第12章 賈詡、武の研鑽を積む
賈詡は学問の研鑽を順調に積んでいる。
一方、武の方はどうか。
父である賈龔は、文を重んじる家において、武を重んじた稀有な存在である。しかしながら、武だけの人間ではない。
文に関しても、たゆまぬ研鑽を積んできた故、学究肌であり、兗州の刺史を務めた父も、賈龔に対して何も言わなかった。
賈龔がいかに文を重んじていたかは、嫡男に「詡」の名前を付けたことでよくわかる。
「言葉で羽ばたく」
この名づけ一つだけでも、賈龔の考えがよくわかるというものだ。
賈詡は名に恥じぬよう、文の研鑽を師の静と共に積んできた。武に関しても、幼少期は静が手本を示していたが、いつしか一人で向き合うようになっていた。
朝起きると、賈詡が最初に行うのは武の鍛錬である。
一日の始まりを武におくことで、怠ることなく続けられることが出来ると、自ら考えたからである。
賈詡は剣術の修練に励んだ。
父である賈龔は何でも使うが、一番の得意は騎乗で振るう槍であった。賈龔は賈詡に何故、剣なのかを聞いた。
賈詡は答えた。
「私は将来、この広い中華の国をあまねく旅して、古戦場なども見て歩きたいと思っております。その際、自分の身を守り、旅の邪魔にならないのが剣であると思ったからです。」
「ほう、中華全土をあまねく歩きたいと。何故だ。」
「はい。兵法を学べば学ぶほど、将来は軍師として活躍したい、という希望が芽生えてきました。軍師たるもの、やはり自分で地形を把握している、していないでは、作戦計画の精度が変わってくるのでは、と考えております」
「軍師、か。しかし、軍師は甘くないぞ。例え自らが矢面に立たず、帷幄の内にあるとしても、味方の生命、敵の生殺与奪を握るという、重大な責任を負う。お前は、それに耐えられるか。」
「やっていないことをできる、とは言えません。しかし、父上のおっしゃること自体は、わかっているつもりです。それ故、文の学びだけでは鍛えられぬ精神を、武の鍛錬を通して積んでいければと思い、今はこうして剣を振っております。」
「そうか。それなら剣の道を究めたと、我に言えるほどの鍛錬を積んでみよ。必ずお前の人生の支えとなろう。」
賈龔に対して、「剣の道を究めた」と言える段階になれたかどうかは別にして、賈詡は剣術の研鑽を怠らなかったことで、将来、武の腕で自分を守り、強靭な精神力を手に入れた。その精神力で、窮地を独力で乗り切るなど、人生に大いに役立つことになるのである。