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胸の奥の時計

 アラーム音が鳴り響く。手だけを動かして、それを止める作業に入る。部屋は暗いが、遮光カーテンの外側には光が溢れていた。


「ふわぁ」


 まだ働き始めない脳を起こすべく、カーテンを開ける。この町の音からして、およそ十時くらい。悠斗は携帯で時間を確認して、自分の中で答え合わせをした。


「え、もう十二時」


 気づけば今日も午前中が終わっていた。近頃はこんな日々が続く。漠然と何かに追われている気がするのに、始め方が分からない。デスクトップの原稿データはしばらく更新されていなかった。


「......腹減ったな」


 とはいえ、人間の三大欲求には抗えない。悠斗は重い腰を上げて、台所をしばらく漁った。


「カップ麺でいいか」


 先日買いだめしたカップ麺も、段ボールの中にあと三つしか残っていない。このメリハリのない毎日は、いったいいつから始まったんだろう。


 カップ麺の蓋に箸を置き、携帯のタイマーで三分計ろうとした時、一件通知が来た。悠斗はそのバナーを見るなりすぐにメールアプリを開く。そしてすぐに視線をカップ麺に戻すのだった。


「ファッションバトル―のコーナー!」


 テレビはいつもの通り。チャンネルを回しても、主婦向けのバラエティか、ドラマの再放送か、変わり映えのしない情報バラエティだ。そんな時は決まって、悠斗はローカル局にチャンネルを合わせる。


「今日の午後シネマは、三週連続、ジェレミー・ルイス監督特集!」


「へえ、ジェレミー・ルイスか」


 ジェレミー・ルイスといえば、ハリウッドに新風を巻き起こした若手監督。今ではその名を世界に轟かせ、数々のヒット作を世に放つ。


 この時間のローカル局は、映画を放送していて、作品のチョイスもいい線を突いてくる。悠斗は三分経って出来上がったカップ麺をすすりながら、映画を見始めた。


 映画は昔から好きだった。自分というしがらみから逃れられる気がして、好きだった。それから、自分で物を書くようになった。最初は趣味程度に、そして大学の頃にはウェブに投稿し始めた。かといって、文芸部やその類のサークルに入ったわけではない。悠斗はそれで良かった。物を書くというのは自己満で、自分が書きたいものを書く。それだけで、幸せだった。


 数時間経って、映画が終わった。日は傾き始めている。悠斗はいつも、映画などの作品に触れると、インスピレーションが湧いて、何かを書きたくなる。それなのに近頃は、そのワクワクも枯れてしまった。


 試しにデスクに座ってみる。キーボードに手を置いて、文字を......。


「やっぱりダメだ」


 いつからだろう、書けなくなったのは。スランプなんて都合のいい言葉を使うつもりはない。ある時から、書くことに喜びを感じられなくなった。書こうと思えば書けるけど、結局全て白紙にするのがオチだった。


 席を立って外の光を浴びてみる。その時ふと、ある賞状が横目に映った。


『佳作:オルフェウスの奏』


 いつになっても忘れない。あの日の興奮と、達成感。たまたま高校時代に書いた脚本が、監督の目に届いて、映像化した。それは棚から牡丹餅のような偶然だったが、いざなってみれば有頂天。その興奮は、あいつにも共有したものだ。


 あの時書いていた物語はもう一つあった。悠斗は何となくその脚本を棚から探して、開いてみた。


「そっか......」


 ページは途中で終わっている。自分が持っているのは原案の方で、完成版はあいつが持っているんだった。悠斗は久しぶりに一からその物語を読み通した。描写の粗さも、語彙もまだまだ。それでも、今に比べて熱がある。ページをめくる指からあの頃の青春が流れ込んできて、胸の奥の時計が動き出した。


――あの頃は、こんなにも楽しんでいたんだな。


 今手が進まないのは、この頃にあったものがないからだろう。いや、元々の自分に戻ったのかもしれない。あの時自分があんなにも夢中になれていたのは、あいつのおかげだから。


 悠斗は脚本を棚に戻し、再びデスクに戻った。すると、携帯がバイブレーションで鳴る。


『喜一』


 悠斗は着信相手の名を見て拍子抜けした。彼からの連絡はしばらくだったから。


「もしもし?」


「あ、悠斗? 久しぶり! 突然ごめんね、今大丈夫だった?」


「お、おう、大丈夫だよ。どうした?」


 あいつは、相変わらずの陽気さだ。その陽気さは、自分の扉をいとも簡単に壊したんだ。


「あのさ、悠斗って今も脚本書いてる?」


「あ、うん、まあ」


 曖昧な返事しかできないのが情けなかった。しかし、そんな恥もどうでもいいほどに、あいつの次の言葉が動き出した胸の奥の時計をさらに加速させる。


「悠斗、俺と一緒にさ......」


――あの時の続きやろうよ。

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