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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

死んでしまうとは……

作者: 十六夜

「ふー、今日はここまで。後は休み明けだな」


 パソコンの電源を落とし、遊戯勇人ゆうぎはやとは背中を伸ばした。

 静まり返ったオフィスは、照明が落とされ半分が薄暗い。

 デスクの上のカップには、泥のようなコーヒが残っていた。


「明日は10日ぶりの休みか。今日は牛丼でも食べて帰るかな」

 

 この5日間は午前様なので、目の下にハッキリと浮かぶクマ。

 ずいぶん伸びた髪は毎日洗っているが、今は少し脂っぽい。

 20代半ばという若さの割に、肩も背中も腰も油が切れたようだった。

 

 壁の時計は、午後11時50分。

 残っているのは、勇人ただ一人。


 この会社の定時は朝9時から夕方6時。

 残業代がつくのは午後9時までとなっていた。

 上司の円田新夫まるたあらおは、いつも9時ちょうどに帰る。

 タイムカードを押す姿は、清々しいほど正確だった。


 「戸締りよし」


 車通勤だからこそ、こんな時間まで居座れる。

 それが良かったのか悪かったのか……


 シートベルトを窮屈だと思いながらも、エンジンをかけて走り出す。

 運転中に眠気で意識を飛ばしそうになったのは、今週だけで二度あった。

 だが明日は休みだ。

 勇人には、それだけが救いだった。

 

 明日と言っても、もう今日か。

 どうせ昼過ぎまで寝ていて、溜まったいた洗濯をして、一向に進まないゲームを思い出しながらやって、無料の小説を読んで、飯食って寝るだけ。

 いつもの休日だな。

 あと信号機2つで牛丼屋……




  パアー!、パパパパ!!


 「ハッ!!!」


 目の前には眩しい光。

 直後に体中に激しい衝撃を受けた。



 水の流れる音が聞こえてきた。


 勇人は、ゆっくりと目を開けた。

 仰向けになったまま、しばらく上を見上げていた。

 視界に映ったのは、透き通るような青空。


 手足は動く、痛みはない。

 ──あの衝突音の直後、すぐに意識を失ったはずだ。

 それなのに、こうして生きている?


 「……夢か?」


 口に出した声が、空気に溶けていった。

 ゆっくりと身を起こす。

 肌寒い風が頬をなで、背中に感じるのは、乾いた草の感触。


「ちょっ、俺ハダカじゃん」

 正確にはパンツみたいな下着を履いているがそれだけだ。


 立ち上がって見渡せば、そこは大きな川のほとりだった。

 浅瀬をゆるやかに流れる水。

 ところどころ深くなっているのか、色の濃い場所もある。

 対岸には木々が連なり、遠くには山々が見える。


 見たこともない景色。

 まるで、観光地の自然公園のような──だが、人工物はどこにも見当たらない。


 あれは事故だった。

 おそらく居眠りをしてしまったんだろう。

 だとすれば、ここは……?


 勇人はゆっくりと歩き出した。

 体が軽い!

 いつも感じていた肩の凝り、腰の痛みが全くない。


 地面を触ってみる。

 土と草の感触はある。

 

「これはもしかして、異世界転生?」


 勇人がよく読んでいた小説では、トラックで転生は定番だった。

 しかし、今回は誰かを助けたわけではないし、きっと自分からトラックへ突っ込んでいた。


「ステータスオープン」


 小説の定番のセリフを言ってみるが、特に半透明な板は現れなかった。


「異世界転生じゃないのか?先ずは人を探さないとな」


 足元の草を踏みしめながら、川沿いをゆっくり歩き始めた。



 しばらく川沿いを歩いていると、少し先の方から騒がしい音が聞こえてきた。

 急いで近づいていくと、荷車の周りに小さな緑色した生き物が群がっていた。


「この!ゴブリンども。いい加減にしろ」


 いかにも僧侶といった格好の背の高い男が棍棒を突き出し、戦士といった背の低い男は斧を振り回し、魔法使いといった格好の耳の尖った少女が炎を生み出して、ゴブリン達を次々と吹き飛ばしていった。

 吹き飛ばされたゴブリンは、黒い砂になって消えていった。


 それを呆然と見ていた勇人。

 荷車に群がっていたうちの1匹が「ニタっ」と笑いを浮かべて勇人を見た。


「そこの人。危ないから早く逃げなさい」


 僧侶の格好をした男が声をかける。


 しかし、それよりも早く、勇人に向かってゴブリンが近づいてきた。

 身長はせいぜい1メート30センチほど。

 けれど、尖った歯と不気味な笑みが、勇人の本能に警鐘を鳴らす。


 「ちょ、待っ……わ、わっ!」


 ゴブリンが地面を蹴り、跳躍する。

 勇人は反射的に身をよじった。

 腕に何かがかすり、鈍い痛みが走る。


 「いってぇ!マジか!?」


 勇人は昔テレビで見たボクサーのように構えた。

 ゴブリンが腕を大きく振りかぶったところに、勇人はゴブリンの顔を目がけて思いっきり拳を突き出した。


 ドオッという音と共にゴブリンが吹き飛ばされて、黒い砂になって消えていった。


「大丈夫ですか? そこのあなた!」


 さっきの男──白いローブに金の縁取り、もう片方に光る棍棒を持った「僧侶風の男」が、勇人に声をかけた。


「と、とりあえずは」


 勇人は不思議そうに手を見つめていた。


「しかし、素手の一撃でゴブリンを倒してしまうとは」


 勇人を上から下まで見下ろすように観察する。


「しかし、その格好。何の装備もしてないどころか、下着一枚」


 男は小さくため息をつくと、自分の名前を名乗った。


「私はノーゼ。僧侶です。こちらのドワーフの戦士はキーンロ、あのエルフの魔法使いはキーイク。あなたの名前は?」


「遊戯……遊戯勇人です」


「遊戯勇人さん。とりあえすその格好は街に入れるかどうか。何か着るものはあったと思いますが」


 ノーゼは眉をひそめながら、荷車のほうを見やった。

 積荷は大丈夫だったようで、そこから勇人にちょうどいいサイズの服を出してくれた。

 

「ゴブリンの爪を受けていましたね」


 ノーゼは一度目をつぶった後「ヒール」と呟いた。


 勇人の傷がみるみる消えていく。

 その様子を見て、勇人は「やっぱり異世界転生か」と思っていた。


「ここは安全じゃない。事情は後で聞きます。とにかく今は、町へ戻りましょう。あなたみたいなのがひとりで歩き回ったら、捕まってしまいますよ」


 勇人はうなずくしかなかった。


 3人は荷車を引く商人のギムの護衛をして、エンダーの町に向かうところだった。


「勇人はなんで、あんなところに?」


「それが、気がついたらあっちの川のそばで目を覚ましました」


「ゴブリンに身包み剥がされた?だとしたら、かなり運が良かったですね」


「運が良かった?」


「はい。大抵は殺されていますよ」


 自分が転生してきたとは、言っても信じてもらえるかどうか。

 しかも、正直に話しても面倒なことに巻き込まれる話をたくさん読んできた。

 そこで勇人は記憶が曖昧なふりをすることにした。


「では、私たちと一緒にエンダーの町に行きましょうか」


「ありがとうございます。行く当てがないので、助かります」


 陽が傾き始め、草原に長い影が伸びていく。

 勇人は揺れる荷車の後ろを歩きながら、時折ノーゼと他愛もない会話を交わしていた。 

 ドワーフのキーンロは無口で、エルフのキーイクは勇人に興味を示していなかった。


「エンダーの町って、どんなところなんですか?」


「大陸北部じゃそこそこ大きな町ですね。冒険者も商人も集まりますよ。教会もあるし、酒場もあるし、娯楽も──あ、でもお金持ってませんよね?」


「持ってないです……というか、町に入るのにお金は必要ですか?」


「町に入るのにお金は必要ありませんよ。ちなみにその上着とズボン、わりと高いんで、あとでお金で返してもらいますよ」


「本当ですか。いったい幾らですか?」


「上着は100ゼニー。ズボンは70ゼニーです」


 冗談めかして笑うノーゼと、それを見て小さく肩をすくめるキーンロ。

 勇人はゼニーという単位が実際どのような価値か全く分からないため、乾いた笑いをするだけだった。


「勇人のジョブは何ですか?」


「ジョブ?」


「そうです。教会で判定を受けましたよね」


「あー、えっと。覚えていないです」


「ジョブを覚えていない? ヒールでは怪我は治せても記憶喪失には効きませんからねー」


 3人はあんなところで下着一枚の勇人を危険人物かもしれないと警戒していたが、町に向かう道中の会話から、とりあえずは普通の人間とみるようになっていた。

 

 道の先に木造の門が見えてきた。


 「……あれが、エンダーの町?」


 エンダーの町に着くとノーゼに案内してもらい、教会でジョブの判定を受けた。

 手を置いた水晶が七色に輝き、勇人のジョブが勇者であることがわかった。

 エンダーの町は、勇者がきたと大騒ぎになった。


 それからノーゼ、キーンロ、キーイクとパーティを組み、各地でモンスターを倒したり、隠された聖剣を見つけたりして、勇者パーティーと呼ばれるようになった。



 そして、時は進み3人は大魔王の城へと辿り着いた。

 大魔王は、まるで勇人たちを歓迎するかのように、広く荘厳な大広間へと通した。


「今日は、何の用だ?」


 低く響くその声に、勇人はまっすぐ答える。


「お前を倒しに来た」


「……私を、倒しに?」


「ああ」


 その言葉に、大魔王はわずかに目を細める。


「ふむ。どうやら、死に損ないが紛れ込んでいるようだな」


「勘違いするな。ここへ来るまでに、ゴブリンもグールもすべて倒してきた。誰一人として傷はないし、体力も十分だ」


 大魔王は隣に控える、背の高く痩せた従者たちに目をやった。


「鏡を持って来い」


 従者たちは黙って、巨大な鏡を運んできた。

 重々しい金枠がついた、異様なほど澄んだ鏡だ。


「見てみろ。お前たち自身の姿を」


 俺たち四人は互いに顔を見合わせ、警戒しつつ鏡の前に立つ。

 映っていたのは――俺たちではなかった。

 鏡に映ったのは、異形の鬼たちだった。


 一人は、痩せこけ、細長い棒を手にした不気味な青鬼。

 一人は、筋肉質で背が低く、血に染まった斧を握る赤鬼。

 一人は、裂けた口が耳元まで届く、狂気を宿した女の黒鬼。

 そして最後は、巨大な金棒を握った、白く恐ろしい白鬼――。


「……なんだ、これ」


 誰かが呟いたその声に、大魔王が告げる。


「お前たちは、すでに死んでいる。ここは現世ではない。地獄だ」


 静まり返る空間の中、大魔王は一人一人を指さしながら言葉を続けた。


「ノーゼ――お前は、生きていた頃、周囲の人間を常に傷つけていた」

「キーンロ――お前は金にだらしなく、常に貧困にあえいでいた」

「キイク――お前は身近な者たちに、一切の関心を払わなかった」

「そして、勇人――お前は社会のためにはなるが、自分を大事にしなかった」


 だが、大魔王はやがて、少しだけ穏やかな口調でこう続けた。


「だがまあいい。お前たちは獄卒として、亡者の罪を裁くという務めを、これまで果たしてきた。地獄におけるその役割を、誠実に果たしていたようだな」


 大魔王はしばし、俺たちを見下ろしていた。

 その瞳に、怒りも憎しみもない。

 ただ、何かを見定めるような静けさがあった。


「お前たちには、このまま仕事を続けてもらおう」


 そう言うと、大魔王はゆっくりと右手を掲げた。

 その手から、鈍く黒い光が滲み出す。


「過去は忘れろ。獄卒もまた罪人だ。死んだものはどちらかになる。お互い長い時間が必要だからな」


 その瞬間、視界が崩れ落ちるように暗転した。



 ……鐘の音が、聞こえる。


 重たい瞼をゆっくりと開けると、石造りの天井。

 かすかに光が差し込む、古びたステンドグラス。


 エンダーの教会―そう思った。

 硬い木のベンチに横たえられたまま、勇人は上体を起こす。


 周囲を見渡すと、ノーゼ、キーンロ、キーイクも近くのベンチに座っていた。

 皆、ぼんやりと目を覚まし、互いに顔を見合わせる。


 祭壇から、エンダーの神父の言葉が聞こえてきた。


「おお、勇人よ。死んでしまうとは。まだ仕事が残っているぞ」

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