葛藤
リリー・フロマージュに手を引かれながら暗闇を急ぐ矯太郎。
「凄いなリリー殿は。こんな暗さで前が見えるのか」
息が上がりながらも、何か話しかけてしまうのは、きっとまだ不安が拭えないからだろうか。
全く足元が見えない状況で、繋いだ手だけが不安を取り除いてくれている。
「私はドワーフと人間のハーフなんです、だから多少は夜中も目が見えるんですよ」
後ろを振り向かずに答えるリリーの背中を追いかけながら、先に聞いた話を思い出す矯太郎。
ドワーフと言えば、手先が器用な種族で、工芸や鍛冶に携わるものが多い。
電気のないこの世界で、夜まで手仕事をやっていて、夜目が効くようになったとか。
鍛冶に携わるために、火に強くなったとか言われている。
身体的特徴としては、男性は筋肉質でがっちりしており、女性は豊満で、歳を取っても若々しく見える。
そしてどちらも身長の平均が140cm程度。
リリーの身長の低さはそこが由来だったのだろう。
それから5分も走ると、木々を抜けて岩場が見えてきた。
足元に鳴子のようなものが落ちているところを見ると、この辺りはもう罠等は看破され、無効化されているのだろう。
「あそこから崖になっていて、段々と深くなって行っているのが見えますか?」
矯太郎の脳内にある地図で見た通りの地形らしく、そこは昔に石炭か鉱石の露天掘りをしたであろう後が残されていた。
コカトリスの洞窟から離れていないことから、岩塩を採掘していたのかもしれないが。
その荒れようからすると、もはや忘れられた土地である事は言うまでも無さそうだ。
リリーの指示に従い、そのまま岩の影に身を隠す2人。
近くには呻くことも出来ずに、縛られた見張りの盗賊が2人横たわっている。
眼下には5m程下がったところにもう一段岩棚があり、その中心に焚き火が焚かれているようだ。
その回りにも数人の男達が倒れており、それを縄で縛っているメイの姿があった。
その姿を見てようやく矯太郎はホッとため息をつく。
『状況はどうなってる』
近づいたことで通信が可能になったのか、隠れている主人の方へ顔を向けるメイ。
『シャーリー様はローランド様にお渡しして安全なところで寝ていただいています』
『そうか、無事で何よりだ』
どうやら二人ともに怪我などはなさそうだ。
矯太郎は安心してその岩に座り込んだ。
それに対して、まだリリーは緊張を解く様子はなく、状況を語って聞かせる。
「あそこの見張りをどう処理するかに悩んでたんですが、シャーリー先輩の奇襲で一気に片付けられたのは行幸でした。でも、最後の砦の中に隠れた数人は私達に気付いたようで立て籠っちゃってます」
リリーの目線を追うと、大きなすり鉢状の穴の縁の方に、この鉱石採掘場の管理棟だったらしい、粗末な建物が見えた。
「このまま町の自警団でも呼びに行って、お縄にしてしまえば良いんじゃないか?」
矯太郎が呼んだとはいえ、リリーが前線を離れたことや、ローランドが安全地帯へシャーリーを運んでいる余裕があることを鑑みると、相手はもはや袋のネズミなのだろう。
この膠着状態に、下手に手出しして危険な目に会うよりも、他人任せにしてしまった方が良いのではと、矯太郎は考えたのだが。
「まだ、アイツが居ないんです」
リリーはその温厚な顔を歪める。
奥歯に相当な力が入っており、歯軋りの音がとなりの矯太郎になら聞こえそうな程だ。
「……そうか」
矯太郎はそれに口出しをする権利はないような気がしていた。
彼女達の悲しみや怒りは彼女達のもの。
そしてここは異世界だからだ。
元の世界のルールに則って判断するようなものではない。
たとえ、この無垢な少女が、人間の返り血を浴びて穢れたように見えても、それは彼だけの価値観でしかない。
彼女にとっては、友人の敵をとった勲章になるかもしれないのだから。
「覚悟は……していたつもりなんだがな」
それでも矯太郎は、このふわふわしてまだどこか幼さを残すような手が、血に汚れるのを見たくないと感じてしまっている。
そう感じた瞬間、この手がとても愛おしく儚いものに見えた。
次にこの手を握るときには、この手は他人の命で汚れていて、同じものではなくなってしまう気がしたのだ。
矯太郎はそっとリリーの手を握った。
リリーも少し驚いたようだったが、直ぐに力を抜いてなされるがままに委ねる。
握る力を強くしたつもりはないが、手のひらの柔らかい部分に矯太郎の指が少し埋まる。
緊張しているのか少ししっとりとしていて、彼の指を受け入れて離さないかのように吸い付いている。
流石に恥ずかしくなったのか、先程まで眉間に寄っていたシワは無くなり、代わりに頬を赤く染めている。
「よっ……ヨツメ様、どうされたんですか?」
それでも驚いて声を掛けてくるリリーには答えず、しばらくそのままでいる矯太郎。
そしてそれを離すときに。
「頑張ってこい」
激励の言葉を掛けた。
そこに彼の葛藤があったことも、きっとリリーには伝わったはずだ。
だからこそ、力強く頷いてみせるのだ。
「はい」
それと殆ど同時にローランドが戻ってきたので、何だか二人とも恥ずかしくなったのか、顔を背ける。
「どうかされたのですか?」
ローランドの問いかけには答えずに、はぐらかしがてら矯太郎は彼の功績を称えるのであった。
「君たちは凄いな、俺の頼みを聞いてくれているのか」
二人にそう声を掛けたのは。
作戦会議の際に矯太郎が言い出したわがままに関する事だった────。
夜になり、街を出る際の最後のミーティングでの話。
昼の間、ずっと矯太郎は悩んでいることがあった。
「できるだけ死人は出さないようにして欲しい」
その言葉に一瞬だが場の温度が冷える。
相手は人殺しも厭わぬ殺人集団。
それを躊躇っていてどうやって戦うのかと。
しかしそこにあったのは、甘っちょろい素人へ向ける冷ややかな視線ではなく、何故そんなことを言い出すのかと、理由を求める真っ直ぐな瞳だった。
「俺の産まれた街では、人が人を殺すのを良しとしなかった。未だに俺もその感覚に縛られている。だから今回の計画立案にも人死には殆ど入っていない」
矯太郎はシャーリーと共に簡易錬金釜で、速効性の痺れ薬や眠り薬を調合していた。
それから剣の鞘の内側にそれを溜めておき、抜刀するとその刃に十分な薬が塗布されている道具を作り上げた。
矢筒も同様、矢尻に綿をつけて十分な薬が届くように設計してある。
それでも彼らの作戦の成功を難しくしてしまうこの提案に、矯太郎は頭を下げることしかできない。
「頭を上げてください」
ローランドが優しい声音でそう言う。
「元より私達も人を殺す事に抵抗がないわけではありません、それがどんな極悪人でも、無関係な者の命を絶つ事に対しての嫌悪感は、どうしても拭えるものではないんです」
彼の言葉のなかには、すでにそういう経験をしたことがあるというニュアンスが含まれていているのを感じた。
だがその声は落ち着いて居て、確かにそれを楽しむような狂気を感じることは無かった。
「それに、僕たちがあのシーフに恨みを持っているように、事件が明るみに出れば、被害者のご家族や友人も彼らの処遇に関わりたいと思うでしょう」
眉に掛かった金髪の奥からは、悲しさを含んだ視線を感じる。
きっと自分達と同じように、大切な人を失くした人達が、あとどれくらいいるのかと考えてしまったのだろう。
そしてその人達がまた前を向いて歩き出すのに、その昇華が必要になる事も知っている。
その為には、ちゃんと皆の前で彼の悪事を暴き出す事も、吝かではないのだろう。
「ただし、私達が騙されたあの男だけは……私達が好きにさせて貰うわ」
拳を握りしめたままリリーが圧し殺した怒りを込めて言葉にする。
「……もちろんだ、その時が来ても俺はなにも口出しはしないよ」
彼らの言葉通り、グースというシーフ以外の者は、痺れ薬で動けなくされ、縄で縛られていた。
そしてきっと、あの掘っ建て小屋には彼らが探している憎き相手が隠れているのだ。
ここまで彼らは、自分の危険を顧みずに、矯太郎の望みを受け止めてくれたのだ。
矯太郎も、この先目の前でシーフが八つ裂きにされようとも、口を閉ざすと心に誓うのだった。




