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遠雷

 家に帰ると、食卓にはこの前食べ損ねたグラタンが並んでいた。


「あら、ちょうどよかった。恵那も食べるでしょ?」


「うん。食べる食べる」


 この日は父親も早く帰宅していて、三人揃って夕飯を食べ始めた。


「そういえば、恵那ももう三年だろ? 予備校とか行かなくていいのか?」


 父親の何気ない会話に、恵那の手は止まった。一度奥にしまっておいた記憶が再び前に出てきて、恵那の表情は歪む。


「んー、まだ決め切れてないかな」


「恵那は将来やりたいこととかあるの?」


 やりたいこと。今までたくさん聞かれてきた。昔は大それたことでも、周りの人は応援してくれて、それで良かった。でも段々と、現実を知って、その答えに近づく度に、それは地に足着いたものではないといけないと悟る。恵那はそれを曖昧にしてやり過ごしてきた。だから、答えが出せなかった。


「ほら、友達と話したりしないのか?」


「ちょっと、そんな作り話みたいなことわざわざしないでしょう」


 朝の記憶を反芻する。美咲も弥生も、ちゃんと夢があった。レールの続きがあった。一緒にいれば大丈夫だと思っていたのに、それぞれの終着点は違くて、そのための分岐点はもう間もなくだった。


「ごめん......」


「ちょ、恵那!?」


 母の心配をよそに、恵那は夢中で自室へ駆け込んだ。そのままベッドに倒れ込んで、天井を見つめる。鼓動は早まり、初めての感情と向き合う。言葉にできない、漠然とした不安がすぐそこにあった。


「私は......何になれる?」


 手にしたスマートフォンで、カラオケで撮った写真を見返す。スクロールすると、この前のプリクラも出てきた。美咲と弥生と仲良さそうにしていて、キラキラ女子高生になれている。私はこれを望んでた。上手くやっている。それなのに、なんだろう――この虚無感は。盛りに盛られたプリクラに映る自分は、もはや自分ではなかった。


 恵那はスマホを机に置いて、再びベッドに寝ころんだ。学校の宿題、スキンケアに、ストレッチ......今はレールに乗っていて、やらなければいけないことはたくさんある。それなのに今は、何もやる気力が起きなかった。






「ってかさ、聞いた? 藤代の噂」


 恵那と美咲と弥生の三人は、三限の情報の授業が行われるPC室へ、移動していた。


「聞いたよ。あいつ休んでるし、ほんとなんじゃない?」


「結構意外だよね、藤代って全然そんなイメージなかったし」


「それなー」


 香坂が担任になってから、学級委員の藤代が休むようになった。彼は王道リーダーって感じの人だったし、そんな彼のスキャンダルが真偽不確かなまま、一人歩きで出回っている。噂が勝手に広まるのは可哀想だと思いつつも、恵那もその噂を吹聴する一人にすぎなかった。


「ってかさ、この前バ先にさ、めっちゃイケメン来てさ」


 美咲は話題を変えて体を寄せ、恵那と弥生に彼のSNSのプロフィールを見せた。


「え、めっちゃイケメンじゃん」


 美咲が見せた彼は、確かに端正な顔立ちで、モデルのようにスラっとしたシルエットの人だった。


「なんか話聞いたら、うちらと同じ高三で、京成高校らしくてさ」


「まじ? めっちゃ頭いいじゃん」


 京成高校は県内でもトップクラスの進学校。その上、共学の私服校でかなり人気がある。イメージとしては、ハイスペックな人が通うような、ハイレベルな高校だ。


 すると、美咲はプロフィールから彼のトーク画面へ移動し、とある部分へとスクロールして、遡った。


「それでさ、今度、その人の友達も誘ってご飯行くことになって」


 トークでは、彼を含めた京成高校の三人と、美咲を含めた三人でご飯に行く約束が交わされている。


「弥生と恵那、行かない?」


「え! いいの? 行きたい行きたい!」


 弥生は間髪入れずに答えた。


「恵那はどう?」


 合コンってことか......高校生としては少し早い気もしたが、確かにイケメンではあるしスペックも高い。恵那には彼氏もいないので、断る理由がなかった。


「うん、行けるよ」


「ほんと? やったー、恵那も来てくれるの嬉しい」


「恵那ならうちらの中で一番頭いいし、京成高校と渡り合えそうじゃん」


「ちょ、やめてよ」


 二人が行くなら私も行く。いつでもレールは同じで、恵那にはそれで十分だった。


「あ、樹里ちゃんだ」


 三人は、数学室の前を通った時に、ちょうど香坂と鉢合わせた。


「お、移動教室?」


「そうでーす」


 担任になって少し接点も増えたこともあり、以前よりは打ち解けた間柄になっていた。何より、香坂の凄い所は、担任になってまだ間もないのに、クラスの顔と名前を一致させていることだ。その彼女の努力も伝わったのか、クラスの中では比較的好印象で、「樹里ちゃん」という愛称で九組の一部の生徒から呼ばれたりもしている。恵那たち三人も、もちろんその一部だ。


「なんか嬉しそうじゃん、良いことでもあった?」


「ふふーん、樹里ちゃんには内緒」


 美咲はニヤリとして、走り出す。それを弥生と恵那も追いかけた。


「ちょっと、走らないで! 危ないよー!」


 香坂の注意が響く廊下を、三人は特に意味もなく駆けて行く。窓から見える青空には、太陽が浮かぶ。その遠くに、灰色の雲がゆっくりと育っていた。

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