第21章 賈詡、黄門郎に登用される
賈詡たちが、金城郡の戦いに見事勝利してから数カ月、洛陽でまた大事件が起こった。
前年に桓帝が崩御し、今は霊帝の時代になっている。
そこで起こったのが、
「第二次党錮の禁」であった。
第一次党錮の禁より、さらに規模の大きい大惨事となった。
霊帝は何の実権ももたず、宦官たちが政治をほしいままにしていた。
その体制を何とかしようと立ち上がったのが外戚の竇武と名士の陳藩であるが、その計画はすぐに宦官の知ることになり、先手を取って偽の詔勅を作り、二人を殺害してしまった。
その後も宦官は手を緩めず、次々と清流派と言われる名士たち数百人に対し、官職剥奪、投獄、流罪に処すなどして、徹底した弾圧を行った。その結果、李膺、杜密といった著名な人物も、獄死、拷問で殺されるなどしたのである。
これ以降、政権は完全に宦官が掌握することになり、世の中の乱れは加速していく。結局、この第二次党錮の禁を契機として、後の世の中を揺るがし、数多の英雄たちを世に踊り出させることとなる「黄巾の乱」に繋がっていくと言っても、言い過ぎではないであろう。
―三年後―
西暦百七十二年(建寧五年)、賈詡は二十六歳になった。
第二次党錮の禁の余波は未だに洛陽を覆い包み、相変わらず宦官による政治が行われていた。
そんなところに自ら望んで行く必要は無いのかもしれないが、一人の男が、若いうちに中央を経験することは悪いことではない、として賈詡を「郎」に推薦した。
段熲である。段熲は、実のところ「中央政界」に顔が利く。
段熲の推薦であれば、すんなりと受け入れられるだろう。
しかし、「今の中央政界」は、「宦官」を指す。
涼州では、段熲は尊敬の対象でしかないが、中央では「濁流」、すなわち、宦官派の人物とみなされ、清流派からは敵視されている。
実際のところ、段熲は濁流と呼ばれるほど汚れ切ってはいない。むしろ、「清流」と言われる人たちと同じように、政権は帝が握るべき、と本音では思っている。
しかし、中央政界の動きが見えない、地方の軍総督としては、その危機管理として
「清濁併せ吞む」のは、生き残るには当然である、と思っていたのである。よって、清流派にも濁流派にも手を伸ばしておくのは、当たり前と言えた。綺麗ごとだけでは、生きていけないのである。しかし、この生き方が、段熲という英雄の晩年を残念なものにしてしまうのであるが、それはもう少し先の話となる。
話を戻す。
結局、賈詡は朗として洛陽に行くことになった。
どのような役目に付くかは、洛陽に着いてからであるが、まずは尚書台へ向かえとのことだった。
母である白英が言う。
「詡よ。私は何も心配しておりません。どんなお役目でも誠心誠意尽くしなさい。そして、何があっても母より早く死ぬということだけは許しませんよ。」
「わかりました。何事にも誠意を尽くし、何があってもしぶとく生き抜くことをお約束させて頂きます。」
王武が言う。
「洛陽で役職に就くなんて、さすが坊ちゃんだ。まあ、都会の風に飽きたら戻ってきなよ。我が軍の軍師でもあるのだからな。」
「王武様、ありがとうございます。しかし、流石に坊ちゃん、と呼ぶのはおやめください。」
二人は、笑いあった。
かつての師であり、叔父となった賈静が言う。
「詡よ、洛陽には大いなる学びがあるはずだ。出来れば志を同じくできる学友なども作ってくれると、叔父としては嬉しく思う。」
「わかりました。学友、でございますね。確かに、一人での学びは限界を感じることがございますので、心しておきます。叔父上、お元気で。」
そして、父親である賈龔が言う。
「詡よ、今回のことを取り計らってくれたのは涼州総督の段熲様である。お前の恥は段熲様の恥となることと心得よ。後は、母が申した通りだ。誠心誠意、そして何があろうとも生き残るのだぞ。」
賈詡は深々と拝礼した。
賈詡は一人、腰に剣を帯びて洛陽に旅立ったのである。
―数カ月後―
賈詡は無事に洛陽に着くことが出来た。
言われた通り、そのまま尚書台に向かった。
尚書台にて、任官の手続きを取った。
「段熲殿の推薦か・・・。」
少し、嫌な顔をされたのがわかった。しかし、この程度は賈詡の想定の範囲内であった。役人が言う。
「お主は、段熲殿の推薦。流石だ、黄門郎がお主の役職となる。そちらに行くように。」
黄門郎とは、簡単に言ってしまえば、皇帝の近くに侍る役職である。このご時世、宦官の息のかかった者しかいないであろう。役人の「流石だ」という言葉は、単なる嫌味に過ぎない。
黄門郎を任ぜられると、普通の官職につくより、事前の準備期間などが長く設けられている。皇帝の近くに侍ることになるのであるから、礼儀作法など、事前に習得しておく必要があるからである。今回黄門郎を命じられたのはあと数名いるらしく、全員揃い次第、皇帝に拝謁する機会が与えられるということであった。
―二週間後―
ようやく、皇帝との拝謁の時が来た。
時の皇帝は、霊帝である。
即位したのが十二歳であり、現在十六歳と非常に若い皇帝である。
皇帝の周りは「十常侍」と言われる、宦官十人が勢ぞろいして固めている。これだけで、宦官の専制がおこなわれていることがよくわかる。
十常侍の筆頭が張讓であり、権勢を極めていた。
張譲が言う。
「お主たちは、本日をもって、その命を皇帝陛下に捧げることになったと心せよ。また、何かあったら独力で解決しようとはせずに、まず、我に相談するように。」
賈詡を含む五人は、皇帝にというより張讓に拝礼をした。
皇帝に仕えるというよりは、張讓に仕える生活が始まったのである。