第29章 賈詡、洛陽に羽ばたく
西暦百八十九年(永漢元年)、霊帝が崩御し、少帝が即位、年号が改まった年である。賈詡は四十三歳となった。
賈詡は未だに誰にも仕えず、涼州にて時世を見守った。
黄巾の乱自体は、勃発の翌年に鎮圧されたものの、残党などの数は想像を絶するものがあり、未だに名を変え、いたるところで反乱は勃発していた。
そして、中央政界での争いが、激化する。
依然、権勢を誇るのは「十常侍」をはじめとした宦官たちであった。
その十常侍に対抗しようとしたのが、大将軍に任ぜられた外戚の「何進」である。
その宦官勢力の打倒の為に、何進が相談したのが、代々三公を送り出す名門袁家の頭領といえる「袁紹」であった。
ここでの袁紹の提言は、宦官打倒の為に、諸侯に号令をかけるべき、というものであった。
この提言を何進は採用し、天下の諸侯が洛陽に集まることになる。
そこにいち早く反応したのが、あの董卓であった。
董卓は、一度官途を捨てたが、数年の間で一から軍閥としての勢力を作り、涼州にその名を轟かせていた。
かなり汚れたことにも手を染めた負い目なのか、文和、仲穎殿と呼び合う仲の賈詡に、軍師招聘の声を掛けることは無かった。
賈詡としては、董卓の名が聞こえてくるたびに、自分の出番が近付いてきていると思ったが、その評判は芳しくなく、恐らく、そばで仕えている人間の質が悪いのではないか、と想像した。どうやら、董卓の娘婿である「李儒」という者が、軍師として仕えている様で、才気煥発であり、成果はあげるものの、手段を選ばないところがあり、人間性に問題があるようだ。
賈詡から見て董卓というのは、粗雑な面を持ちつつも、その心底には人に対する思いやりを持っている人間であると感じていた。
しかし、最近聞く話では、その粗雑さが凶暴さに変わり、部下への愛情といった部分は辛うじて残っているものの、その他の者への対応は容赦のないものに変化してしまったようだ。
これで董卓を見限れれば楽なのだが、賈詡の心には、
「自分が仕えれば、もとの仲穎殿に戻るのではないか。」という淡い期待があった。
―数カ月後―
賈詡の下に一報が入った。
董卓が洛陽に入り、時の皇帝少帝を廃位に追い込み、その弟を擁立したという。この皇帝こそ、漢最後の皇帝、献帝である。
「仲穎殿・・・。いったい何をなされているのだ。」
賈詡はいてもたってもいられなくなった。
高齢であるが、未だに元気である母、白英に言った。
「母上、私は洛陽に行こうと思います。」
「詡よ、とうとう羽ばたくときが来たのですね。」
「はい。正直申し上げれば、自分の理想とはかけ離れた状況ではあります。しかし・・・。」
「しかし?」
「言葉で羽ばたき、文で平穏をもたらすときは今である、と感じました。」
「そうですか。しっかりと、やり切りなさい。」
「はい。」
こうして賈詡は、董卓に会うために洛陽へ旅立ったのである。




