第18章 賈詡、師より独立する
賈詡が初陣を果たした西暦百六十六年(延熹九年)の冬、歴史に残る大事件が起こる。
「第一次党錮の禁」である。
時の皇帝は桓帝であり、中央政界である洛陽では、宦官が中心となり政治を行い、その腐敗は、筆舌しがたいものがあった。その腐敗に対抗して名士たちが立ち上がり、政治改革を訴えた。
宦官は名士たち(党人)の行動を、反体制の動きとみな
し、桓帝に上申、あろうことか桓帝はそれを受け入れ、党人たちを逮捕・投獄し、その人数は百人以上となった。
この第一次党錮の禁により、賈詡の洛陽行は見送られた。
実は、段熲から賈龔の元に二つの話が舞い込んでいたのである。
一つは、賈龔を中央に推挙すること。
もう一つは賈詡を、「郎」に推薦するということである。
「郎」というのは、名士や儒者が立身出世するための初めの一歩といえるものである。
賈龔は自分の中央への栄転は丁寧に断ったが、賈詡の郎の推薦の話は、ありがたく受けることにした。
しかし、中央の乱れようからこの話は先送りにされた。
そして、賈詡は、しばらく賈龔軍で軍師として研鑽を積むことにしたのである。
賈詡が軍師になったことで、賈龔軍の戦果は大きく、死傷者の数は減少するという効果がすぐに発揮された。
賈龔も副将の王武も、当然に作戦立案能力はある。しかし、賈詡の作戦はより綿密であり、言い方は良くないかもしれないが、明確な「損得勘定」によって感情を抜きにし、戦に徹した作戦であった。
日に日に成長している賈詡を師である静は、微笑ましく見守っている。
ある日、静は賈龔を訪ねた。賈龔が言う。
「どうした?何かあったか。」
「はい。率直に申し上げます。賈詡様の師の立場、ここで終わりにさせて頂きたく。」
「そうか・・・。うむ、そろそろそういう話が出てくる時期であると、俺の方も思っていた。」
「それなら、よろしいでしょうか。」
「うむ。一応、詡の意見も聞きたいのだが。」
賈龔はそういうと、賈詡を呼ばせた。
すぐに賈詡がやってきた。
賈龔が言う。
「詡よ。静より、お前の師をやめたいと申し出があったがどうか。」
「・・・。お師匠様には、本当に幼少の頃より今までご教導を頂き、感謝の気持ちしかありません。私としては、これからもお導き頂きたく思います。」
「静よ。詡はこういっているが、どうか。」
「・・・。賈龔様もお分かりと思いますが、現在の作戦立案は賈詡様が独力で行っています。既に、私の教えることはございません。」
「そうか。わかった。受理しよう。しかし、一つ、俺からもお願いがある。」
「何でございましょうか。」
「本日をもって、静よ、お前は賈氏の一員となり、賈静と名乗る様に。」
「いえ、以前白理様よりもそういったお話をお受けしたことがありますが、お断りをさせて頂いております。」
「いや、これは家長として家宰のお前に対する命令だ。断るのは許さぬ。」
「しかし・・・。」
「更に、お前の妻である礼は、我が妻の白姓を名乗る様に。」
「・・・わかりました。お話、承ります。」
こうして、本日より、静は賈静となり、賈詡に対しては叔父となる様に合わせて命じられた。
これを受けて、賈詡は賈静に言う。
「これからは、叔父上、と呼ばせて頂きます。」
こうして賈一族に力強い親族が加わったのである。