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prologue

 雨が降りそう――香坂樹里(こうさかじゅり)は、窓を見つめ、ふと思った。この頃の天気は不安定で、朝は晴れていたのに、気づけば曇天に変わって、雫がアスファルトを打つ音が響きだす。こんな日は決まって雨の匂いがするので、最近は樹里の()()()()()も精度が高まっている。


 掃除をするために開けていた窓を一通り閉め終わったところで、樹里は次なる行動を考えた。何しろ、この後は買い物に行くつもりだったのだが、いかんせん、この雲行きだ。せっかく外出用に少し気張った服を着たのも、誤算に散った。


 樹里は仕方なく、台所に立った。時計は午前十時を過ぎたところを指している。昼ごはんにしては早すぎるので、朝飲んだ紅茶のティーバッグの残りで、もう一度、紅茶を淹れてみた。この時間の情報番組は代わり映えがせず、惰性で見ているに過ぎない。


「そうだ、この前買った本でも読もうかな」


 樹里は紅茶ができるのを待つ間に、ブランチのお供探しで本棚へ向かった。


「どこに入れたっけ......」


 本の背表紙をなぞるようにして目当ての本を探す。樹里はあまり几帳面な性格でもないので、並べられた本の大きさはバラバラ。ジャンルも、数学の本、教育書、数学の参考書、教育書、雑誌、数学の参考書......。こう見ると、自分は数学が好きなんだと改めて自覚した。それと同時に、挟まれて点在する教育書もまた、樹里の人生を語るにふさわしい書であった。懐かしいものに出会うと、たいてい久しぶりに開いてみたりするのがお決まりだが、樹里はどうしても数学の参考書や教育書を開く気になれなかった。


 お目当ての本が見当たらず、隣の少し背が高い本が並んだ本棚に目を移した。すると、しばらくしたところでなぞる指が止まった。厚く、厳格な表紙を纏ったそれは、実に十年近く本棚にしまったままであった。


「2025......県立陽川高校......」


 気づいたらその堅い背表紙を手前に引っ張っていた。ページを開くと一枚目には緑豊かな自然に囲まれた学び舎が。その次には、300人くらいの高校生たちがふわっと笑っている全体写真が載っていた。ページをめくる手が止まらず、そのままどんどんとアルバムを見返していく。教師のページには、数学科のところに樹里の顔も載っていた。どこかぎこちない笑顔で、緊張が滲み出ている。樹里はこの手の写真撮影が苦手だった。


「10年前かぁ、今何してるんだろうな。みんな」


 教え子の3年9組のページは特段ゆっくりと眺めた。それから3年間の行事の写真や、普段の生活の一枚が切り取られていた。高校生のエネルギッシュなところも、たわいもない笑顔も、懐かしい。しかし、樹里には「懐かしい」に留まらなかった。その光り輝く青春の数々は、痛いほどに、眩しかった。


 最後のページは寄せ書きが描き込まれていた。教え子たちからのメッセージの数々。名前を見れば今でも、ひとりひとりの顔が思い浮かぶ。そのメッセージのひとつに、樹里の目は止まった。


「10年後、水平線の見える丘で! また会いましょう!」


 そのメッセージの下には、「藤代隼人」と名が刻まれていた。藤代君。学級委員で活発なクラスのリーダー。彼の達筆なメッセージに、樹里の頭のフィルムは一気に巻き戻された。


 樹里は少し間をおいて、アルバムを閉じた。再び同じ本棚へとアルバムをしまい、リビングに戻った。淹れていた紅茶はもうとっくに渋くなり、冷めている。最初の目的であった本のことも、樹里の頭からは抜けていた。樹里はテーブルに置かれていたスマホを手に取り、連絡先のアプリから、久しく目にしていなかった名の宛先にショートメッセージを送った。

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