第19章 賈詡、軍師として研鑽を積む
西暦百六十九年(建寧二年)、賈詡は二十三歳となった。
初陣した二十歳より軍師としての研鑽を積み、
「賈龔軍に軍師賈詡あり」と言われるまでの存在となっていた。
賈詡が軍師になって力を発揮するようになってから、明らかに賈龔軍の戦果は大きくなり、死傷者の数は大幅に減少した。
中央への栄転を断った賈龔であるが、涼州では段熲総督に次ぐ立場の将軍として、現在は七千騎の指揮を執っている。
副将は相変わらず王武である。
頑として、将軍への昇進の話を受け入れないので、賈龔は、二千騎を直属の部下として与え、実質的な将軍待遇とした。
賈龔隊全体としてではなく、王武の隊だけの出動機会も増えてきている。相変わらず、武威郡姑臧城近辺の治安は守られているが、以前、遠征した張掖郡をはじめ、ありとあらゆるところで異民族が攻勢を強めており、多方面での対応が必要となってきている。
武威郡に隣接している金城郡に羌族の大隊が侵攻を繰り返しているらしい。金城郡を突破されると、武威郡にも影響が大きいことから、早めに対応をする必要がある。
この方面軍の大将には賈龔が任命された。
賈龔は、かつて張掖郡で共に戦った、李道、郭遠、董卓に応援要請を出した。李道、郭遠が各三千騎兵、董卓が二千騎、合計一万五千騎の大掛かりな騎兵部隊である。
今回は幸いにも、羌族も山岳、山林に隠れず、騎兵部隊中心の編成となっていると情報が入った。
この情報をもとに賈詡が作戦を提案する。
「おそらく、誘いでも何でもないと思われます。金城郡はもともと防備が薄く、敵は我ら官軍を見下しているものと思います。賈龔軍の名を知らぬわけはないと思うのですが、どうせ噂だけとでも思っているのでしょう。よって、相手が油断している間に一気呵成に攻め立てましょう。」
賈龔が言う。
「なるほど。俺達がもっとも得意とする戦い方だな。して、相手が引いた場合は?」
「山岳、山林に逃げ込むようなら追わないでください。騎馬を捨てず、平地を逃げようとするのであれば・・・。」
「あれば?」
「お気のすむまで追撃を。ただし、日のあるうちに金城郡の郡境に戻れるまでの距離、を最大としてください。」
「わかった。三将軍は、なんか意見はあるか?」
李道が代表して答える。
「ありませぬ。羌族たちを一網打尽にしてやりましょう。」
こうして、賈龔軍は金城郡に急行することにした。