第47章 賈詡、魏公に仕える
西暦二百十二年(建安十七年)。
曹操の周りでは、曹操を「魏公」に推す機運が高まっていた。賛成した者は、「鍾繇」、「華歆」、「王朗」という主だった重臣たちに加えて、多くの家臣たちである。
一方、反対をしたのは、曹操の一番の腹心といっても過言ではない荀彧であった。
曹操と荀彧では「漢王朝」の考えがそもそも違うのが大きな問題となって表面化してきた。
荀彧は純粋に漢の復興を願う名士であり、それに曹操の力を「利用」してきた。
それに対し、曹操は自分の「覇道」の為に献帝を「利用」してきたのである。
考え方が全く違う二人の対立が表面化してきたのは、それだけ、曹操の力が大きくなったことを示すものであった。
賈詡は、どちらの立場か。
それは、曹操の魏公就任「賛成」の立場である。
賈詡は、自分の立身出世にもともと興味はない。
今は、かなりの高位に座っているが、それは成り行きに過ぎないと賈詡自身、思っている。
賈詡の願うところは、父の賈龔のつけてくれた「詡」という名と、自分でつけた「文和」という字に全て凝縮をされているのである。つまり、
「言葉の力で羽ばたき、文の力で平穏な世を作る」
これが、賈詡の生き方そのものなのである。
よって、賈詡にとっては正直なところ、「漢」でも「曹操」でも、天下に覇を唱えるのがどちらかというのは、実は問題ではないのだ。
現状、力があるのは誰が見ても曹操であり、曹操が魏公になることで、天下の平穏が保たれるのであれば、それでよいのだ。だから、賈詡は曹操の魏公就任に賛意を示した。
曹操も、魏公就任を数度断るのだが、それは形式的なものであり、結局、西暦二百十三年(建安十八年)、魏公の席に着くことになった。
そして、その前年、曹操を長年支えてきた荀彧が亡くなった。荀彧は曹操の魏公就任に最後まで反対し、それがかなわぬと知っての自害であった。
荀彧が亡くなったことで、賈詡は外様でありながら、完全に軍事・政治の中心人物として、今後、より大きな影響力を持つにいたるのである。




