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私の世界の答え

 ぬるい風が駅のコンコースを吹き抜ける。妙な感じだ。


「え、なんか久しぶりな感じ」


「それなー。あ、予備校帰り?」


 弥生は恵那の手にあるカバンを指して言った。間違いではないので、恵那はひとまず頷いた。


「うちら今から陽輝君たちと会いに行くとこ」


 思えば美咲も弥生も、いつもより色気があるように思えた。


「ダブルデートとか、マジ中学生ぶりなんだけど」


「でも陽輝君がやりたいっていうからさ」


 そんな二人の惚気は、恵那に全く入ってこなかった。再び鼓動が早まる。


「ダブルデートって、こんな時間にどこで?」


「えー、恵那めっちゃ詮索するじゃんー」


「佑君の家で映画デートなんだ、それにそのままお泊りも」


 美咲も弥生も、まんざらでもなさそうだ。恵那はその様子に一層、悪寒がした。二人はまだ気づいていない。でも、高校生。付き合っているのだとしたら、ある程度は自覚があるはずだ。他人が踏み込む話でもないような気がする。それでも......。


「二人ともさ......」


 恵那はその時、脳のスクリーンに先ほどの情景を映した。テーブルに乗っていた、白い箱。ライター。そして、隙間から見えたベッド。目の前にそびえたつ、恐怖。気づけば恵那は本音を口に出していた。


「本当に好きなの? 陽輝君のこと、佑君のこと」


 こんなにも簡単に、踏み込むべきではない。そんなことは分かっていた。疑うのもらしくない。いつもの、二人に寄り添う優しい私なら、そんなこと言わない。でも、これが本音。私が私の道を歩き始めて、初めて言えるようになった自分の本当の気持ち。願わくば、二人とも首を縦には振らないで欲しかった。


「え、恵那、どうした?」


 それでも、事実は歪められない。生牡蠣を躊躇なく食べるように、毒を知らない人は、その旨味しか知らないのは当たり前だった。


「なんか夏休みしばらく会わない間に、なんか変わった?」


 恵那は予備校を理由に夏休みの間、二人の誘いを断っていた。二人から、今までよりもノリが悪いと思われるのは仕方ない。だって、中学の時も......。


「あ、陽輝君から」


 美咲はすぐに着信に反応し、携帯を耳に当てながら数回頷いた。その時の顔は、まさに恋をしている乙女だった。


「恵那ごめん、そろそろ行かなきゃだわ」


「ちょ......」


「また休み明け! じゃあね」


 無力にも伸ばしかけた手を、恵那は呆然と見つめた。美咲も弥生も、笑っている。この前までは、私もあそこにいた。でもその記憶は、遠い昔のようだ。


「私には......」


 私には関わる筋合いはない。あの二人の空間に、もう私の居場所は見いだせない。それでも、伸ばした手は簡単に下ろせなかった。


(私が止めなきゃ......なのに)


 鼓動だけを残して、恵那の視界から二人が消えた。追いかけようとしたのに、その足をがんじがらめにする記憶に、勝てなかった。







 新学期が始まり、陽川高校の最初の一週間は文化祭の準備期間に充てられる。校舎はどこか浮ついた空気が流れ、お祭り前のわくわくが募る時。でもそれは、一般的な話で、殊に恵那の心は外の曇天をリンクしているようだった。


「うわー、なんか雨降りそうだね」


 神田は窓の外を見て、憂いた顔をする。


「そうだね。あれ、買い出し行かなきゃだよね」


「うわ、忘れてた! 雨降る前に行かないとかぁ」


 神田も沢村も紙コップが足りていない件をふと思い出し、顔を見合わせた。


「篠原さん、ナイス。でも、この仕事キリ悪いし......」


 教室内はそれぞれの仕事で盛り上がっている。その時、ガラリと扉が開いた。


「みんなやってるー?」


 陽気な声が響き、教室内は一気に活気づいた。


「樹里ちゃんー!」


 五カ月前は、彼女のかけらも知らず、むしろ下に見ていたくらいなのに、今では香坂の人気は誰もが認めていた。


「樹里ちゃーん!」


 ちょうどいい所に、という調子で神田は大きく手を振り、香坂を呼び寄せた。


「ちょっと一瞬買い出し行かないとでさ、篠原さんとこの作業やってほしいんだけど、手伝ってくれる?」


 神田の相変わらずの愛嬌に、香坂は快く承諾した。間もなくして神田は沢村を連れて、急いで買い出しに向かった。


 教室の一角、賑やかな空気といえど、恵那と香坂の二人の空間は、少し落ち着いていた。


「それで、最近どう?」


 香坂は手を止めずに、何気なく聞いた。恵那もそれと同じように何気なく答える。


「うーん、普通かな」


「そっか」


 恵那はいつも思う。香坂は距離感が掴めない。他の先生よりは近いはずなのに、一線は越えてこない。その絶妙な関係性が、生徒の心をこじ開けさせているのかもしれない。


「あのさ、樹里ちゃん」


「なに?」


「樹里ちゃんは優しいって思う? 自分のこと」


 恵那も香坂と同じくして、手を止めずに聞いた。


「難しいね、その質問は」


 香坂は目をほころばせて答える。恵那はこの勢いで、全てを話したくなった。この一週間、悶々とした気持ちのまま、誰にも話せずにいた。でもそろそろ、閉じたチャックが限界だった。


「先生、あのさ」


 すると、香坂は不意に立ち上がって、荷物をまとめ始めた。


「篠原さん、場所変えよっか」






 神田たちが帰ってきて騒ぎにならないように、戻ってきたらこちらに来るように藤代に伝え、促されるがまま恵那は、数学準備室に入った。


「それで、続きどうぞ」


 再び二人対面になって、作業を続けた。ここでなら、話せる。閉じたチャックを少しずつ開けて、恵那はこの前のことを話した。


「......ちゃんと対処しようと思えば警察とかにも言えるんだけど......」


「そうじゃないんだよね」


 香坂は欲しい言葉をくれる。察しが良い。


「私は、私の道を歩くようになって、逃げられた。おかしいって思えた。でもそれは、私の世界の答えで、いままでは美咲や弥生に併せた世界だったから、その世界の答えが二人にとって最善になるのは確かで......でも今の世界の答えは、二人にとっての最善なのかなって......」


 恵那は思いを素直に吐露した。話すほどに抽象的な言葉が多くなり、わかりづらかったかもと思ったけど、恵那は香坂の表情を見て安心して話せた。


「篠原さんは本当に優しいよね」


 香坂は一瞬手を止めて言った。でもその言葉は、初めて恵那の欲しい言葉ではなかった。


「先生、その、優しいってなんなんですかね。この前、沢村に言われて、私も薄々気づいてたんだけど、私が美咲や弥生にかける優しさって、なんなんだろうって......」


 ちょうど雨音が聞こえてきた。ポツリ、ポツリと、段々と雨足を強めて、あっという間にグラウンドを湿らせる。その視線を香坂に向ける、その時。


「どんな時も優しくあれるように」


「えっ?」


「篠原さんの優しさはそういう優しさ。でも本当に優しくありたいならさ......」


 遠くで雷鳴が聞こえた。香坂が視線を上げる。


「......怒らないと」

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