私はあなたの帰りを待っているから
「アリサ……」
「ユキヒロ、考えるのはあと。今は……あのゲートを止めないと」
アリサはきゅっと杖を握りしめ、空に浮かぶ赤い裂け目を見上げた。
「アリサ、あのゲート……開くまで、どれくらい猶予がある?」
俺の問いに、アリサの片目が淡い緑色に輝く。魔力感知のスキルが発動する合図だ。
「……この魔力の濃さ……ざっと、あと一時間……? 一時間しかないの!? ユキヒロ、急がないと!」
焦る彼女とは対照的に、俺は静かに頷くだけだった。
「そうだな」
「なんでそんな冷静でいられるの!? 一時間って、下手すれば世界がひっくり返るかもしれないのに!」
「……かもな。でも、まだ“一時間ある”ってわかったことが、少し安心したのかもしれない」
「ユキヒロ、それ、落ち着いてるんじゃなくて、ちょっとズレてるわよ……」
アリサは小さくため息をつき、すぐに浮遊魔法を展開する。
「はい、ほら! いいから乗って!」
「あ、はい……」
俺が彼女の杖の後ろに乗り込んだ、そのときだった。
玄関のドアが開く音。
顔を覗かせたのは、エプロン姿の広だった。
「……晩ごはんまでには、帰ってくるのよ」
ジト目で俺たちを見上げる彼女に、俺もアリサも、思わずフッと笑みをこぼした。
「……ああ、約束するよ」
浮遊魔法が空を切る音だけを残し、俺たちは赤く裂けた空へと向かっていった。
※
ユキヒロは、昔からそうだった。
正義感ばかり強くて、損な役回りばかり選ぶ。
泣いてる人を見過ごせないし、困ってる人に背を向けられない。
――私が、一番よく知ってる。
あのときも、あなたは私を助けてくれたんだよね。
※
高校二年の春。
アルバイト帰りの私は、駅前で数人の男に絡まれていた。
「ねぇ、ちょっとぐらい寄っていかない? 楽しいとこ、案内するからさ」
「興味ないです。それに帰らないといけないんで……」
「おいおい、つれないな。そーいうのって、男を傷つけるんだよ?」
そう言って、男たちは私を店の裏手、シャッターの閉まった薄暗い路地へと追い込んでいく。
冷や汗が伝う。声を上げても、通行人の足音は遠く、誰も気づいてくれない。
――その時だった。
ぐっ、と男の手首を誰かが掴んだ。
「やめてくれません? この子、俺の彼女なんで」
聞き覚えのある、だけど最近じゃ少し声が低くなったその声。
そこにいたのは――ユキヒロだった。
「……ユキヒロくん?」
彼は昔、どこか陰のある少年だった。中学時代はほとんど口もきいたことがなかった。
なのに、今は目の前で堂々と、私を守ろうとしてくれている。
「あぁん? なんだよ、てめぇ。彼氏だぁ? 嘘こいてんじゃねぇよ!」
「そう思うなら、それでもいいけど。俺はこの子を連れて行く。文句ある?」
その言葉と同時に、ユキヒロは私の手を掴み、その場から走り出した。
走る息遣い。汗ばむ手。乱れる心臓の鼓動。
それが、私とユキヒロの距離が変わった瞬間だった。
※
それから、ユキヒロは何度も私を助けてくれた。
ゴミ箱に捨てられた靴を、何も言わず一緒に探してくれた。
机に書かれた落書きを、無言で消してくれた。
誰も声をかけてこなかった私の“痛み”に、彼だけは黙って寄り添ってくれた。
……不器用で、素直じゃなくて、でも誰よりも優しい。
気づいた時には、私はもう彼のことを――
※
キッチンのヤカンが、甲高く鳴く。
私は現実に引き戻されると、火を止め、カップ麺のふたを開けた。
「……今日はこれで我慢、か」
ユキヒロ、アリサ。
無事に、帰ってきてね。
私、ちゃんと晩ごはん用意して待ってるから。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
このお話が少しでも面白いと感じていただけたら、ぜひ「♡いいね」や「ブックマーク」をしていただけると嬉しいです。
応援が次回更新の励みになります!




