ゲートの記憶と、迫り来る現実
「――時は満ちた。今こそ、あの世界の扉を開ける時だ」
夜空の下、黒衣を纏った男が呟く。月明かりに照らされるその横顔は不気味に静かで、底知れない狂気がその瞳に宿っていた。
「さあ、生まれよ。産まれよ。我が主、魔王のために……空よ、その身を裂き、災厄を産み落とせ」
呪文のようなその言葉が発せられた瞬間、風が止まり、夜空に一筋の異音が走る。
雲が、不自然にうねる。真夜中のはずの空が、鈍い鉄錆色に染まっていき――。
そして、それは現れた。
空を縫うように、真紅の“ヒビ”が走る。まるで空そのものが悲鳴を上げるように、甲高い金属音にも似た響きが四方に木霊した。
空が、壊れようとしていた。
※
翌朝。
「ふわああ……」
伸びをしながらリビングに入ると、広がテレビの前に座り込んでいた。目を見開いたまま、じっと画面を凝視している。
「どうした? そんな真剣な顔で」
俺が首をかしげると、広はゆっくりと指を伸ばしてテレビを指した。
「ユキヒロ……これ、見て」
その瞬間、俺の眠気は一気に吹き飛ぶ。
テレビ画面に映っていたのは、俺たちの住む街の上空に広がる曇天。そして、その中を真っ赤に貫く、巨大な“ひび割れ”。
目を奪われるほどに禍々しく、まるで異世界からこちらを覗く裂け目のようだった。
まさか――
胸の奥がざわつく。嫌な予感が、背筋を冷たく撫でる。
これは、ただの気象現象じゃない。
これは、あのとき見た“ゲート”と、まったく同じだ。
「……っ!」
俺は言葉もなく、玄関へ走った。
※
靴を履き、外へ出て見上げると――やはり、それは現実だった。
灰色に曇る空。その中央に、真紅の裂け目がゆらめいている。空気すら重く感じる、あの独特な圧力……。
あれは間違いなく、“ゲート”だ。
過去の記憶が、鮮明によみがえる。
※
――あの日。異世界で初めて“ゲート”と対峙した日。
仲間と共に旅を続ける道すがら、俺たちはベネガリット王国へ立ち寄った。
「ユキヒロ、そろそろ休まないか。あそこに街がある」
「……アリサもバテてるしな」
地面にへたり込んでいたアリサを背負い、俺たちは王国へと足を運んだ。
街は賑やかで、空気はどこか甘く、道行く人々は皆、笑っていた。
「勇者様、ご一行様……ようこそ!」
「キャー! 本物の勇者様!」
歓迎ムード一色の中、俺は人々の温かさに触れ、つかの間の平和を噛み締めていた。
だが、災厄は静かに、その影を落としていた。
※
王国滞在三日目の朝。
仲間のアイラと軽い運動に出ようとしていたその時――。
突然、空が暗転する。
音もなく押し寄せる不穏な気配。
振り仰いだ空に、あれは現れた。
曇天を引き裂く、血のような“ヒビ”。
俺の中で、何かが叫んでいた。
――逃げろ、と。
「……嘘だろ」
隣のアイラが、一瞬で血の気を引かせた顔で仲間の元へ走り出す。
俺も慌てて追いかけた。
※
宿に戻ると、アイラはすでに皆に状況を説明していた。
ジン、セシルス、そしてアリサ。
全員が険しい顔をしていた。
「な、なんだよ。何が起きてる?」
俺だけが、知らなかった。
ジンがゆっくりと俺の方を向き、重い口を開く。
「ユキヒロ……あれは“ゲート”です。魔物をこの世界へと呼び込む、災厄の門」
「……!」
「もうすぐ開く。その前に、アリサと一緒に突入して中にいる魔物を――!」
その時だった。
背後で爆音が轟いた。地面が震える。
ジンの顔色が一気に青ざめる。
「まさか……!」
アリサが叫ぶ。
「南西と北東――両方から魔物の軍勢が迫ってる! 恐らく……魔王軍!」
一気に、時間が加速した。
静寂だったはずの朝は、戦場へと姿を変えようとしていた。
そのとき、俺の中に浮かんだのは――この国で出会った、優しい人々の顔だった。
果物をくれたおばさん。馬車を案内してくれた兄ちゃん。恥ずかしがり屋の子どもたち。
彼らが今、命の危機に晒されようとしている。
なら、俺が――やるしかない。
「……アリサ、ジン、アイラ、セシルス!」
俺は腰の剣を抜き放ち、剣先をゲートの方へ向ける。
「この国を……俺たちで死守するぞ!」
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