美人交渉術
「ただいま戻りました」
「ってメイは既に我が家モードか!」
至って当然の様に敷居を跨ぐメイに突っ込みつつも、遅れないように慌てて後を追う矯太郎。
「少しは躊躇してもいいんじゃないか?」
「所詮世界は弱肉強食。甘いものは食われるのです」
「血も涙もねぇ!」
「予備の油圧のオイルくらいなら流せますが?」
矯太郎はメイの目から黒いオイルがニュルニュルと流れ出るのを想像しつつ、頭を振ってその妄想を消すと、善意をこのロボットに期待するのを止めることにした。
そんなわけで矯太郎達はライフの働く診療所へと入っていく。
店舗内は寝台が3つ並べてあるだけで、他に診察室やレントゲン室のようなものがあるわけではないようだ。
ここでどうやって医療行為を行うのだろうか? と疑問には思ったが、そこも矯太郎達が知っている常識とは違うという事だろう。
矯太郎達が店舗内を見回している間にも、ライフは慣れた様子でカウンター裏の方へと進んでゆく。
店舗から、生活空間へと繋がっているであろう、一段高くなっている場所へ向かって声を上げた。
「お父さ~ん」
間延びしたような声に、普段通りの響きを感じる。
矯太郎は彼女とその父親との、蟠りのない関係性を見て取った。
年頃の女の子は、かくも男親に対して一線を引いたような態度をとる事があるが、このライフ・グリンベルという少女にはそういった気持ちはないのだろう。
矯太郎の人間観察の合間に、準備が出来たのか、のそりとした動きで生活空間の奥の方から男が一人現れる。
「こんにちは、娘が世話になったようで……」
ライフの父であるこの男性は、背が高く体格もガッチリしているが、丸顔のせいか妙な威圧感を感じない雰囲気だった。
初対面でも腰が低く、また実際に背筋を伸ばした格好ではない為、その長身よりも低く見えるほどだ。
「いえ、お世話になったのはむしろこっちの方なのですが」
そんな低姿勢の男性に対して、矯太郎も丁寧に応じる。
男性同士の低空飛行な牽制に対して、女性陣は少し不満がある様子だ。
緑髪のエルフは、父親の低姿勢すぎる対応に対して。
青髪のメイドは、下手に出る事で今後のやり取りを優位に運べなくなる懸念についてだろうか。
「父さん、この人達がさっき話してた偉い人だよ、観光の案内を頼まれてるの」
もう少しシャンとしてほしいという気持ちの表れだろうか、父親の服の裾を引っ張って、上着のよれを何気に直しながら状況を伝えるライフ。
矯太郎の目にも、普段の父親の雰囲気は感じられている。
櫛で梳かれた跡はあるものの、前髪の毛先が若干濡れている。
きっとライフが帰宅後に、無精髭のみっともない父親に対して、髭を剃って顔を洗ってこいと指示したのだろう。
少しでもシャキッと見えるように、普段着ない上着を引っ張り出したところで、たたみ皺のしっかりと付いてしまっている服ではそれも叶わなかったようだ。
そんな風体の男に対してもメイは怖じ気づくこともなく、丁寧にお辞儀をした。
「ライフ様のお父様でしょうか? わたくしはメイ・ド・フレーズと申します、こちらの四目博士の付き人でございます」
これ以上矯太郎に話をされては、自分の理想とする展開が作れないと踏んだのだろう。
矯太郎の姿を背中に隠すように一歩前に出る。
ライフの父はその格式ばった丁寧な対応に、身分の違いを感じたのか、一歩後ずさろうとするが、半身後ろに控えていた娘に当たって下がるに下がれない様子だ。
ただ、その顔は怯えや不安ではなく、どことなく少し嬉しそうな雰囲気を醸し出していることで、矯太郎は彼の心情を少し理解することが出来た。
メイの容姿だが。
矯太郎は人気の女優の顔を参考に作っていた。
どうせ作れるなら美人の方が良いに決まっている。
その美人から好意的ににっこりと微笑まれると、大抵の男はこういう態度になるのだろう。
それは娘がいるような男性でも当然の心理なのだ。
しかし矯太郎はそれに苦笑する事しかできない。
理解ではできるが、共感を得る事は出来ないからだ。
四目矯太郎という人間は、眼鏡を掛けていない対象に対して、興味をそそられないという偏った嗜好がある。
それではなぜ、自分が作り出した創造物が眼鏡を掛けていないのか?
もちろんメイも起動当初は眼鏡を装着していた。
横に細長いフレームの細い銀縁メガネである。
きりっと引き締まった表情に、眼鏡が合わさる事で、メイドの中でもトップであるメイド長の雰囲気だったり、敏腕秘書の雰囲気を醸し出す事に成功しており、矯太郎も事あるごとに抱き着いたり、写真を何枚も撮ったりと、その熱狂っぷりは、相手が人間であれば即お縄になっても仕方ない程だった。
「キモいので外しても良いですか?」
ロボットの身でもそれに耐えきれなかったらしい。
その言葉を聞いた矯太郎は一瞬灰になったが。
「ダメに決まってんだろ!」
と主人風を吹かせて怒鳴り散らしたにも関わらず、メイは顔に掛かった眼鏡をはずすと、掌で握りつぶした。
替えの眼鏡もことごとく握りつぶすものだから、メンテナンスと称して、顔に溶接までしたのだが、今度は顔の装甲板ごと剥がしてしまったのだとか。
あの狂人矯太郎をもってしても、流石にそれ以上は無理強いすることはなくなり。
熱狂的だったメイへの執心もパタリと静まってしまって。
お互いに家族でありながら、どこかビジネスパートナーの距離感を形成するようになっていったのだった。
────さて。現実に戻ろう。
矯太郎が回想から戻ると同時に、親父もこのままではいけないと思ったのか、口を開いた。
「いえ、なんの因果かわかりませんが、うちの娘がお役に立てるのであれば是非使ってやってください」
美人に対して、強気に出れる男性は多くいない。
この顎の下に剃り残しのある父親もご多分には漏れないようだ。
だからこそメイは更に前に出る。
「お嬢様にはお世話になる予定ではありますが、お父様にもひとつ頼み事がございまして……」
眉尻を下げて困ったような顔を作る。
顔が近づいたことで親父は更に赤くなり目線を逸らしてしまう。
「頼み事……とは?」
「実は私共は秘密裏にこの町を訪れておりまして、正規の宿屋や案内所を利用出来ないのです」
メイの仕草や表情は矯太郎がインプットしたものだ。
ちゃんと膝を曲げて、顔を見上げるように話しかけている。
眼鏡をかけていれば矯太郎もそれに見とれて、真意を理解し損ねることろだったかもしれない。
ただ口の端を少しだけ上げて苦笑すると、その後の展開を見守る事にしたようだ。
「訳あり……ということですか?」
少し前まで気を張らなければでれっとしてしまいそうな表情だった父親も、そこは考え込むように表情を歪めた。
きっとこの困った美人へ、自分が何をしてあげられるのかを考えてあげようとしているのだろう。
しかし、それを考えさせて代替案を出されるわけにはいかないメイは、すかさずそれに追撃する。
この押せ押せ戦法もインプットされた動きではあるのだが、実際に使っているところを見ると、生みの親の矯太郎であってもちょっと引いてしまう。
「ええ、察して貰えると助かります──それで、もし良ければ、こちらで泊めていただくわけにはいかないでしょうか?」
「ええっ!?」
グリンベル親子の声が、土間の診療所に響くのだった。