第5章 賈龔、文を奨励する
休暇を終えた王武が帰ってきた。賈龔が言う。
「王武よ。一つ提案があるのだが。」
「何だい、将軍。聞こうじゃないか。」
「これは前々から考えていたのだが・・・。」
賈龔の提案というのは、部下の兵士たちに、文字を教えたい、文字をわかるものには儒学や兵学を授けたい、ということであった。王武が言う。
「それは、命令としてやらせるのかい?」
「いや、勉学は命令してやらせても身にはつかぬ。やりたいという者だけだ。やらないからといって、区別してどうこうするつもりはない。」
「しかし、ほとんどの奴はやらないと思うぜ。」
「・・・だろうな。だが、一人、二人はいるのではなかろうか。」
「わかった。俺の方から聞いてみよう。」
王武は兵士全員を集めて、賈龔の提案を伝えた。
兵士の一人が言う。
「王武さん。俺達が今更、文字を知ってどうなるよ。」
「そうだな。槍や馬がうまくなるわけではないからな。」
「そうだろ。俺は強くなるためなら何でもやるが、それ以外の面倒なことは、できることならしたくない、な。」
「気持ちはわかる。だから、将軍も無理強いはしない、と言っている。あくまで、やってみたい、と思う奴だけでいいとさ。」
「そうかい。ところで、王武さんはどうするんだい。」
「俺か?俺は、一応、読み書きは出来る。が、儒学や兵法を師について学んだことはない。だから、教えてもらおうと思っている。」
兵士たちがざわつく。まさかの答えに驚いたのだ。
「王武さんが読み書きをできるのは知っていたが、まさか、勉強するというとは、驚きだ。」
「お前たち、失礼だな。今まで機会がなかっただけだ。賈龔将軍の家は、もともと学者のお家だ。父上も、兗州の刺史を務めたほどのお方で、文に重きを置いた方だったという。そういう家系で武に重きをおいた将軍は、ある意味、異端の存在だったとか。しかし、あの性格だ。武に重きを置きつつ、文にも注力し、ようやく父上に認められたとのことだ。」
「王武さん、もうそんな話まで聞いているのかい。」
「当たり前だ。将軍と副将は、表裏一体、一心同体だ。」
「なんか、王武さんまで難しいこと言ってら。」
「馬鹿野郎。常識の範囲のことだぞ。お前たち、改めて言う。無理強いは絶対にしない。勉学をしないことで、隊での出世などの影響もないことは約束する。その上で学びたい奴は、いつでも言ってくれ。」
こうして、賈龔の隊では勉学が奨励されることになった。
最初の生徒が王武であることに賈龔は驚いた。
「王武よ。お前、読み書きは出来るであろう。学問の基本は儒学にあると俺は思っているが、どうする?」
「将軍。武も文も基本が重要だ。まずは儒学のご指導をしていただきたい」
「よかろう。」
通常の軍務の後、王武は賈龔を師として、論語を学んだ。
最初は正直、退屈であった。
「そんなの、人として当たり前だろう。」
そんな風に感じることが多かったからだ。
しかし、講義が進むにつれ、その「普通」「当たり前」がいかに重要で、そして実際の生活に活かすことが難しいことなのかを知り、論語が俄然、面白くなった。
論語を学び出した王武は、何となく人としての「落ち着いた雰囲気」を醸し出すようになった。
厳しさや、時として姿を見せる無骨なところはそのままといえるが、風格と、本当の意味での「優しさ」のようなものが備わってきたようである。
実際、「王武さんは大人の風格を身につけた」と兵士たちが噂をするようになった。教えている賈龔も王武の変化には目を細めて喜びを隠さなかった。
「あの王武がここまで変わるとは・・・。」
賈龔だけでなく、皆の思いである。
この王武の変化が兵士たちに認識されると、学びたい、という雰囲気が隊全体を覆った。
まず、読み書きできる者たちはこぞって、賈龔の下に集まり、儒学の教えを請うた。そして、読み書きができない者たちには、読み書きができるものが教えたり、将軍夫人である白英や、白英の付き人として入った「静」という男や、その妻の「礼」も文字の指導を行うようになった。
こうして、賈龔の部隊は文武両道の道を歩むことになり、一目置かれる存在となるのである。