不協和音
時計の針は五時を回ろうとしている。この時間は大概の高校生が睡魔に襲われている。隼人も教室を見回すと、ほとんどの人が心ここにあらずで会が進んでいた。
「ってことで、じゃあ最後に学年代表、締めの一言お願いします」
今日の委員会の進行役であった一組の学級委員から話を振られ、隼人は前に立った。委員会の学年代表を務めるのは去年から二期連続。似た顔ぶれの揃う委員と、そして担当の教師からの無言の圧を感じて、やらざるを得なかったという次第だ。とはいえ、人前に立って話すのは嫌いじゃない。隼人は慣れた調子で話し始めた。
「えぇ、最高学年ということで、受験などそれぞれの進路決定の岐路にもある大事な一年間ですが、自分はそもそもとして、陽川高校が好きなので、胸張って最後まで陽高生として、生活したいです。最後の一年間全力で盛り上げるので、改めて、よろしくお願いします!」
隼人の言葉に、睡魔との戦いから戻ってきた一同は拍手で応えた。「よし! やってやろうぜ」といった気概を感じ、胸が暖かくなる。決して都会の進学校でも最先端の人気校でもないけれど、純粋に高校生活を楽しむ同級生の作る雰囲気が好きだった。
隼人は嬉しさを少し顔にこぼしながら、改めて皆を見回した。皆いい顔をしている。すると、ある一点に隼人の視線は止まった。二組の女子の学級委員は朱莉だった。皆が花を咲かせる中、朱莉は一人、隼人を睨んでいるように見えた。
(無理もないか……)
朱莉の冷たい矢に、隼人は対する言葉もなかった。自分を恨んだって仕方のないこと。でもなぜか、今の矢はより鋭く感じた。
会が終わり、今日の会場が九組であったので、共に学級委員を務めることになった女バスのキャプテン、水野茜と机を元に戻していた。
「隼人、さっきのは格好つけすぎじゃない?」
茜はそう言って、隼人を茶化した。隼人も格好つけたつもりはなく心外だったので、軽く反抗した。
「別に、格好つけてねぇし。おい、笑いすぎだろ」
茜と隼人は同じ中学からの腐れ縁で、昔からこうしてよくふざけ合ったりしていた。中学からスポーツ女子の茜は、うちの高校の看板部活のキャプテンを背負っている。隼人は、茜の方がよっぽど格好いいと思っていた。
「好きってあんなに自信満々に言えるのは、すごいことじゃない?」
茜は特に意図もなく言ったのだろう。しかし隼人はそれを聞いて思わず、はっとした。
「好き......俺、好きって言ってた?」
「うん。めちゃくちゃ自信満々にね。でもほら、隼人は言い慣れてるでしょ」
隼人は顔を陰らせた。自分が高校に感じる感情は、確かに間違いない。でもそれは人に向ける感情とは毛色が違うと思っていた。でも、好きというのは、そういうことなのかもしれない。好きとは、いったい何者なんだ。
「ねぇ、隼人。もしかしてさ、朱莉ちゃんと別れた?」
不意に、茜に真実を突かれ、隼人は狼狽え、机につまずいた。図星とみた茜は、「なるほど」と自分の中で納得して、直し終わった自身の席に座った。
「隼人、最近、悩んでるでしょ」
隼人は茜に何もかも見透かされている気がして、驚いた。
「なんで......」
「だって、隼人ってうちらの中じゃ元気で誠実なリーダーって感じじゃん。でも最近は、なんか無理してるなーって気がしてたんだよね」
茜の勘は鋭かった。長い付き合いだからこそ、感じる些細な部分もあるのかもしれない。隼人は、「茜になら」と、少し胸の内を打ち明けようと思った。
「ちょっと、話聞いてもらってもいい?」
「んー、まあ今日はオフだし、いくらでもいいよ」
隼人は茜のお言葉に甘えて、茜の対面に腰を下ろした。
「俺、朱莉から言われてハッと気づいたんだけど……好きって気持ちが分からなくなっちゃってさ。さっき言った、陽川高校が好きだってのは嘘じゃないし、でもそれとこれとは違うっていうか……」
いつもはさっぱりとした関係でも、こういう時は凄く真剣に聞いてくれる。隼人は茜の眼差しを見て、そう思った。
「なるほどね。ちなみにさ、朱莉ちゃんと付き合った時初めはどうだったの?」
「......言葉にするのは難しいんだけど、なんか胸がざわざわしたっていうか。でも、その気持ちを今は違うところで感じるんだよ」
「違うところ......?」
しかしそこで、隼人の口は止まった。どうしても越えられない大きな壁がある。本当は向き合わなきゃいけない。それなのにやはり、越えられずにいた。それはきっと、越えた時に失うものが大きすぎるから。茜も、そしてもちろん昴も失いたくない。壁を越えた先がどれだけ怖い世界であるか、隼人自身が一番分かっていた。
その時、扉がガラリと開いて、同じクラスの女バスの戸川咲が茜を呼びに入ってきた。
「ここにいた! 茜、樹里ちゃんが帰る前に職員室に来て欲しいってー。この後打ち合わせあるらしいからちょっと急ぎ目の方が良いかも」
「ありがとー! おっけー、今から行くわ」
茜は立ち上がり、廊下側の窓を閉めた。その時、ふと廊下に人影が見えた。
(......朱莉ちゃん?)
しかし人影はもうすでに廊下には見えず、気のせいかと思って茜は荷物を持った。一方の隼人は、どさくさに紛れて相談が曖昧な形で終わり、少し安堵した。
「あ、そういえば。樹里ちゃん、めっちゃ優しいから、相談してみれば?」
そう言い残して、茜は教室を後にした。本当に、茜は嵐のような人だ。パワフルで、いつも動いているイメージだが、その存在は大きい。途中で相談が中止になったとはいえ、忙しい中話を聞いてくれたことに隼人は心で感謝した。
(香坂かぁ......)
隼人も席から立ち上がり、帰り支度を始めた。窓の外は花曇りで、ところどころ雲の薄くなっているところから、オレンジの光が映っていた。
週明け、月曜日はいつも体が重く感じる。最寄り駅のホームでちょうど会った昴は、そのだるさをより顔に滲ませていた。
「昴は今日の数学の宿題終わってるの?」
「えっ、宿題あるの」
「あるよ。何ならその範囲の小テストもするって言ってたし」
「まじか、樹里ちゃん言ってなかっただろ」
「言ってたわ。お前が寝てただけだろ」
昴は口をとがらせ、不満そうにした。すると、後ろから名前を呼ぶ声が聞こえた。反応した二人は振り返ると、そこにはしんちゃんと海渡が走ってきているのが目に映った。そして勢いそのまま、二人は隼人に迫った。
「おいおいおい、隼人。お前マジかよ」
しんちゃんは開口一番に隼人に絡んだ。隼人はいったい何の騒ぎか分からず、ぽかんとした。
「いや惚けんなって、秦さんと別れたらしいじゃん」
隼人は耳を疑った。しかしながら事実ではあるし、今まで広まっていなかったのがむしろ普通ではなかった。とはいえ唐突に騒ぎになっているので、隼人は誰かが広めたとしか思えなかった。
「学年一のカップルが、なんでよりによって」
しんちゃんと海渡の質問攻めは止まらないので、呆れた昴は二人の肩に腕を回して、隼人から引き離した。すると、ふと海渡が奇妙なことを言い出した。
「しかもさ、隼人がゲイかもしれないって、そんなわけないよな。なぁ隼人」
(......は?)
隼人はその時、世界が凍り付いたかと思った。昴の肩越しに振り返る海渡と視線が合って、鼓動が荒くなる。別れ話が広まるのは無理もない。しかしなぜ、そんな噂が。しんちゃんだけじゃない、恐らく初耳であろう昴もさすがに、そのことには驚いているようだった。
「......な、んなわけないだろ。何言ってんだよ急に」
咄嗟に否定した隼人の言葉を聞いて、彼らの注目は緩んだ。言い出た海渡も安堵の声を漏らした。
「だよな、良かったあ」
良かった? 隼人は海渡のたった一言が心に引っかかった。ふと隼人は周りを見渡す。すると、どことなく、視線を感じる気がした。今、自分の知らないところで何かが広まっている。怖い。しかし何よりも、その噂の真偽について心と答え合わせするのが怖かった。間違っていること、そんなわけないと思っていたい。
風が木々を揺らし、葉音を立てている。隼人は何事もなかったように、昴たちの方へ歩み寄った。鼓動をバレないように抑え、話題を変えた。そんな様子を、昴は横目で見ていた。




