戻ってきたあああああああ
「うぇっ……飲みすぎた……ヒック」
新入社員歓迎会での無茶な飲酒の代償で、世界がグルグルと回転している。視界の端が歪み、足元がおぼつかない。
あのクソ上司め……私に20杯もビールを飲ませやがって。
『広ちゃん、大丈夫? 俺が家まで送ってあげるよ』
脳裏に蘇る、あの脂ぎった中年上司の下心丸出しの笑顔。思い出すだけで吐き気が増す。
「ウェッ……マジでヤバい」
フラつく足でなんとかアパート前の電柱にもたれかかる。ここで吐くわけにはいかない。会社一の美人課長と呼ばれるこの私が、路上で醜態を晒すなんて——
「大丈夫、大丈夫……美人課長は吐かない、吐いたら終わり、絶対に……あれ?」
酔いと闘いながらふらつく足を進めていると、街灯の下に人影が見えた。誰かが倒れている。
「おーい、大丈夫ですかー? 酔っ払い同士?」
近づいてみると、その人の格好が異様だった。まるで中世ヨーロッパの騎士のような鎧を身に着け、腰には本物らしき剣まで下げている。
「コスプレイヤー? でも、こんなリアルな……」
しゃがみ込んで顔を覗き込んだ瞬間、私の酔いが一気に醒めた。
「嘘……まさか、ユキヒロ?」
※
鳥のさえずりが耳に心地よく響く。
瞼の向こうに感じる温かな朝の光。俺はゆっくりと重い瞼を持ち上げた。
目に映ったのは見慣れない天井と、現代的な照明器具。この感覚……懐かしい。元の世界にいた頃の、あの日常の匂いがする。
照明? 現代的な? まさか——
慌てて身を起こし、窓辺に駆け寄る。カーテンを引き開けた瞬間、俺の心臓が跳ね上がった。
「こ、ここは——日本だ!」
高層ビル群、整然と並ぶ住宅街、行き交う自動車。間違いない、俺は帰ってきたんだ!
「帰れた……本当に帰れたんだ!」
込み上げる感動で視界が滲む。8年間——長い、長い旅路だった。異世界で過ごした数々の冒険、仲間たちとの絆、そして最後の魔王戦。全てが報われた瞬間だった。
しかし、次の瞬間に気づく。
「……なんで俺、裸なんだ?」
見下ろせば、自分の体は何も身に着けていない。ここは誰かの部屋、誰かのベッド。一体どういう状況なのか——
「んん……」
隣から小さな寝息が聞こえた。
恐る恐る振り返ると、美しい女性が俺の隣で安らかに眠っている。
「ちょっと待て、なんで俺は知らない美女と一緒のベッドに!?」
パニックになりそうな気持ちを必死に抑え、彼女を起こさないよう静かにベッドから抜け出す。床に散らばった鎧と衣服を急いで身に着けた。
玄関に向かい、扉を開ける。外に広がる光景に、改めて実感が湧いてくる。
「本当に日本だ! 車! ビル! スーツ姿の人々! スマートフォン! 俺は戻ってきたんだ!」
感動のあまり大声を上げてしまう。通りすがりの人々が振り返るが、そんなことはどうでもいい。8年ぶりの故郷なのだから。
階段を下りようとした時だった。
「ユキヒロ、朝から騒がしいわね」
振り返ると、さっきまで一緒に寝ていた女性が、白いワイシャツ一枚で立っていた。
なぜ彼女が俺の名前を——
「こっちに来なさい」
有無を言わさぬ調子で腕を掴まれ、部屋に引き戻される。
※
「あの……どうして俺はあなたの部屋にいたんでしょうか? それに、なぜ俺の名前を?」
困惑する俺を見て、彼女は呆れたように目を細めた。
「中高6年間、一番仲が良かった幼馴染の名前を忘れるなんて」
「中高6年間? 幼馴染?」
その言葉で記憶の霧が晴れていく。いつも一緒にいた、学年トップの秀才で、校内一の美人と呼ばれていた——
「歌住広!?」
「やっと思い出したのね」
彼女——広は、懐かしそうにため息をついた。
「広がここにいるってことは……俺は本当に帰ってこれたんだ!」
「帰るって何? それより、その格好は何? 随分と本格的なコスプレね」
この世界の人間には、鎧姿がコスプレにしか見えないのか。それより——
「広こそ、その格好はどうなんだ」
俺の視線に気づいた広が自分の服装を見下ろす。ワイシャツのボタンが大きく開いており、危険な部分が見えそうになっている。
彼女の顔が真っ赤に染まった。
「ちょっと外に出てて!」
「はい!」
※
10分後、きちんと着替えた広が俺を部屋に招き入れた。室内も片付けられ、小さなテーブルにはコーヒーが用意されている。
「とりあえず、これしかないけど」
「ありがとう」
しばし気まずい沈黙が流れる。
「それで、その鎧は本物なの?」
広が鎧を指で突いてくる。
「ああ、本物だ」
「……ユキヒロ、あなたこの8年間、どこにいたの?」
「8年? 俺はこの世界から8年間も消えていたのか?」
「まさか本気で言ってるの? あなた、行方不明になって8年よ? 家族も警察も、みんな心配して——」
「行方不明……そうか、そういうことになるのか」
現実世界の人々にとって、俺は突然消えた人間だったのだ。
「で、どこにいたの?」
「異世界」
「……は?」