異世界帰りの勇者の仇
彼の首元から静かに血が滴り落ちる。
その瞳は虚空を見つめたまま、まったく動かない。
「ユ……ユキヒロ……?」
私は声にならない声を漏らし、彼の名を呼ぶ。
だけど返事は、どこにもなかった。
夢なのか現実なのか——境界が曖昧になっていく。
その背中に、ドン、と衝撃が走る。
黒衣の男が、私を無造作に蹴って突き放した。
「フッ……まさか、世界を救った“勇者”が、たった一人の命ごときで自ら命を絶つとはな。……実に、滑稽だ」
嘲笑を浮かべる男の声が、洞窟の奥に反響する。
私は震える指で、ぐったりとしたユキヒロの体を抱き寄せた。
血に濡れた頬を、自分のハンカチで必死に拭う。
その動きに合わせるように、彼との思い出が脳裏を駆け巡る。
ダンジョンで救われた日。
初めて肩を並べた戦い。
夜明け前に語り合ったあの夜。
「ユキヒロ……」
気づけば、頬に大粒の涙が伝っていた。
ひとしずく、ふたしずく、感情の底からあふれ出すように。
「ふん。哀れなもんだ。恋人を抱いて泣くだけの、燃え尽きたパーティの残党か」
黒衣の男が短剣を構え、静かに歩み寄ってくる。
「それでも“勇者の仲間”か? その顔は死人のようだぞ」
私は目を閉じ、ひとつ息を吐く。
そして、静かに囁いた。
「ユキヒロ……見ていて。今度は、私が……」
——私が、あなたの仇を討つ番。
その瞬間、私の身体の奥底から魔力が奔流のように解放される。
熱を持たぬはずの魔力が、灼熱のような熱を纏い、全身を焼き尽くさんばかりの圧力を生む。
轟音と共に、私の周囲に八本の獄炎が噴き上がる。
炎の柱が生きているかのように揺らぎ、男を包囲する。
「私、“炎の魔女”って呼ばれてたの。覚悟はいい?」
「ハッ……戯言を。所詮は火遊びだ」
男が火柱を回避する。しかし、炎は追跡するように軌道を変える。
八本の炎は合流し、ひとつの巨大な火柱となり——
「——!」
避けきれず、黒衣の男の身体を呑み込んだ。
「ぬうぅ……この程度の火……ぉ?」
「“この程度”? ふふ……残念ね。
これは普通の炎じゃないの。私の血が込められた、特別な“呪火”よ。焼かれた者は、しばらく魔力も、筋肉も使えなくなる」
私の杖の先端に火の球が集まる。色は赤、青、緑——そして最後に紫へ。
「……見せてあげる。私の本気を」
紫の炎が炸裂するように魔法陣から噴き上がり、洞窟全体を照らし出す。
その圧倒的な魔力に、空間そのものが軋みを上げ、岩壁が震える。
「こ、こんな……魔力……! こんな少女に……っ!」
「“少女”? 失礼ね。私は“炎の魔女”、アリサ・グレイアスよ」
最後の一撃に、全ての想いを込める。
「この炎は、ユキヒロのためのもの。
あの人が命を懸けて私を守ってくれたから——
今度は、私がその想いに応えるの」
私は杖を振り下ろし、囁いた。
「――緋煌の終焉」
大気が静止する一瞬。
そして次の瞬間、紫の魔炎が球状に爆ぜ、全てを焼き尽くす。
ダンジョン内が一瞬、真っ白な光に包まれた。
炎が収まったあと、そこには——
炭のように焼け焦げ、ひざをついて動けなくなった黒衣の男の姿があった。
「お、俺が……ま、魔王軍にも通用した俺が……こんな、女に……」
「魔王軍? どうでもいいわ。私には——ユキヒロとの未来の方が、大切なの」
私は背を向け、ユキヒロの元へ駆け寄った。
その体を、しっかりと抱きしめて、ゲートへと向かう。
※
インターホンが鳴った。
静まり返ったリビングに、唐突な電子音が響く。
私はソファから立ち上がり、急ぎ足で玄関へと向かう。
こんな時間に、誰だろう?
でも、心のどこかで——
“きっとユキヒロとアリサが無事に帰ってきたんだ”——
そんな淡い期待があった。
私はドアノブに手をかけ、小さく息を吐いてから扉を開けた。
「——ッ……」
言葉を、失った。
玄関先に立っていたのは、血に濡れた姿のアリサ。
その瞳には生気がなく、ただ前を見据えていた。
彼女の腕の中には——
首元から深く血を流し、目を閉じたまま動かないユキヒロの姿。
「そんな……ユキ……ヒロ……?」
喉が震えた。声が出ない。
アリサの腕に抱かれる彼は、まるで眠っているようで、
だけど、違うと直感でわかった。
——そこに、彼の「命」は、なかった。
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