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七文字

 枕の横に置いていたスマホの通知が鳴り、隼人はメッセージを確認する。


「……」


 隼人が体調を崩してから三日間、昴からのメッセージは絶えず届いた。しかし、そのメッセージに返す気力が湧かず、結果未読のままスルーしてしまっていた。


 隼人の家は片親で、父親との二人暮らし。心の問題なんて言ったらきっと心配をかけるに違いないので、親には熱があるということにした。季節の変わり目という理由で親は納得し、あまり干渉してこなかった。


 隼人は布団にくるまって、この前のことを考え続けた。答えがわかっても、やはり脳が受け付けず、心とのズレの苦しみは拭えない。ぼーっとあれこれ考えていると、いつの間にか夕方になっているのがこの頃続いていた。


 家の扉が開く音がして、思ったよりも早く父が帰ってきたと察知した隼人は布団を被って、完全防備の状態になった。しばらくして、案の定、階段を上ってくる足音が聞こえてきた。


「隼人、入るよ」


 隼人の部屋の扉をノックして、父は顔を出した。


「隼人、もう治ってんだろ」


 普段嘘なんてつかないからなのか、隼人の偽りは父親に全てお見通しだった。隼人はすぐに降参して、布団から顔を出した。


「バレてたか……」


「バレてたか、じゃない。早く降りてきなさい」


 降りる? まだ晩ご飯にしては早すぎる時間だった。奇妙に思いながら、隼人は渋々一階のリビングへ降りていった。そして、リビングのドアノブに手をかけた時、隼人は動きが止まった。


「えっ……?」


 思わず漏らした声と共に、目に入ったのは、リビングの食事用のテーブルに席着く香坂の姿だった。


 すると、父が手招きして早く入ってくるように促した。


「え、なんでいるの? 家庭訪問?」


「隼人がよくわかんない理由で学校休むからだろ」


 父はそう言って、香坂にお茶を出した。


「ほんとに忙しい所すみません」


「いいえ、お気遣いなく。こちらこそ突然押しかけてしまってすみません」


 そんな具合で大人の社交辞令を交わしたところで、香坂は父に隼人と二人にしてほしいと提案した。父も特に詮索することなく、すんなりと承諾し、席を外した。


 それから、家とはいえ、学校の者と接するわけなので、隼人は()()()()調子を作るべくスイッチを入れた。


「先生、今日はどうしたんですか」


 リビングに自分と担任の二人。しかも一ヶ月前に初めて出会い、つい最近担任になったばかりの者とだ。違和感も甚だしい。それなのに香坂は全く話出そうとしなかった。


 沈黙の時間は、隼人の心をじわじわと焦らしているようにさえ感じた。香坂の意図が全く分からない。仮病で休んだことを叱りに来たのか、それとも……。ひとつ確かなことは、香坂の視線が、隼人の些細な感情も見透かすようなものであることだった。


 五分ほど経って、香坂はやっと口を開いた。


「とりあえず、元気そうで良かった」


 最初の一言が、意外にもありふれたものだったので、隼人は少々拍子抜けした。


「まぁ仮病だし、そりゃあ元気か」


 仮病とバレていた。隼人は驚くよりも、やはり香坂の人を見る力に感心した。新人だし、教師の右も左も分からないまま担任を務めることになり、そのプレッシャーは計り知れないはずなのに、まるでベテラン教師のような距離感だ。


「なんかすみません。仮病なのに家まで来てもらっちゃって」


 こういう所は香坂の律儀なところ。自分の抱えたことは全うするような姿勢は、この一ヶ月の間、要所要所で伝わってきた。普通ならこの夕方が一番忙しい時間のはずなのに、自分の時間を割いて家まで来てくれた。なかなか誰もができることではないだろう。


「今日来たのは、何かを探りに来たとか、そういうのじゃなくて。私の話をしようと思って」


 香坂の告げた今日のテーマは、隼人の予想の斜め上をいくものだった。香坂の話……誰も聞きたいなんて言ってないよな……? それでも本人はその気っぽいので、隼人は黙ってその話を聞くことにした。


「私ね。恋人できたことないんだ」


 突然の告白に、隼人は唖然とした。香坂の目を見れば、それが嘘でもない、ただ寄り添うためのデタラメでもないことが容易に受け取れた。


「私の高校時代は、感染症が大流行したから、たぶん一般的に想像される高校生の青春ってのはあんまり無くて、どこか人と近づきにくい環境だったんだ。でも私は、正直あの環境が心地よかった」


 香坂はお茶に口をつけながら、淡々と話を進めた。


「でもやっぱり、どの時代にも恋愛はあるし、私の友達の間でも恋バナとかは日常茶飯事で、特にそれに対して抵抗感もなかったし、一緒になって楽しんでた。でもね」


 視線をカップに落とし、香坂は一息置いた。


「それが私のことって思うと、分からなかった。誰かを好きになるとか、付き合いたいとか、そういうの全部」


 隼人の心はすっかり香坂の話に魅了されていた。重く縛られていた孤独な心が、少しだけ救われたような気がして、いつの間にか胸の奥から熱い何かがじんわりと込み上げていた。


「先生も......好きって何か分からないんですか……」


 こんなのいつもの「藤代隼人」じゃない。知らない間に入れたはずのスイッチが切れ、隼人はいつになく弱音を吐くように尋ねた。何か助言されたわけでも、具体的な解決策をもらったわけでもなく、ただ、先生の話を聞いただけなのに、隼人は涙が溢れてきた。


「わからない。でも、私は、わかるフリをしたの」


 目を赤くしたまま、隼人は顔を上げた。香坂も、隼人の顔を見て、すっと口角を上げ、目元をほころばせた。


「嘘ついたの。あの子が好きなんだとか、あの子と付き合いたいとか。そうすれば、周りに浮かないし、空気も喜ぶでしょ?」


 そうだ。隼人も嘘をついて、その時求められている「藤代隼人」を演じている。リーダーが嫌なわけじゃない。でも、今、心の底からなりたいリーダーになれてるのだろうか。心の答えが分かっても、脳は受け入れようとしていない。それでいいのだろうか。


「段々、社会的にも色々な言葉が生まれて、私も納得するセクシュアリティが見つかった。私の場合はアロマンティックかな。でもね、私思うの」


 香坂は、涙を拭う隼人をしっかりと見た。


「それは言葉に過ぎないし、ストレートじゃないからってカミングアウトする必要もない。できるだけ嘘はつかない方が良いけど、できるだけでいいんだよ」


 隼人は拭っても拭っても涙が止まらなかった。嘘をついてる自分が嫌いだった。自分は何者なのか分からなくて、周りが求めている者になった。でもやはり、その嘘にずっと後ろめたさを感じていた。


「俺は……っ......俺のままでいいってこと......?」


 香坂はおおらかに笑顔を浮かべて、頷いた。全部受け止めなくたっていい。右か左かしか考えていなかったから辛くなる。答えは二つじゃない。みんなの前では普通の男子高校生でいたっていい。本当の自分を心の中だけで信じられれば、それが嘘でもきっと大丈夫。


 隼人は呼吸を整えて、香坂を見た。自分と向き合う時が来た。きっとこの人なら、受け止めてくれる。


「......先生が前に、学級委員やりたくないでしょって言ってきた時ありましたよね。あれ、図星でした」


 香坂は何も言わずに隼人の言葉をひとつずつ聞き取る。


「俺は......きっと学級委員になることで......普通の男子高校生になれるって......そうすればみんなのリーダーになって、昴たちと同じ輪に括ってもらえて......自分はおかしくないって思えてた......でも本当は普通じゃない......」


 すると、香坂は隼人の言葉を遮った。


「話したい人にだけ、話せばいいんだよ。藤代君が選んだ人なら、きっと受け止めてくれるから」


 その時、父親が部屋に入ってきた。香坂は身支度を簡単に済ませ、父に一言言って帰っていった。去り際目が合った時の視線が、隼人の背中を押していた。


 自分が選ぶ人なら......。確かにそうだ、香坂も受け入れてくれた。自分以外に伝えたい人......父親、そして......。


「ずっと家の前にいたから、連れてきたぞ」


 父の後ろに隠れていたのは、昴だった。


「本当は、伝えて欲しいって先生にお願いして、自分は来るつもりは無かったんだけど......先生に、自分の言葉で伝えて、自分の耳で受け止めなって言われて」


 昴の顔を見て、少し収まった感情が再び湧き上がってきそうになった。そしてふと、隼人は一ヶ月前の帰り道を思い出す。昴にホームで別れる間際、もらった言葉。


――たまには、嘘も大事だぞ。正直にいることで弱る必要はない。


 昴もずっと、教えてくれたんだ。自分に今、必要な標を。


「俺はさ、隼人がどんな人であれ、俺の見てる隼人が好きで、友達になったんだから。隼人は、隼人でいいんだよ」


 今も変わらない。昴は、受け止めてくれる。父親も、しっかりとその目で、隼人の決心を見届けようとしている。繕っていても、仮面をかぶっていても、リーダーを演じていても、自分には正直でいよう。心と脳が初めて歩調を共にしている。隼人は少ししゃくりあげながらも、ゆっくりと口を開いた。


「父さん......昴......俺は......」


 隼人が打ち明けた、七文字の本当の自分を、父と昴は、真っ直ぐに、受け取った。

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