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流浪の軍師ー三国志・賈詡文和伝ー  作者: 涼風隼人


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第31章 賈詡、董卓を止められず

 西暦百八十九年(中平六年)。董卓はとんだもない暴挙にでる。

 

 時の皇帝少帝を弘農王とし、弟である陳留王を即位させたのである。

 後漢王朝最後の皇帝となる、献帝である。

 

 献帝はまだ九歳の少年であり、董卓の権勢はなお、強いものとなった。

 更に何太后、弘農王を結局は殺害し、更に、当時、中華最強の武将と言ってもいいであろう「呂布」も養子として、自分の身内を高位に付けるなどして、着々と董卓の専制体制は確立されていった。恐らくすべて、李儒の入れ知恵であろう。

 

 事ここに至り、とうとう地方において反董卓の機運は高まり、多くの者が立ち上がったのである。

 まずは、「曹操」が故郷の陳留で挙兵をした。

 そして、各地に檄文を送り、多くの名だたる者たちが賛同して挙兵をしたのである。

 そして、総大将に担ぎ出されたのは「袁紹」である。袁紹を総大将として、洛陽に向けて意気揚々と進撃を開始した。

 

 この一方を受けて、董卓は洛陽を放棄、長安への遷都を強行した。

 進撃してくる袁紹率いる連合軍にただで洛陽は渡さないと、宮殿に火を放つは、商人の財貨を根こそぎ奪うは、歴代皇帝の陵墓も荒らし、奪えるものは根こそぎ奪う、という人とは思えぬ所業を尽くしたのであった。

 

 連合軍が洛陽にたどり着いたのは、董卓が長安に遷都を強行して、二、三カ月後の事であった。董卓は洛陽に、抑えの軍として最強の武将呂布をはじめ、猛将で知られる「華雄」や「徐栄」、そして牛輔をおいていった。賈詡はもちろん、軍師として牛輔に帯同している。


  牛輔が賈詡に聞く。牛輔は賈詡を「先生」と呼び尊敬している。

 「先生、連合軍の数はかなりのものですが、我々だけで守り切れるでしょうか。」

 「戦は単純に数で決まるものではありません。まず、我々は呂布将軍、徐栄将軍、牛輔将軍をはじめ、剛の者が揃い、統制も取れている軍であります。」


 賈詡は続ける。

「一方で、連合軍は大義名分を掲げながらも、未だに身動き一つ取らず、この洛陽を眺めております。これは統制が取れておらず、軍の体を為していない、すなわち、烏合の衆ということです。全くおそれるにたりません。ただ・・・。」

 「ただ、何ですか。」

 「もし、わずかでもこちらに向かって進軍してくるものがいれば、その者の軍はどれだけ少数でも侮ってはなりません。覚悟を決めた人間の強さは、時に奇跡を起こします。」

 「わかりました。ひとまず、油断することなく洛陽の防衛に専念しましょう。」

 

 なぜ、連合軍は止まっているのか。

 まず、直接的な「旨味」がない。天下の洛陽も、今や焼き野原である。

 そして、董卓が残していった武将たちは、天下に名だたる剛の者であり、自軍の損耗が大きくなるのを懸念しているのである。

 打倒董卓、天下の為の義挙であったのが、いつの間にか皆、その当初の志を忘れてしまったようだ。しかし、まだこの男の熱は冷めていない。

 

 檄文を出し、連合軍のきっかけを作った曹操孟徳である。

 曹操が率いるのはわずか五千の兵であるが、業を煮やした曹操は単独で進撃を開始した。

 

 その進撃の報を受けて、洛陽からは徐栄と牛輔が出陣した。

 牛輔が言う。

 「先生、敵は単独での出撃とのこと。何かの策略でもあるのでしょうか。」

 「単独で行動しているのは、今回の連合軍結成に大きく寄与した曹操という者だと聞いています。おそらく、自分が動くことで他を動かそうとしたのでしょうが、諸侯は笛吹けど踊らず、といった模様です。ただし、先日、申し上げた通り、努々油断をなさらぬように。曹操のことは、相国様もかなり高く評価していたと聞いております。」

 「わかりました。徐栄将軍にも先生のお言葉、お伝えしておきます。」

 

 結局、曹操の単独行動は、徐栄、牛輔軍に徹底的にたたかれ、退却を余儀なくされた。

 この曹操の単独行動を諸侯は笑ったが、一人だけ笑わなかった者がいる。南方より長躯、遅れてやってきた「孫堅」である。

 

 孫堅は猛将として知られている。しかし、多勢に無勢、散々に打ち破られてしまった。しかし、孫堅はこれで諦めず、再び四散した兵を糾合して軍を立て直し、洛陽を守る要所である汜水関に攻撃を仕掛けた。

 

 汜水関は激戦となり、ここにきて連合軍もようやく重い腰を上げる。洛陽を守るもう一つの要所、虎牢関にも攻撃を開始し、二面作戦の展開となった。

 

 董卓軍も援軍を送り込み、更に激戦は続くが、一進一退の攻防が繰り広げられ、わずかながら董卓軍が押される格好になってきた。

 そこで董卓は、洛陽を完全に放棄し、長安に完全に撤退することになった。それと共に、汜水関、虎牢関も連合軍の手に落ちた。

 

 賈詡は長安への撤退をする中で、もし自分が董卓の近くにいたならば、と何度も考えた。

 

 まず、皇帝の廃位などという暴挙は絶対にさせなかった。

 そして、この戦も生じず、長安への遷都も行われず、臣下として皇帝に仕え、世上の安定に努めることが出来ただろう。

 しかし、今更そんなことを考えてもしょうがない。

 まずは長安に撤退し、現在の君主である牛輔を支えよう、と思い直した。


 連合軍結成一年余りで、連合軍はとうとう洛陽へ入城を果たして、形としては、勝利することができた。

 しかし、長安への再追撃は行われることなく、連合軍は解散となった。これ以後、諸侯は各々の本拠地に戻り、己の考え、野心に基づいて行動をしていくことになり、まさに、群雄割拠時代の幕開けを迎えたのである。

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