十八歳
悠斗は驚いて音を立てて椅子を引いてしまった。
「あ、ごめんごめん。急に声かけちゃって」
「あ、いや......こっちこそ大袈裟に......」
彼は少し申し訳なさそうにしながらも、ニコニコと笑う表情は変えなかった。
「俺、入学式の日に話したよね? ほら、ジェレミー・ルイス!」
悠斗の心の中にずっとあったあのシーンを、彼も覚えていることを知って、自ずと心が温かさに包まれる。いつもなら引いている線が、彼には通用しない。引いているのに、彼にはそれが見えていないのか、容易く踏み越えてきた。
「ああ、うん。覚えてるよ、演劇部だよな確か」
「そう! そっかー、とうとう同じクラスになれたのか! 二年越しの伏線回収ってことね」
伏線回収という言葉を使うところに悠斗は親近感を抱く。本来なら絶対に合わないと決めつけるようなタイプの彼なのに、どうしたものか、その定規は役立たないようだ。
「ってか、それ。悠斗も物語書くの?」
彼は机に置いた悠斗の携帯の画面を指す。容赦なく踏み込んでくるゆえに、彼の声は大きかった。
「ちょ、ちょっと声大きいかな」
一応、物語を書くのは自分の世界の話。今こうして自分以外にバレているのは初めてで、悠斗も予想しない展開になっているため、色々と心が焦っている。しかも、初対面で呼び捨て。ツッコミも追いつかない。
「あ、ごめんごめん。いや、なんか嬉しくてさ」
整えて線を引き直しても、どうやら彼には意味のないようだ。悠斗はいつもの癖を諦めた。
「えーっと、うん。趣味程度だけど、たまにね」
「まじかー! うわ、もっと早く仲良くなればよかった」
彼は自分の気持ちを率直に述べる。おそらくそこに、歪曲などはないだろう。
「あ、えーっと。一緒に食う? 弁当」
「え、いいの?」
「うん、たぶん嵯峨は、昼練で帰ってこないだろうし」
「やったー! じゃあお言葉に甘えて」
彼はすぐに自席から弁当を持ってきて戻ってきた。
彼の弁当は悠斗と同じ二段式の弁当箱に、スープジャーまでついている。
「これ、昨日の残りの豚汁。いつも作りすぎちゃうんだよね」
彼はそう言ってきちんと手を合わせから、食事を始めた。
「そういえばさ、チャット交換しようよ」
「お、うん。いいよ」
自分から誘っておいて、悠斗はろくに口が回らなかった。初めは食事を言い訳にしていたが、それも限りがある。気づけば弁当のおかずは残り一つになっていた。
携帯のアプリからQRコードを読み取ると、彼のページに遷移した。そこで初めて名前を知る。
(Kanda Kiichi)
ローマ字で書かれた名前に、おしゃれなアイコン。友達の自画像やふざけたようなアイコンとは違って、どこか「大人」っぽかった。
「へえ、悠斗、この前のジェレミー・ルイスのポップアップ行ったんだ」
「あー、ちょうど東京に用があってさ」
「えー、羨ましいな」
喜一が話を振ってくれるおかげで、その場の温度感は何とかなっていた。今まで人とのかかわりを避けていたことが悔やまれる。
「俺はね、『unknown』か『The First Kingdom』が好きなんだー、グッズあった?」
「うん。グッズだけじゃなくて簡単な年表とか、コメントとかも」
もし、二年前のあの時に、喜一から遠ざかっていかなければ、一緒にポップアップに行っていたかもしれない。いや、でも誘うと来るとは別問題。やはり喜一と話していると、らしくもなく、期待が未来を覆う。
「悠斗は何が好きなの?」
「えーっと、そうだな一番は......『Orpheus』かな」
「うわ、デビュー作か。めっちゃいいセンス」
『Orpheus』はジェレミー・ルイスのデビュー作で、世間的にはあまり有名な方ではない。しかし悠斗は、この作品から、ルイス監督に魅了された。ギリシャ神話に出てくるオルフェウスを描いた作品で、彼が十八歳の時に作った。悠斗も今年で十八になる。当時の彼と同じ年齢で、何もできていないもどかしさを感じる。でも、そのもどかしさを昇華させるために創作していた。
「あ、それで、『オルフェウスの奏』?」
喜一に話題を戻され、悠斗はしばし忘れていた恥ずかしさを思い出した。
「あ、うん。そうそう」
「へえ、めっちゃいいな。俺もさ、演劇部で監督とかやってるんだけどさ、いまいち脚本の才能が無くてね......」
喜一は後ろ髪をさする。それから豚汁を一口すすった。
「ねえ、よかったら読んでみてもいい?」
そう来ると思った。物語が好きで、おそらく好きなジャンルも一緒。そんな彼のことだ、この流れは必然だ。ましてや、悠斗にも断る理由がなかった。
「あ、ああ。データで送るよ」
ファイルに保存していたデータのリンクを先ほどのSNSのチャットに貼った。
「うわ、楽しみだなー帰ったら読むね!」
不思議な胸の高鳴りが聞こえるようだ。不安と興奮が入り混じって、どっちともつかないような気持になっている。時刻はまもなく予鈴が鳴る頃。昼練組も間もなく戻ってくるはずだ。
「喜一は芸術選択なんなの?」
「俺はもちろん音楽。悠斗は?」
「俺も。音楽の授業、たまに映画見れるし」
「それな。マジで当たりだよね。ちょっと待ってね、準備してくる」
喜一は弁当袋に弁当箱とスープジャーを入れて、自席に戻って行った。悠斗も、最後のおかずを口に入れ、言葉にし難い感情を一緒にしまって、弁当箱の蓋を閉じた。




