第45章 賈詡、計略にて潼関の戦いを制す
西暦二百十一年(建安十六年)。
賈詡は六十五歳となった。尚書という高位の官職につき、曹操に軍事・政治両面で助言をする立場にあった。
この年、曹操は漢中の張魯を討伐する名目で軍を興した。
漢中にたどり着くには、まず、関中を通過しなければならない。
それ故に、関中の豪族たちは、本当の討伐の対象は自分たちであると警戒して、西方の雄、韓遂と馬超を担いで反乱を起こすに至った。
長安太守の鍾繇は、すぐさま急報を中央に送ったが、韓遂・馬超の連合軍の動きは凄まじいものがあり、何と長安は陥落してしまい、鍾繇は身一つで何とか脱出をしてきた。
鍾繇によれば、韓遂・馬超の連合軍の結束は固く、豪族達との連携もしっかりととれている難敵、ということであった。
今回は西方での軍事行動ということもあり、涼州出身の賈詡が軍師として帯同をしている。曹操が賈詡に言う。
「長安は言うまでもなく重要拠点。早急に、回復しなければならぬ。」
「もちろんでございます。斥候の知らせでは、韓遂・馬超連合軍は長安で我々を迎え撃つのではなく、潼関に拠点を設けたそうです。」
「ああ、私も聞いている。まずは、徐晃をはじめとした、夏侯淵、朱霊を先鋒にて当たらせてみようかと思うが、どうか。」
「はい。相手の実力を知るにはよろしいかと思います。」
曹操は歴戦の猛将たちを先鋒として送り出したが、何と、あっさりと撃破をされてしまったのである。
その勢いにのり、馬超は一気呵成に曹操の本陣に迫る勢いを見せ、曹操は親衛隊長「許褚」の奮闘によって、何とか逃げ切ることが出来た。
想像以上の韓遂・馬超連合軍の強さに曹操は驚きを隠せなかった。
十万以上の兵力を有しているとはいえ、所詮は烏合の衆、と高をくくっていたところもあり、その油断を突かれた格好であった。
曹操は賈詡に諮問する。
「先ほどは危うい所であった。まさか、これほどまで早く馬超が動いてくるとは夢にも思わなかった。」
「はい。しかし、馬超が早く動いているということは、相手には急がねばならない理由があるということです。」
「急ぐ理由、とは何だ。」
「敵は十万以上の兵力を有するとはいえ、その準備を十分にしてきたものではなく、急ごしらえの連合軍です。十分な兵糧の準備は無いものと思います。」
「兵糧か・・・。」
「はい。兵糧に不安がある故の、速戦速攻であると思われます。恐らくではございますが・・・。」
賈詡は続ける。
「韓遂・馬超連合軍は、自らが優位な立場において講和を申し込んでくるものと思われます。」
「あちらから、か。」
「はい。長安を返す代わりに、西方にこれ以上関わるな、といった内容だと思われます。」
「それは飲めない内容だ。関中を閉ざされてしまえば、我の目指す天下統一は叶わなくなる。」
「左様でございます。涼州はおいておくことも可能かと存じますが、関中はそうはいきません。そこで・・・。」
賈詡は続ける。
「もし、韓遂・馬超から講和の申し込みがあった場合、丞相様に一芝居打って頂きたいのです。」
「一芝居、打つ・・・。」
「はい。今は、“偽書疑心の計”と申し上げておきます。」
―二週間後―
両軍は向かい合い、膠着状態が続いていた。
すると、賈詡の予測した通り、あちらから講和の申し込みがあった。
内容も賈詡の予測とほぼ同じであった。
長安を返還する代わりに、関中豪族の所領の安堵と曹操軍の即時撤退を求めるものであった。
講和の申し込みを受けて、曹操は賈詡に諮問する。
「文和よ、まずはお前の読み通りになった。先日は、私に一芝居打て、と申していたがどういうことだ。」
「丞相は韓遂と旧知の間柄であると聞いていますが。」
「ああ。若かりし頃、洛陽で官僚としてお互い働いていた仲だが、それがどうした。」
「その旧知に基づいて、一芝居打ってほしいのです。」
賈詡は概要を説明した。曹操は笑いながら、了承した。
講和の使者には、明日、韓遂と二人で話がしたい、と記した書面を渡して返した。
―翌日―
早い時間に曹操は単騎、軍営を出た。そして、大きな声で韓遂の軍営に向かって声を掛ける。
「文約よ、久しいな。どうだ、久々に二人だけで話をしようではないか!」
早々は韓遂の字で呼びかけた。韓遂も単騎、軍営を出ていこうとした。
しかし、馬超がそれを止める。
「韓遂殿、曹操は何か計略を考えているのではないか。お一人で向かうのは危険でありましょう。」
「孟起よ。ここで俺が出ていかなければ、曹操に恐れをなしたとここにいる兵士たちは見る。そうすれば、士気は落ちるであろう。何、心配いらぬ。適当にあしらい、すぐ戻る。」
「・・・。わかりました。お気を付けください。」
二人は、軍営と軍営のちょうど中間くらいまで馬を進ませた。
そしてまず、曹操が馬を降りた。続けて、韓遂も馬を降りる。曹操が言う。
「文約よ、久しいな。こうして話すのは若き日の洛陽以来だな。」
「そうだな、孟徳よ。お前は漢の丞相様で、俺は、反乱軍の首領と、随分と差が開いたものだが。」
韓遂は多少の嫌味を込めて言葉を発した。曹操が言う。
「文約よ、何か誤解しているようだが、俺は関中の豪族たちの所領を召し上げる気は毛頭ない。俺の狙いは漢中の張魯、そして益州の劉璋だ。関中、そしてお前たちの故郷である涼州をどうこうするつもりはないのだ。」
韓遂は少し間をおいてから答える。
「孟徳、誰がそんな言葉を信じる。中原の者たちは、俺達西側の人間を昔から信用していない。そしてそれは、俺達も同じ。いずれ、ぶつかるは必定ではないか。」
曹操は話題をがらりと変えた。
「文約よ、お前は若い時に、皇帝陛下を支えることに自分の人生を賭ける、と言っていたな。」
「ふふふ・・・。そんな時もあったかな。」
「どうだ、今からでも遅くは無い。俺と共に皇帝陛下を支える気は無いか?無論、それなりの官職を与えよう。お前だけでなく、馬超をはじめ豪族たちにもだ。もちろん、所領の安堵も約束しよう。」
「俺達に官職・・・。」
「ああ。最初に言った通り、俺としてはお前たちとぶつかるのは本意ではない。戻ったら、この書状を皆で見てみるとよい。こちらの気持ちが書いてある。」
「・・・わかった。」
こうして二人は、軽く肩を抱き合い、お互いの軍営に戻った。賈詡が早々に尋ねる。
「丞相、首尾は如何でしょうか。」
「うむ。まずは、うまくいったと思う。あの書状を皆の前で見よ、と言っておいたぞ。」
「流石、丞相でございます。間もなく、絶大な効果を発揮するでしょう。」
一方、韓遂の軍営である。
しばらくすると、馬超をはじめ、関中の豪族たちが集まり、全員で韓遂の軍営を訪ねてきた。
いったい何を話したのか、聞きたくてしょうがない、という感じであった。
馬超が聞く。
「韓遂殿、曹操はいったい何と。」
韓遂は、曹操の話を要約して、皆に伝えた。それを聞き終えて馬超が言う。
「そうすると、曹操は戦う気は無く、我々に官職と所領の安堵を約束したと・・・。」
「ああ。そして、その内容をこの書面にしたためたそうだ。」
韓遂は懐から、書面を取り出す。
曹操が「皆の前で見よ」といったので、まだ中身を改めてはいなかった。
韓遂が開けた書面に全員の視点が集中する。
すると、所々、墨で上塗りされて消えている個所がある。
馬超が言う。
「何ですか、この上塗りは?」
韓遂も、当然わからないが、言った。
「曹操め、まさか下書きの書面を間違えて俺に渡したのか。」
馬超が言う。
「曹操ほどの男、そして奴の脇を固める参謀陣にそんな間抜けな奴はおりますまい。韓遂殿、ここには何が書いてあったのだ、教えてくれ。」
「孟起、俺が上塗りして消したというのか?曹操が皆の前で見よといった故、この書面の中身を確認したのは今が初めてだ。」
「・・・。我々が集まるまでに、韓遂殿は一人の時間が十分にあったはず。書面を確認する時間もあったはずだ。」
「孟起、俺が嘘を言っているというのか?」
「この状況、そう思わざるを得ないでしょう。皆、どう思う?」
馬超の呼びかけに豪族たちは頷く。韓遂は言う。
「わかった。それなら、その書面を渡す。お前たち全員で中身を吟味してみればいいではないか。」
「わかりました。そうさせてもらいましょう。」
馬超をはじめ豪族たちは、一旦、韓遂の軍営を出た。
馬超の軍営に豪族たちは集まった。馬超が言う。
「皆さん。我々の首領は言うまでもなく韓遂殿。しかし、先ほどの曹操との長い会話や書面は見たと思います。率直に言って、私は韓遂殿を信用できないと思ってしまった。皆さんは、どうでしょうか。」
豪族の一人が答える。
「確かに曹操と韓遂殿の話している様子は、昔からの友人そのものの様に見えた。」
別の豪族が言う。
「曹操のことだ。官職を約束する、所領を安堵する、など、耳障りのいい言葉を並べ立てたのではないか。でも、それは俺達ではなく、韓遂殿だけの密約なんじゃなかろうか。」
書面を見ていた豪族が言う。
「この消されているところ“司隷校尉”と書かれているように見えないか?司隷校尉といえば、相当高位の官職だ。韓遂殿に与えられるのではないか?」
皆、それぞれ意見を言うが、どれも韓遂を疑ったものばかりであった。皆を制して馬超が言う。
「これだけの人数で吟味したのです。韓遂殿が裏切る約束をしたのはまず間違いありますまい・・・。」
豪族の一人が言う。
「馬超殿。どうする。この反乱軍の首領は、韓遂殿。そしてそれに次ぐ者は馬超殿、あんただ。俺は馬超殿の決定に従うにしよう。」
他の豪族たちも同意した。馬超は一計を案じることにした。
しばらくして、馬超が一人で韓遂の軍営を訪れた。そして馬超は、頭を下げて言う。
「韓遂殿、先ほどは感情的になって申し訳ない。皆で話し合った結果、あの書面も曹操の計略であろうという結論に至った。疑って、本当に申し訳なかった。」
「いや、わかってくれればいい。あれでは、疑われてもやむを得ない。見事、曹操に担がれたわ。」
「そこで、皆と相談して、今夜、和解の宴を用意した。後で、使いの者を出す故、我が軍営に来てほしい。」
「そうか・・・。わかった。ご馳走になるとしよう。」
―二時間後―
馬超から迎えの者がやってきて、韓遂は馬超の軍営に向かった。
馬超はじめ、豪族たちが拝礼して韓遂を迎える。
宴会は和やかに進んだ。韓遂が厠に立とうとしたその時である。馬超が手を挙げると、兵士数人が韓遂を捕縛した。
韓遂は馬超に向かって言う。
「孟起よ、どういうことだ!我をはめたのか!」
「疑わしいことを最初にしたのはあなただ。あなたに背を預けて俺達は戦えない、という結論に至った。おとなしくしていれば殺しはしない。あなたの部下の方々も同様だ。
馬超が韓遂を捕縛したとき、韓遂軍営を豪族の数部隊が急襲して制圧し、兵士たちも捕らえられたのだ。
この様子は、曹操の軍営からも見て取ることが出来た。
曹操が言う。
「賈詡、お前の”偽書疑心の計”は見事、成功したようだな。あっちで怖いのは韓遂と馬超の連携だった。単独では恐れるに足らぬ。明日、勝負をかける。」
賈詡は、拝礼した。
―翌日―
馬超が軍営から外に出てきて曹操に向かって叫ぶ。
「曹操!お前の計略は見破った!韓遂は既にこちらで捕縛した!残念だったな。」
曹操は笑いながら答える。
「馬超よ。私が怖いのは馬超と韓遂の二人の連携。単独ならば敵ではないわ!」
「そうか。それなら、いざ、勝負!」
開戦の火ぶたが切って落とされた。
馬超が指揮を執る。しかし、全体の動きが鈍い。
一部の豪族は韓遂だったから従ったのであり、若造の馬超の下に着くのを潔よしとしない者も数名いた。
その豪族の部隊の動きが明らかに鈍い。
そんな動きの鈍さや士気が奮わないのを見逃す曹操ではない。
軍営から次々と兵を繰り出し、馬超連合軍を圧倒する。
そして、曹操軍が全体的に押し込んで、馬超や豪族たちの部隊はじり貧になってきた。
ここにきてようやく、韓遂のことは曹操側の計略であることに気づいた馬超は、すぐさま韓遂に頭を下げて解放し、全体の立て直しを図ろうとしたが、時すでに遅しであった。
最終的に、韓遂、馬超は涼州に逃亡した。関中の豪族たちは、韓遂や馬超に距離が近い者たちは処断されたが、降伏し、且つ、優秀な人材は登用され、重用もされた。
こうして、関中での大規模反乱「潼関の戦い」は、賈詡の提案した「偽書疑心の計」が見事的中し、関中一帯は曹操の支配下にはいることになったのである。
この戦いこそ、「流浪の軍師」賈詡の真骨頂といえるであろう。




