第2章 賈龔、白英と出会う
賈龔が兗州を立ってから、四カ月ほどが経過していた。
この当時、兗州から涼州では半年ほどはかかる長旅である。
賈龔は間もなく、涼州にたどり着くとこまで来ていた。
ここに至るまで、何度か小規模な山賊・盗賊の類に遭遇したが、賈龔の敵ではなく、いずれも完膚なきまでに叩きのめした。
こういう噂は賊の間ですぐ広がり、賈龔を襲うものはいなくなった。
既に任地である武威城でも
「今度来られる軽騎将軍は、まことの手練れらしい」といった噂が広まりつつあった。
そんな中、一台の馬車が近づいてきて、止まった。
商人風の男が近付いてくる。そして、恭しく頭を下げながら言った。
「私は、武威郡姑臧県で商売をさせて頂いている白理と申します。賈龔様、黄栄殿から文を頂き、お迎えにあがりました。」
賈龔は、不思議に思った。
「白理殿。私は確かに賈龔であるが、なぜ、私だとお分かりになったのか。」
「賈龔様のお屋敷には、先代様の時より出入りをさせて頂いておりましたので、私の方ではご尊顔を存じておりました。」
黄栄から、白理は武威郡の中でも一、二を争う豪商であるとは聞いていたが、そういったところの目配り、気配りというのも商人の才覚の一つなのであろう、と賈龔は思った。
賈龔は白理に出迎えの礼を言った。白理は微笑みながら返す。
「さぞお疲れのことでしょう。どうでしょう、まずは拙宅にて旅の垢を落としていただき、歓迎の酒宴でも催したいと思っておりますが。」
「お気遣い、痛み入る。ただ、その前に城主様にお会いしたいのだが。」
「わかりました。ならば、まずは城主様のところにご案内致します。さあ、どうぞ、お乗りください。」
賈龔は生真面目な男であり、まずは、城主に着任の報告をしたいと思った。現在の格好は決して清潔できれいなものではないが、着任と同時に報告をするのが筋である、と賈龔は考えていた。
ほどなくして、城主の邸宅に到着した。
門番と白理のやり取りを見ていると、どうやら昵懇の仲であることがわかる。
普段から出入りをしているのであろう。
城主と賈龔の面談はすんなりと行われた。
城主は段麓という齢四十台の男である。
賈龔の旅で汚れた容姿に嫌悪感を覚えたらしく、着任の挨拶を受けると早々に去り、追い出されるような感じで邸宅を後にした。
「どこも同じか。」
賈龔は心の中で呟いた。
この辺りで、段家といえば名門中の名門であり、その家系は武門の誉れ高き家柄と聞いていた。しかし、段麓からは武門のそういった風格を全く感じることは出来なかった。
浮かない顔をしている賈龔を察して、白理が言う。
「賈龔様。城主様はあまり軍事がお得意ではないと見受けられます。その代わり、必要以上に口出しもしない様なので、軍の方々は、それはそれでやりやすい、と割り切っている様ですよ。」
賈龔は静かに微笑を返し、多くを語らなかった。
白理の家に到着した。
「ほう。これはご立派な。」
賈龔は想像以上に立派な白理の邸宅を見て、驚いた。
大きさ自体は城主の邸宅の方が大き見えたが、白理の邸宅の方からは、なんだか上品な気品を感じる。
多くの使用人が、きびきびと動いている。当然の様に、賈龔の湯浴みの準備も整っており、まずはそちらで旅の垢をおとすことにした。
着替えも、もちろん用意されている。
湯浴みをして人心地ついたころに、白理がやってきた。
「賈龔様、こちらでございます。」
主人の白理自ら酒食が用意されている部屋まで案内をしてくれた。
白理が言う。
「賈龔様。商人の私が言うのも何ですが、この城の軍を司るべき方々はいまいちやる気がなく、異民族や山賊・盗賊の類が我が物顔で跋扈しているのが現実です。私共商人も遠方とのやり取りは躊躇せざるを得なくなってきております。是非とも、賈龔様のお力で現状を打破していただければと思っております。そのためのご支援、私白理は惜しみませぬ。」
「そうですか・・・。私が一人で解決できることではないと存じますが、私は私のお役目を命がけで果たす所存です。」
「力強いお言葉、ありがとうございます。それではまず、賈龔様のご多幸とこれからのご活躍に祈念して乾杯をさせていただければと思います。」
白理と賈龔は、器の酒を飲みほした。
長旅の賈龔にとって、これほどの美味い酒と食事は久々であった。また、白理は商人であるが、賈龔から見ても気骨を感じ取ることができ、並の者ではないのがわかった。
酒がなくなってきたので、白理は手を叩いた。
すると、一人の女が酒を持ってきた。白理が言う。
「さあ、賈龔様の杯を満たしなさい。」
「はい。」
かしこまりながら、女は賈龔の盃に酒を注ぐ。
賈龔はその時、ふと、女の顔を見た。
心に衝撃が走った。
賈龔の人生で、これほど美しい女を見たことは無かった。
女が去ると、賈龔は盃の酒をずっと見つめたまま動かない。
不思議に思った白理が言う。
「賈龔様。何かこちらに粗相がありましたでしょうか。」
「・・・。いえ。先ほどの女性は、白理殿の使用人でしょうか。」
「いえ・・・。わが娘の英でございます。」
「これは失礼した。ご息女自ら酒宴の席に出るとは。」
「いえいえ。何の問題もございません。」
賈龔は未だに盃の酒を見つめたまま動かない。まるで時が止まったかのように」微動だにしない。しばらくして、ようやく口を開く。
「・・・くれませぬか。」
聞き取れなかった白理は聞き直した。賈龔は大きく深呼吸をして間を取って言う。今度は、白理の目をまっすぐに見て、しっかりとした声である。
「白理殿。不躾であることは百も承知。英殿を私の正妻として頂けぬであろうか。」
白理は白英が自分の娘ながらその器量は認めている。白理には白英の上に三人の兄がいるが、実のところ、商人としての才覚も白英が一番であると思っている。その愛娘を妻に、と今日まともに話したのは初めての男から請われている。
何事にも俊敏な白理でさえも、少し戸惑いを覚え黙ってしまった。しばらくして、口を開く。
「賈龔様。ありがたいお申し出ではありますが、英は商人の娘。賈龔様の様な名士の氏族様の正妻など、勤まりましょうか。」
「いえ。私は、この様な気持ちになったのは初めてです。身分など関係ありません。是非、白英殿をわが正妻に。」
賈龔は白理に深々と頭を下げる。
「本気だ、この人は。」
白理は心の中で呟く。そして、少し考えてから言った。
「わかりました。しかし、これは白英の人生に関わることです。私には三人の息子がおりますが、実のところ、私の跡目にふさわしいのは英であり、婿でも取れればと思っているほどです。故に、英がこの話をお受けできない、といったときは、どうか、諦めて頂きたい。」
「わかりました。それで一向にかまいません。」
「それでは、この話は日を改めて・・・。」
「いや、今、聞いて頂けますでしょうか。」
「今、で、ございますか。」
「はい。今、お答えを頂きたく。」
「・・・。わかりました。それでは、しばしお待ちください。」
白理は席を立ち、白英の部屋へと向かった。
「英よ・・・。」
「お父様、賈龔様の下に参りたく存じます。」
白理は驚いた。
何も言う前から、賈龔のことで来たことを勘付いたらしい。
自分の娘ではあるが、こういった「気付き」に並々ならぬ才覚を感じていた。
白理が何もする前に、全ては完結したようだ。
二人は出会った瞬間に、既に互いの心を通い合わせたのである。
「わかった。さあ、今一度、賈龔様のところに参ろう。」
こうして、賈龔は涼州に入った初日に運命の人と言えるべき白英と出会ったのである。




