どっちが不器用
電車は田園風景を走る。田植えが終わったこの時期は、どこまでも続く緑の色が、朝陽を逞しく跳ね返す。三年間見てきたこの風景、卒業のその日まで、目に映るこの景色の印象は変わらないと思っていた。それなのに、その予想はあっという間に崩れた。あの日、喜一と再会してから、その景色はより鮮やかに、そして少しの怖さもあった。
今まで、大人になることは、人と交える自分のテリトリーを少なくしていくことだと思っていた。それに気づいてからは、必要以上に人と関わらないようにして、熱くなっている奴らを横目に見るようにしていた。いや、青春とやらを蔑んでいたのかもしれない。正直に言えば、喜一もその一人だった。でも彼は、自分の心の中でそれだけでは片づけられなかった。
――ジェレミー・ルイス好きなの?
あの瞬間、見えてしまった。自分にも蔑んでいた世界に進める可能性を。本当は蔑んでいたと同時に、羨ましくもあったのかもしれない。まだ大人にならなくていい、そう思える世界にいる人たちのことを。
だから、知りたかった。思い出したかった。自分が無理に避けてきたものを、もう一度。
「はるかわー、はるかわー、ご乗車ありがとうございます」
※※※
「悠斗、演劇部に来てくれない?」
風でノートのページがパラパラとめくれる。それは、時を遡るようで、あの頃捨てた時代に戻って行くようだった。
「......俺が?」
「うん。今度の夏にあるコンテストに出場する。二年間出たんだけど、結果が振るわなくて。俺が考えた脚本じゃダメなんだなって思ってた。でも、昨日、これだって思った。この話なら、最後の挑戦、悔いなくできる。やりきれるって」
「そんな、俺のやつじゃ......」
「最後なんだ。最後にもう一度、挑戦したいんだ」
なんでこんなにも熱くなれるんだろう。なんでこんなにもまっすぐでいられるんだろう。回り道しかできない自分と、真っ直ぐにしか歩けないお前、どっちが不器用なんだよ。
「......最初で最後、だな」
この決断は、正しいのだろうか。一度大人になろうとした者が、そんなに簡単に道を踏み外せるだろうか。きっと、ひとりでは無理だ。でも、ひとりじゃなければ......。目の前の顔は、雲間から覗き出た太陽のように、みるみるうちに喜びを灯していった。
※※※
一ヶ月前は英単語が流れていたイヤホンからは、読み上げ機能によって自分のかつて書いた物語が流れている。今度のコンクールは『オルフェウスの奏』ではいかないつもり。尺の都合でカットするよりも、新作を書いた方が早いという判断になった。そうともなれば、今までの物語を踏まえて、新たな命を吹き込む。
ゴールデンウィーク明け、テストは一気に定期試験モードに入る。特に推薦組は大勝負といったところなので気合の入れようは凄まじい。悠斗は一般受験組だったので、さほど定期テストに気にする必要は無かった。
「先生―、隼人今日も休みなんすか? 最後の大会なのに部活にも来ないし」
教室に入ると、教卓の前で日高は香坂に訴えていた。思えば、藤代隼人は最近その顔を見ない。そういえば以前、不確かな噂が流れていたっけ。本当かどうかわからぬ話に踊らされるのは、みっともない。しかし、自分と違うもの、普通と違うものを受け入れ難く感じるのも、人間の性だ。結局のところ寛容できるのは、悠斗のように人に踏み込まない人か、自身の内に少なからず理解できる因子があるからだろう。
「悠斗ー! おはよう」
喜一も相変わらずの様子だ。
「おはよう」
「あ、企画書読んだよ。めっちゃよかった。なんか家で色々イメージ膨らんだし。今日の部活で早速会議だね。時間もないし、急がないと」
「そうだな」
喜一も噂に踊らされていないのは、きっと他に考えるべきことがあるからだろう。演劇部が挑戦するのは、七月にある県のコンクール。そこで入賞をするのが目標だ。本番が七月として、五月中には脚本を固め、六月中は稽古。七月に入ってコンクールまでの数日でリハーサルと、かなり急ピッチなスケジュールであった。
放課後、悠斗と喜一は揃って演劇部の部室へと向かった。
「おつかれー」
「おつかれさまでーす」
中には後輩たちが数人入ってる。今の演劇部は三年は喜一と悠斗の二人、それから二年と一年にそれぞれ五人の十二人だった。元々は三年が喜一の他に四人いたが、全員気持ちが切れたのか、受験勉強を理由に去っていった。
「ちょっと集まって、企画書できたんだけど」
「お、先輩遂にっすか」
悠斗は全体にプリントを回す。
「......ど、どう?」
悠斗は恐る恐る周りの表情を伺う。みな、顔色を変えずに黙々と企画書に目を通す。しばらくして、内の一人が声をあげた。
「これ......めっちゃワクワクしますね!」
それを皮切りに、みな口々に賞賛と自分らを奮い立たせる声をあげた。安堵した悠斗は横目で喜一にアイコンタクトをとる。喜一も「ほらな」と言うように、目を合わせてふと笑う。
「まだまだ煮詰めるポイントはあるから、みんなで意見出しあっていこう」
「はい!」
悠斗は体の隅から、じわじわと熱が回り出すのを感じた。自分が蔑んでいた人たちは、三年間この感覚を味わっていたのだろうか。きっと傷つき、苦しむ。そうと分かっていても、未来に期待をせざるを得ない。青春とは、なんて残酷なんだろう。この残酷な時間に、悠斗は初めて身を委ねてみることにした。
部員たちは稽古部屋へと移動する。ふと、悠斗は頭に言葉が降りてきた。そして最後になった悠斗は、ボードに貼った企画書に一言書き添えて、電気を消した。
『タイトル:ペネロペの罪』




