新たな脅威
白川の遺体を前に、俺たちは言葉を失っていた。
戦いは終わった。だが、胸の奥に残る違和感は消えない。
「ユキヒロ……この人、本当に死んじゃったの?」
広が震える声で尋ねる。
「ああ……もう、息はない」
俺は短く答えた。
セシルスが遺体の傍らに膝をつき、静かに何かを調べ始める。その表情は真剣そのものだった。
「……ユキヒロ、これを見てくれ」
「どうした?」
セシルスが白川の胸元を指し示す。そこには、紫色に光る小さな欠片が埋め込まれていた。
「魔石の破片……いや、これは単なる魔石じゃない。この純度、この魔力の質――」
「どういうことだ?」
「おそらく、かなり強力な魔獣から取り出されたものだ。それも、魔王級かそれ以上の……」
その言葉に、俺たちは顔を見合わせる。
「誰かがこんな代物を人間に渡していた……ということは」
アイラが険しい表情で続ける。
「まだ、他にも犠牲者がいる可能性があるわね」
その時だった。
遠くから、サイレンの音が聞こえてきた。
「やばい……警察が来る」
「急いで撤収するぞ。セシルス、結界は?」
「すでに解除してある。だが、街の被害は隠しきれない」
見渡せば、周囲のビルは崩壊し、道路は陥没していた。
これだけの被害を、どう説明すればいいのか。
「とりあえず、今は逃げよう。後のことは後で考える」
俺の言葉に、みんなが頷く。
だが、その瞬間――。
ゴゴゴゴゴ……。
地面が、不気味に震え始めた。
「な、何だ!?」
「地震……じゃない!」
セシルスが叫んだ次の瞬間、白川の遺体の胸から、紫色の光が噴き出した。
「クソ、魔石が暴走してる!」
俺は咄嗟にみんなを突き飛ばす。
ドォンッ!
凄まじい爆発が起こり、白川の遺体が光の粒子となって消滅した。
そして――その中心に、黒い亀裂が生まれる。
「ゲート……!?」
「また、異世界への門が!」
だが、今回のゲートは違った。
そこから溢れ出る魔力は、今まで感じたことのないほど邪悪で、禍々しい。
「こいつは……やばいぞ」
俺の直感が、激しく警鐘を鳴らしていた。
ゲートが大きく開き、そこから――。
一本の腕が、ゆっくりと這い出てきた。
人間のような形をしているが、その肌は真っ黒で、爪は鋭く尖っている。
続いて、もう一本の腕。
そして、頭部が姿を現した。
「あ、ああ……」
アリサが息を呑む。
それは、人の姿をした何かだった。
だが、その顔には目も鼻も口もなく、ただ真っ黒な表面があるだけ。
頭からは角のような突起が生え、背中には巨大な翼が広がっている。
「魔族……いや、違う」
セシルスが震える声で呟く。
「あれは……上位魔族だ。魔王よりも、さらに上の存在……!」
その言葉に、俺たちは凍りついた。
魔王よりも上――そんな存在が、この世界に現れるなんて。
黒い存在は、ゆっくりとゲートから完全に姿を現した。
その全身から放たれる魔力は、周囲の空気を歪ませるほどに強大だった。
「人間たちよ……」
突然、声が響いた。
だが、それは耳で聞く音ではなく、直接脳内に響いてくるような感覚。
「我が名は――ザルヴァトール。魔界の第三位階に座す者」
ザルヴァトール。
その名前を聞いた瞬間、俺の背筋に冷たいものが走った。
「貴様らが、我が配下の魔獣どもを倒したのか?」
「配下……だと?」
ザルヴァトールが、俺たちを見下ろす。
その視線は、まるで虫を観察するかのように冷たい。
「我が主が、面白いことを企んでいるようでな。少し様子を見に来た」
主――つまり、この魔族の上にさらに誰かがいるということか。
背筋が凍りつく。
「だが、期待外れだったな。人間風情が、この程度の力で我が配下を倒したところで……」
ザルヴァトールが片手を掲げる。
その瞬間、周囲の空気が一気に凍りつくような感覚に襲われた。
「所詮、虫ケラに過ぎん」
次の瞬間――。
ザルヴァトールの掌から、黒い光線が放たれた。
「伏魔天命――伏魔雷光!」
俺は咄嗟にスキルを発動し、その攻撃を受け止める。
ガキィンッ!
エルドリスと黒い光線がぶつかり合い、凄まじい火花が散った。
だが、その威力は想像以上だった。
「ぐっ……!」
俺の体が、じりじりと後退していく。
「ユキヒロ!」
仲間たちが援護しようとするが、俺は手で制した。
「来るな! こいつは、俺一人でも厳しい!」
その言葉に、みんなが息を呑む。
だが、事実だった。
この魔族の力は、今まで戦ってきた敵とは次元が違う。
「ほう……我が一撃を受け止めるとは。少しは楽しめそうだな」
ザルヴァトールが、興味深そうに俺を見つめる。
「だが、それも一時の気休めに過ぎん」
再び、黒い光線が放たれる。
今度は先ほどの数倍の威力で――。
「クソ……!」
俺は全魔力をエルドリスに込め、必死に防御する。
だが、その圧倒的な力の前に、俺の体は限界を迎えていた。
「ユキヒロ……!」
広の悲鳴が聞こえる。
このままでは――みんなが死ぬ。
俺は、決断した。
「……みんな、逃げろ」
「何言って――!」
「今すぐ逃げろ! 俺が時間を稼ぐ!」
その言葉に、アリサが涙を浮かべる。
「そんな……ユキヒロを置いていけるわけない!」
「いいから行け! これは命令だ!」
俺の必死の叫びに、セシルスが仲間たちを促す。
「……ユキヒロ、必ず生きて帰ってこい」
「ああ、約束する」
嘘だった。
こんな化け物相手に、生き残れる自信なんてない。
だが――せめて、仲間たちだけは守りたい。
「さぁ、魔族。お前の相手は、この俺だ」
俺はエルドリスを構え直す。
ザルヴァトールが、面白そうに笑った。
「良い目をしている。では――楽しませてもらおうか、人間よ」
こうして、勇者と上位魔族の、絶望的な戦いが始まった。
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※
ビルの影から、銀髪の男は戦いを見つめていた。
胸の奥が、ざわざわと騒いでいる。
「リーダー……俺は、どうすればいい?」
答えは返ってこない。
もう、リーダーはいないのだから。
その時、背後から気配を感じた。
振り返ると、そこには――黒い靄を纏った、人の形をした何かが立っていた。
「観戦ですか?」
その声は、妙に社交的で人間らしい。
「……あんたは」
「ああ、失礼。私の姿は人間には見えにくいかもしれませんね」
黒い靄が晴れていき、そこに現れたのはスーツ姿の男だった。
だが、その存在感は明らかに人間のものではない。
「ふふ、あれがザルヴァトール様です。美しいでしょう?」
「あんなのが……美しい?」
「ええ。圧倒的な力、完璧な存在――それこそが美しさの極致です」
男の言葉に、銀髪の男は嫌悪感を覚える。
「あんたは……一体、何者だ?」
「ああ、名乗っていませんでしたね。私は青山と申します。異世界から、この世界に少しばかりお邪魔している者です」
「異世界……から?」
「ええ。まぁ、詳しい話は今度ゆっくりと。それより――」
青山と名乗った男が、銀髪の男の方を向く。
その目は、底知れぬ闇を湛えていた。
「あなた、リーダーを失って途方に暮れているようですね」
「……なぜ、それを」
「見ればわかりますよ。そういう顔をしている」
青山は、銀髪の男の肩に手を置いた。
その手は、不思議なほど冷たかった。
「私は、あなたに新しい目的を与えることができます。リーダーの遺志を継ぎ、さらに大きなことを成し遂げる――そんな機会を」
「……何が目的だ」
「この世界を、作り変えるのです。強者が支配し、弱者が淘汰される――そんな、美しい世界にね」
「そのために……こんなことを?」
「ええ。そのためなら、何だってしますよ」
青山は、再び戦場へ視線を戻す。
「さて、勇者はどこまで戦えるでしょうかね。楽しみです」
その言葉を聞きながら、銀髪の男の心は激しく揺れていた。
――リーダー、俺は……どうすればいい?
答えのない問いかけが、夜の闇に消えていった。




