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ブレーキ

 梅雨になって、寒さが戻ってきた。六月なのに、ジャージを着ていても寒い。


「さーむいな、今日」


「ちょっとコンビニ寄ってく?」


 喜一の言う通りにして、悠斗らはコンビニで揃って肉まんを買った。


「六月に肉まんとか、季節外れな感じだよね」


「そうだな」


 それから二口くらいは、黙って食べた。中の温かい湯気が上っていく。雨の強さは弱まり、車が水をはじく音がよく聞こえた。


「喜一はさ、役者はやらないの?」


 唐突な質問だったからか、喜一は珍しく表情を固めた。


「あー、そうだね。役者は俺には向いてないかな」


 どこかぎこちなさを感じた。おそらく触れてはいけない喜一のテリトリー。彼にもそんなテリトリーがあるんだと知って、悠斗は意外さと、親近感も感じた。


「ペネロペってギリシャ神話のペネロペでしょ?」


 喜一はすぐに話題を変えた。


「うん。なんか変だった?」


「いや、めちゃくちゃいいタイトルだと思う。普通に見たら王道のラブストーリーだけど、そこにひねりが加えられてることで、より重厚感というか、罪って言葉が惹きつけるよね」


 喜一は最後の一口を口に入れ、手をはたいた。


「絶対、良い芝居になるよ」


 さっきの表情はいずこへか、自信に満ちた表情で振り返る。今ではその真っ直ぐな彼も、ひねくれずに受け止められるようになった。







 稽古も始まり、キャスティングも固まってきた。うちは人数が少ないので、一人二役になってもらうこともある。衣装替えもあるので、無理のない役振りが必要だった。


「え、俺メイド喫茶やりたいんだけど」


「いやいや、しんちゃんのメイド姿とかどこにも需要ないって」


 クラスはロングホームルーム、文化祭の出し物決めで盛り上がっていたが、悠斗は一人、仮決定した脚本とにらめっこしていた。


「そしたら、これで決まりかな」


「そしたら、申請は零士よろしくな」


「あいよー」


 どうやら出し物が決まったようだ。それにしても、前に立つ隼人は、完全に調子を復活させていた。実際彼が否定したことで、噂が下火になるのも時間の問題。隼人が学校に来るようになって数週間が経って、だいぶ冷ややかな視線は無くなってきた。しかしそれ以上に、悠斗には彼が、軸を確かなものにして復帰してきたように思える。悠斗にとっては、あれも「大人」に見えた。もしかしたら大人とは、もっと広いものなのかもしれない。


「悠斗、一緒になんかやらない?」


 今度は担当決めの時間になって、悠斗は顔をあげた。


「うん。いいよ」


「そうだなー、あ、ドリンクとかどう?」


「俺はなんでもいいよ」


「じゃあ、決まり。隼人! 俺と悠斗はドリンクで!」


「おっけー」


 文化祭とか、二年間そこそこ手を抜いてやって来た。今年も何となくで流すつもりだったけど、喜一に身を任せていたら、そうもいかないようだ。それでも、大して嫌な気はしなかった。


「んーじゃあ、ドリンクで」


 その時、脚本に視線を戻そうとした悠斗は思わず顔をあげた。篠原がドリンク担当の残り一枠に立候補した。クラスの誰しもが、ホールスタッフだと思っていたので、みな、驚きを隠せないでいる。篠原はいわゆる一軍の女子の類だ。悠斗の印象では、いつも木島や三田にくっついているイメージだ。そんな彼女がひとり、ドリンク班に立候補した。どういう風の吹き回しだろうか。


「恵那ちゃん、都落ちかな......」


 誰かが小声でそう話しているのが聞こえた。悠斗は無性に恐怖を感じる。他人に深くかかわると、自分が傷つく。隼人も、篠原も、気の毒でならなかった。


「篠原さん、どうしたんだろ突然」


 喜一がこそこそと悠斗の席にやって来て、小声で話しかけてきた。


「さあ、女子は怖いからな人間関係」


 悠斗は篠原の顔を見る。西日に映える彼女の顔には、寂しさではなく、決意のようなものが見えた。


 その時、悠斗と喜一の両方の携帯のバイブレーションが同時に鳴った。二人ともチャットを開くと、部活のグループチャットに一件通知が来ていた。


「悠斗......これ」


 悠斗は冷や汗がする。やはり、最近は何かと上手くいきすぎていた。西日が雲に隠れ、教室は蛍光灯の光が目立つようになる。


「......マジか」


 その通知は、主演にキャスティング予定の後輩からだった。

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