第48章 賈詡、曹操より後継問題の諮問を受ける
曹操の魏公就任に賛成した者たちの仕事は、まだまだ続く。
これは終わりではなく、「始まり」なのである。
この者たちの最終的な目的は、漢を継いで「魏」を建国することである、と言い切って間違いないであろう。
政務は賈詡や重臣の鍾繇を中心に進められた。
そしていずれ実現させるための「魏」の建国の制度設計も行われていた。
西暦二百十四年(建安十九年)、曹操は張魯打倒の為に、漢中に進軍を開始した。
調度そのころ、劉備による蜀の平定が行われ、曹操が漢中を平定する前に、劉備が蜀を手に入れることになった。
こうして、とうとう、「三国鼎立」の基礎的な形が出来上がったのである。
漢中平定後の曹操陣営の一部からは、
「このまま蜀に攻め込むべし。」
という積極意見もあったが、曹操は許都に戻ることにした。
曹操はこの時すでに、自分が生きている間の天下統一は為すことが出来ない、と諦めていた節がある。
その代わりに「魏」の建国の礎を作ることを優先した行動をとるのである。
西暦二百十六年(建安二十一年)。
曹操は、とうとう「魏王」の座に就く。
献帝からは、皇帝と同等であるとのお墨付きを得て、人生の絶頂となった。
ここで正式に「魏」が建国されたことになる。
しかし、相変わらず、一つの問題が解決していなかった。
そう、後継者の問題である。曹操はこの年六十二歳である。
それでもなお、曹丕か曹植かを未だに決めかねていたのである。
ある時、賈詡が呼ばれた。曹操が言う。
「文和よ。お前がこういう話題が嫌いなのは知って、敢えて聞く。我が後継者、曹丕、曹植、いずれが妥当か。何も答えぬのは許さぬ。」
賈詡は目を瞑り、しばらく考えて言った。
「魏王、私は昔のことを考えておりました・・・。」
「ほう、昔の事?」
「はい。袁紹と劉表の事でございます。」
賈詡の答えを聞いて、曹操は大いに笑った。そして、言う。
「流石は文和。一本取られた。時間を取らせて済まなかったな。」
賈詡は拝礼して立ち去った。
「袁紹と劉表」の共通点は、嫡男を後継者にせず、後継争いを引き起こしたことで、両家とも滅亡したことである。
賈詡は終始、曹家の後継問題には関わりたくないと考えており、自ら意見を表明することも、積極的に関わる者たちとの接触も極力避けてきた。
それでも、曹丕も曹操も賈詡に諮問をしている。
宛城において、曹操から見たら長男、曹丕から見たら実兄を計略で殺されたことがあるにもかかわらず、後継問題の諮問を受けるほど信頼されていたというのが、賈詡の凄味であり、これぞ、賈詡の真骨頂、であろう。
翌年、西暦二百十七年(建安二十二年)。
ようやく、曹家の後継者問題が解決する。
長男の曹丕が太子に建てられたのである。
賈詡の助言を守り、子として父である曹操に当然の孝を尽くし、静かに暮らしてきた結果であろう。こうして、懸案の後継者問題も解決した。
そして、いよいよ、「この時」が訪れるのである。




