カミツキ
人間は進化しつづける。それがどんなに非情な社会を形成しても進化は続く。そんな悲しくも形成された人間社会にカミツキが噛みつく!
人は何かに失敗し、何かを得るものだ。
「あの時こうしておけば」ということなんて多々ある。
後悔先に立たずと言う言葉があるがごとく、後悔が先に立ってしまったなら成長という言葉もない。
失敗を何度も重ねること、いや、それは成功であっても良い。
とにかく何かの行動に対し、何かの反応がある。その反応に対して反省し、次につなげようとすることが、人としての成長を促すのだ。
その小さな繰り返しが、莫大な時間を経て生物の進化にまで影響を及ぼすと考えても良い。
それぞれの生物が、各々成長及び進化することで、良くも悪くもそれぞれが影響しあう。
力を強くしようとして体を大きく進化してきた生物に対し、その生物に食べられまいと、すばしっこく逃げるために体を小さくする。
わたしはそんなことを考えながら、夜の山道を割とゆっくりなスピードで軽自動車を走らせている。
車内にかかっている音楽は、ビートルズのブラックバード。
対向車がまばらにすれ違う。
誰も買いに来そうにない場所に設置してある自動販売機の光が通りすぎる。
黒い鳥が見えるような気がする。
あいつが現れ、私の耳たぶに噛みついたのは、そんな仕事帰りのぼんやりとした自主的思考状態の時だった。
あいつの名は「カミツキ」。
主に耳たぶに噛みつく。
私はその後、耳たぶを13時間以上も噛みつづけられていた。
私は必死にカミツキを耳たぶから離そうとしたが、結局13時間という長丁場の戦いをすることになった。
離そうとすれば耳たぶに激痛が走り、離そうとしなくても時々激痛が走る。
熱いものを触ったときに、瞬間的に耳たぶを触る。
それは耳たぶの神経が鈍いから、熱くなった指を耳たぶに当てるのだと、今までの生きてきた人生の中で、自分で考察し納得していた。
しかしそれは、とんでもない思い違いだった。
耳たぶにも激痛が走る。
ことカミツキに噛みつかれれば、その思い違いの実感が落雷のごとく、瞬間的に感じられる。
家に帰って部屋着に着替え、シャワーを浴び、ナスとトマトのパスタを作り、ワインと一緒にそれを食べる間も、ずっとカミツキは私の耳たぶを噛みつづけていた。
部屋着の着心地や、シャワーの心地良さ、ナスとトマトのパスタの味や、ワインの香りも、
カミツキの噛みつきのせいで、堪能はできなかった。
ベッドに横になった。
それでもカミツキは、私の耳たぶを噛み続ける。
時にくる激痛のために眠れない。
そしてそのまま朝が来た。
私は一睡もできなかった。
無情にも太陽は昇り、一日の始まりを私の体に突き刺していく。
朦朧とする意識。
テレビを無意識につけてみる。
ニュースだ。
いいニュースなんて一つもない。
理解に苦しむ事件ばかりだ。
そんなニュースをいつも他人事として見ている。
真剣に見たって、どうせ同じような事件は続く。
親が子を殺すことなんて、もう珍しいことではない。
鈍っている。それが今の世の中だ。
「つづいてのニュースです。」
テレビのアナウンサーが今までイチジクの甘さについて、無邪気に感想を言っていたが、瞬間的に神妙な顔を作りあげた。
「昨夜未明、広島県広島市で火災が起こりました。火は住宅一戸建てを全焼。住人の○○さん25歳と、長女の○○ちゃん1歳が遺体で発見されました。警察は放火の疑いで捜査していたところ、その家に住む36歳の父親を放火の疑いで逮捕。警察の調べによると、仕事で上手くいかず自暴自棄になったとのこと。。。」
「つづきまして、女性の方必見!最新ダイエット法~♪その秘密は、この、ゴボウにあるんです。」
神妙な顔が一変。世の女性が気になるダイエットの話題だ。
そんなもんだ。
そんな時だった。
カミツキが今までとは比べ物にならないほど、わたしの耳たぶを強く噛んだ。
わたしは床を転げまわり、叫んだ。
そしてカミツキは、私の耳たぶを噛みつきながら言った。
「これが世の中の痛みだ。この痛みを知らない人間がたくさんいるから、世の中の痛みは消えない。最近は俺たちカミツキの数が足りないくらいだ。つまり、カミツキは人間の進化に必要って事だ。」
「特にお前みたいな、人の痛みに鈍感な奴に俺は噛みつく。この痛みをよく覚えておけ。忘れたときは、また噛んでやる。」
わたしはもがきながら肯いた。
もしくは肯きながらカミツキを振り払おうとしていたのかもしれない。
無意識だ。
そしてカミツキは消えた。
何の音もなく、煙のように消えた。
カミツキが消えてもなお、耳たぶの痛みは消えていない。
わたしは震える指で耳たぶをおさえる。
かなり腫れている。
人は今、進化の過程でカミツキを必要としている。
おそらくそれは、確かな結論だ。
なぜならこの痛みは本物だからだ。
「痛い!!」
その声はテレビからした。
さっきまで様々なゴボウ料理を食べていたアナウンサーだ。
よくみると彼女の耳たぶに、カミツキが噛みついている。
カミツキは人間の進化のために、日々奮闘していたのだ。
本当に地道で、粘り強く。
(おしまい)