I'm here.
恵那は引き戸をガラリと開け、暖簾をくぐった。地元の居酒屋には久しぶりに入る。
「恵那ー!」
懐かしい声がして奥を見ると、個室から美咲の顔が見えた。後ろには弥生もいる。
「美咲ー! 弥生ー!」
「えー、まさか来てくれるとはね。だって忙しいでしょ仕事」
「リーダー? だっけ。もうずいぶんとお偉いさんじゃん」
高いビルから下りて、居酒屋の席に座る。いつもは高い場所にいるけど、やはり、私の居場所はここに間違いなかった。
「そんなことないよ。どれだけ肩書が変わっても、結局私がいるのは、美咲と弥生と同じ。それがいいんだ」
美咲の明るさも、弥生の機転の良さも、相変わらずで安心する。あの怒りの雷鳴は、三人の結びを別つことはなかった。
「ってか、美咲今度結婚するんだって。聞いた?」
「え、なにそれ。弥生も子供いて、私完全に出遅れちゃってんじゃん」
「えー、恵那はいい人いないのー?」
この会話、言葉一つ一つが、今もここにいる。そう思えるだけで、何も怖くなくなった。
「私さ、実はね......」
悩んでいることも打ち明けられる。
「でも、気づけた。本当の優しさはさ。どんな時も優しくしていることじゃなくてさ」
あの日知った優しさを思い出した。その優しさを優子ちゃんや日下部君にも向けてみよう。きっといつか、伝わるはずだから。
「でた、恵那の説教タイム」
「ちょっと、茶化さないでよ。真剣なんだからー」
「ハハハ、いいじゃん。聞いてあげなよ今日くらいさ」
先生、教えてくれたよね。その優しさを。今は酔いに任せて、少し説教臭いことでも言ってしまおう。その優しさが繋いでくれたこの場所だから。
「それでさ、美咲のお相手ってどの人なの?」
「それがさー、高校の時の三年六組の人でさ。出会いは全然あとなんだけど、話してたら高校同じなことに気づいてさ」
すると弥生はニヤリとして、カバンから何か取り出してきた。
「そうと聞いて本日、実家からアルバム持ってきましたー!」
「うわ、懐かしいー」
大きなカバンだと思ったら、そういうことだったのか。弥生は固い背表紙のアルバムを開いて、六組のページを広げた。
「え、この人? この人じゃない?」
「あ、サッカー部の副キャプテンじゃん、ってかこの人結構モテてたよね」
「さっすがじゃん、美咲。この人は、まともな男なの?」
「ちょ、やめてよ弥生。もうどうしようもない男はおなかいっぱいですー」
三人は笑いで満たされた。それから、他のページも眺めて当時を懐かしむ。
「あ、寄せ書き! 懐かしいなー、うわ。私なんで紫のペンで書いてんだろ」
「みんな黒なのに......あれ、これって」
弥生はとある寄せ書きに指を止めた。
「10年後に......」
藤代隼人のメッセージ。そこに記されていた言葉を見て、三人の間に風が抜けたような気がした。
「これ、今年じゃん」
「え、でも集まるもん? こういうの結局なあなあになるオチじゃない?」
でも恵那は、本気にしてみたかった。
「私、行ってみようかな」
「え、マジ?」
会えるなら、会いたい。先生に会って、直接伝えたい。今の自分を、見せたい。
「土曜日、都合もよさそうだし、私行く」
「えー、じゃあ恵那も行くならうちも行こうかな」
「マジ美咲も? まあ、でもその日旦那の実家に子供預ける予定だから、行けるか」
あの頃の鼓動のように、跳ねている。三人でノート持って、廊下を歩いたあの日々のように。
「えじゃあ三人で行こうよ」
道中、懐かしい建物が見えた。もちろん、あれから10年経って、ボロボロになっているのは無理もない。でも、変わらない景色だった。
「確かこの先に......」
階段と雑木林を抜けて、足の進むままに歩く。ここは九組にとって特別な場所。
「あ、ついたんじゃない?」
視界が開けると、目の前には水平線が真っ直ぐと横に伸びている。
「あ、もういるじゃん」
恵那はベージュのコートを海風になびかせながら、ふわりと手を振った。
「藤代! 日高! やっぱり二人は来てたかー!」
声に反応して、二人の男が正体に気づく。
「お! 篠原、それに木島と三田も!」
「よかったー! 俺たちだけかと思ったから安心したぁ」
辺りを見回すと、藤代と日高の他に人影は見えなかった。
「じゃあうちらが二番目か」
「案外早い方だったね」
「それにしても、今でも三人仲良いんだね」
藤代は素敵な笑顔でグーポーズをする。
「それを言うなら藤代と日高もね」
二人も相変わらずして仲の良さが顔の映っている。その奥で夕焼けがピークを迎えようとしていた。その時、遠くから声がした。
「おーい! 隼人ー! みんなー!」
「この声は......」
草を踏み分けると音が近づいてきて、正体が段々と見えてくる。
「ほら、悠斗も急いで!」
無邪気な姿でやって来たのは、三年九組八番の神田喜一と、十四番の沢村悠斗だった。




