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自分は間違ってる

 突然降ってきた雨に、思わずカフェへ誘われた。藤代隼人(ふじしろはやと)は、凍える手を数回さすって、寒そうな仕草をする。いつもは素通りしているお店で、隼人は初めて店内を見た。ウッド調の落ち着いた雰囲気で、暖色のランプが真冬の街中に優しい温かさを灯している。


「いらっしゃいませ。一名様ですね。こちらへどうぞ」


 若い女性の店員に案内され、隼人は一人用の席に案内された。店内の人混みはまばらで、隼人の席の隣には若い男性が一人座っていた。席に案内されるまでに、コーヒーのいい匂いが隼人の鼻を誘ってきたので、ブレンドコーヒーをひとつ注文した。


 目の前の窓を眺めると、突然の雨に足を早める人や、一つの傘に身を寄せ合って凌いでいる人などが見える。最近の気候はずっとこんな調子で、お天道様の機嫌が悪い日が続いていた。


「今日は2時から会議で……。お昼も食べちゃおうかな」


 隼人は会議先の移動途中に雨に降られてしまった。あいにく傘も持っていなかったが、どっちにしろこの後どこかで昼食をとるつもりだったので、コーヒーが来たら、何か食事も注文しようと思った。


 隼人がフードメニューを開こうとした時、隣の席の人にコーヒーとナポリタンが運ばれてきた。ランチセットでサラダと、小さなバターロールも付いている。トマトの香りと、視覚的な彩りに、隼人の空腹までのカウントダウンは倍速で進んだ。


 隼人の視線に気づいたのか、隣の席の人がこちらを不審げに見てきた。よく考えれば、他人の席をじろじろ見てしまっている自分は不審でしかなかった。


「すみません、おいしそうだなと思って、つい......」


 気恥ずかしそうに言い訳を並べてみた。すると、その人の目は大きくなった。


「もしかして、はやとくん?」


 唐突に名前を呼ばれ、隼人は一瞬たじろいだ。隼人は横目ではなく、今度は正面から、その人の姿を目でなぞった。年齢としては自分と同じくらい。くりっとした目に、少し重そうな前髪が若干かかっている。彼もまた、スーツを着ていた。この条件に当てはまるのは……。隼人の脳内に挙げられた候補は一人しか浮かばなかった。


「えっと……こうすけ?」


「そう! うわ、はやとくんだ! 久しぶり」


「えー、何年ぶり? 七年ぶりとか?」


「そうだね。僕が大学一年で、はやとくんが大学三年の時だから。今は、仕事は?」


「この後、会議で。こうすけは何してるの?」


「僕もこの後出社だよ。二駅先の神葉駅にオフィスあるんだよね」


「そうなんだ」


 それにしても、こうすけの荷物は少なかった。スーツは着ているけれど、カバンはビジネス用ではない。とはいえ、詮索するのも違うかと思い、隼人は適当に流した。一通り話したところで、一度会話が止まった。


「あっ、ほら。冷めちゃうから。食べなよ」


「そうだね......いただきます」


 こうすけはスプーンとフォークを使って上手に麵を絡めとり、口に運んだ。隼人も、コーヒーがやって来たついでに、追加でナポリタンを頼んだ。


「はやとくんもよくここ来るの?」


「いや、雨降ってきたから。いつもは素通りしちゃうんだけど、思わずね」


「そっかあ。ここのナポリタン美味しいよ」


 こうすけのお墨付きということで、より一層、この後運ばれてくるナポリタンが楽しみになった。とはいえ、すぐにはできないので、二人の席の間には絶妙な空気が流れていた。


「こうすけは、最近どうなの?」


 苦し紛れに言ったものの、答えに困る質問をしてしまい、隼人は申し訳なくなった。案の定、こうすけは返事に迷って、ナポリタンを巻いていたフォークを止めた。


「ねぇ、はやとくん。俺さ」


 こうすけが神妙な面持ちで話し始めたので、心レベルで話の重さが感じ取れた。こうすけの話を受け取れるように、隼人は一度座り直して、姿勢を正した。


「俺って、人間として間違ってるんだよね」


 こうすけがここまでネガティブになっているのを隼人は初めて見た。少なくとも、数年前の彼は、明朗快活で、好奇心旺盛な人懐っこい大型犬のような人だった。


「そ、そんなこと......」


「あ、いや......別にそんなことないよって言ってもらいたいわけじゃなくて。本当に、自分は間違ってると思う。普通に男として、当然なこともできない。話にも入れない。価値観が共有できない。みんなが好きなものには好きになれないで、好きにならないはずのものに、好きになってるんだよ。......今更だし、割り切ってたはずなのに......」


 気づけば、彼のくりっとした目は赤らめていて、今にも零れそうな思いが縁にたまっていた。


「俺......おかしいんだ......」


 ついに零れた雫とともに、こうすけは自己否定の言葉を並べた。ナポリタンの皿から立つ湯気は無くなっていた。こうすけが言った言葉は、隼人にとってはじめましてのものではなかった。むしろ、知っている。その感情、そしてそこから生まれる、今の自己否定の言葉。それでも、自分は今生きている。藤代隼人として、自慢できる人生ではないけど、後ろめたさはこれっぽっちもない。それも全部......。


「こうすけ、俺の話してもいい?」


 隼人の言葉は、こうすけにとっては予想外だった。こうすけは、濡らした目を一度おしぼりで拭い、頷いた。店の奥で、野菜を炒める音が響く。その音に乗って、隼人は記憶の時計を巻き戻した。

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