、陶隆房の主殺しに他ならず。義隆様と親密な関係であった我らにとって見逃すことはできませぬ。吉見様を始め、不満を抱く旧臣も今なら多いでしょう。今すぐに兵を集めて弔い合戦を」

「ならぬ」


 予想もしなかった元就の言葉、そしてその意味に対して、隆元を始め重臣たちは驚愕し言葉を失った。広良を除いては。


「元就様の言う通りでございます。巻き込まれた義隆様にも落ち度がございました。さらに言えば、陶様は大内家をのっとった訳ではございませんぞ」

「その通りじゃ。晴英殿という跡継ぎもいらっしゃること、今陶殿に刃向えば、それは大内家に刃向うことを意味する。そうなれば間違いなく、我らは滅ぶ」


 なおも隆元は食い下がる。


「ですが父上!」

「くどい!控えよ、隆元。合議ごうぎは以上じゃ」



 日は暮れ明かりが必要になる頃、隆元と元保はそろって元就を訪ねた。先ほどの決定の再考を求めるためである。小姓の案内を受けながら、薄暗い廊下を歩いていた。

 隠居後、元就は本丸の住処を隆元に譲り、二の丸へ移っていた。しかし二の丸といっても移った際に増設したもので、本丸とは雲泥うんでいの差があった。だが隆元が修築を提案すると、「わかっておらんの」と元就は一笑いっしょうしただけであった。隆元は最近になって分かったが、簡素な屋敷ほど警備がしやすく、草の者が入りにくいのだ。


(とは言うものの、庭ぐらいは直さなければな)


 縁側えんがわにまで庭から入り込んできそうなほど草が生えていることに苦笑いしながら隆元は、初めて二の丸に来て怪訝けげんな顔をしている元保と共に元就の自室前にたどりついた。


「隆元、元保参りました」

「入れ」


 部屋に入ると元就は難しそうな顔で下を眺めている。こじんまりとした部屋の床一杯に地図が広がっていて、そこには安芸国の諸勢力が描かれていた。


「失礼します」

「座れ。……広良も呼んだのだが見なかったか?」

「いえ、見かけませんでしたが」

「広良殿はもう御年ですからな。忘れて寝てしまったのかもしれませぬぞ」


 元保が軽口をたたいた瞬間に「広良、参りました」と廊下から声がした。広良は元就の許可を待たずに入ると、三人が見つめる中、小さく縮こまっている元保の隣に座り元保の膝めがけて持っていた扇子を、打ち下ろした。


「痛っ」


 ぱちんと音が鳴り、膝をおさえる元保。


「いい音が鳴ったな」

「いい音が鳴りましたね、父上」


 くすくす笑っている親子や涙目になっている元保を後目に広良は飄々と切り出した。


「元就様、なにかご相談がおありとか」

「いや、そろそろ隆元らが押し掛けると思ったからのう。お主からも説明してもらおうと思い、来てもらったのだ」


 その言葉で隆元が本来の目的を思い出し話し始める前に、元就は地図を指しながら、やっと痛みが引いた様子の元保に問いかけた。


「元保、この中で我らに味方するものはどのくらい居る?」


 急な質問に、その意図が分からないまま困惑した表情で元保は答える。


「大半の領主が我らの味方かと思います。残るは尼子領付近にいるだけかと」


 元就はひげを撫でる。そして再度質問した。


「言い方を変えよう。この中で“毛利家に”味方するものはどのくらいじゃ?」

「それは“大内家寄り”の領主を除くという意味ですか、父上?」


 元就は目で答える。二人が黙りこみ一瞬部屋を静寂せいじゃくが包んだすきに広良が答えた。


「代わりに申しあげますと、およそ半分かと」


 尼子攻めの失敗で養子の晴持を失って以来、大内義隆は政務を放棄し始めた。もちろん尼子家に対して手を抜くわけにもいかないため、その前線となる石見国を吉見家に、安芸国を毛利家に任せた。それからというもの、毛利家は安芸国の支配を強化に明け暮れた。まず元春・隆景を使って小早川氏・吉川氏を乗っ取り、さらにその集大成として昨年の井上氏の粛清があった。しかしそれができたのは一にも二にも大内家の後ろ支えがあったからこそであり、毛利家ではなく大内家に味方していると公言する領主も多く、さらに言えば大内家が混乱した今、尼子家に寝返る領主もいるに違いない、というのが元就・広良の見解である。


「…しかしこれは主殺しであり、今挙兵すれば大内家の中に我らに味方する者も…」


 隆元の言葉に首をかしげる。


「いるかのう、広良?」

「…それは我らがもっと強大であることが条件ですな、隆元様。長い棒ならともかく短い棒に巻かれる者はいませんぞ」


 隆元・元保の顔が曇り、黙ることでその意見が正しいことを認めた。それは他ならぬこれまでの毛利家の方針であったからだ。現在、大内家を事実上支配したと言っていい陶家に対抗できる大名は尼子家ぐらいで、安芸半国の毛利家など足元にも及ばなかった。またこのたびの乱で大内家が分裂したといわれても、名高き猛将の江良房栄や智将の弘中隆兼など武断派は隆房の下に集まっていて戦力は全く無傷であり、むしろ大友家と同盟したことで強力になったぐらいだ。


「良将多く、付け入る隙無し…ということでしょうか」

「いや、そうではない」


 落ち込む隆元の言葉を元就は否定する。


「お主の言うように隆房に反感を抱く将兵も多く、どうにかできるかもしれない。とにかく今は大内家内部や尼子家の動きを見極めることからだ」

「その通りかと。とりあえず陶殿らに祝いの手紙でも送りましょうかの」


 広良の言葉に元保が驚く。


「そ、そこまでせずとも!それでは我らの誇りは…!」

「元保、その使者に任命する」


 自分の言葉を遮った元就の命令に絶句する元保の隣で、隆元は悔しさを隠せずにいた。


「隆元、悔しいか」

「当たり前です、父上!」


 激怒する隆元の顔を見てにやりと笑う。


「ではお主の意見に同調する我が配下を集めておけ」


 キョトンとして、説明を求める顔をする隆元に言う。


「毛利家が分裂しているように見せ、油断を誘うのだ。実際不満を持つ者もいるだろうから集めておくことで、いざという時一体となれるようにするのだ」

「…なるほど、承知しました」


 次に広良に言う。


「お主は吉見殿など大内家の不満分子と連絡を取り、協力を取り付けよ」


 広良はうなずく。元就は方針が決まったことに満足し、全員の顔を見ながらこの場を締めた。外の月は満月になるには程遠いものの、雲ひとつ無い空に輝きを放っていた。


「陶隆房を謀事はかりごとでもって大蒸しにするのだ、干からびるまでな。動くのはそれからだ。それが、我が毛利家の戦い方である」

始まりにしては長すぎました(反省)たぶん三部作になると思います、たぶん。この後も読んでいただけると嬉しいです。読んでいただきありがとうございました。

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