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共感という答え

 その痛みの音は、矯太郎をもインナートリップへと誘い込む。


 腕の中に居るほど近くにいるのに。

 気の利いた言葉のひとつでさえこの女性へとかけてあげることが出来ない。

 自分が詰め込んだ沢山の知識の中にも、ここにふさわしい言葉が一つもない。

 不甲斐ない。


 矯太郎の奥歯を強く噛む音がギリっと聞こえる。


「今思って居ることを、そのままお伝えになられるのがよろしいかと」


 その苦々しい状況に、言葉が投げ込まれた。

 矯太郎が顔を上げると、メイが何食わぬ顔でテーブルを拭きに来ていた。

 いつもなら触れるなとか言ってプロレス技をかけてくるのに、その妙な違和感に戸惑ってしまう矯太郎。


「ヨツメさんはさっき何を思ったんですか?」

 彼と同時に顔を上げたのだろう、メガネのレンズに水滴を残したライフが、腕の中から問いかけてきた。


 どういった意図でメイがその言葉を言ったのかは分からなかったが、矯太郎はみっともないとは思いながらも正直に打ち明けることにした。


「俺は人間関係を円滑に進めるのがとても苦手でな。頭の中にどんなに知識を詰め込んでも、大切な仲間が悩んでいる時に気の利いた言葉の一つも出てこない。そんな不甲斐ない男だと感じていたよ」


 こんな言葉が彼女の何処に響くというのだろうか、ただ自分の恥ずかしい部分を晒しただけだ。

 矯太郎はライフと視線が合わないよう、メイの仕事ぶりを見ている。

 そんなメイも、こちらに背を向けたまま、黙々とテーブルを拭きあげつつ会話を続ける。


「人には得手不得手があります、ライフ様は凄いと仰りますが、私には()()()()()()()()のです」


 その言葉は彼女らしい感情に左右されない声色で発された。

 その言葉にどう感じたのか分からないが、ライフは矯太郎の腕の中で無理やり態勢を変えて、メイを睨みつける。

「それだけ出来れば十分でしょう!」


 しかしその強い言葉を背を向けたまま、メイは作業を続ける。

「私には、そうやって後ろから抱かれて心配される事も、博士の人生で初めての()()になる事も出来ないんです」


 矯太郎はハッと気づいたように目を見開く。


「そういえば俺、さっき【大事な仲間】って言ったよな」

「はい、(おっしゃ)りました、正確には【大切な仲間】ですが」

「ええぃ、細かい事はいい!」


 彼は突っ込みながらも感動していた。

 52年の間散々欲して、そして諦めてきたものが、今腕の中にる事に。

 気づいていなかっただけで、それは唐突にそこにあったのだ。


 喜ぶ矯太郎をよそに、ライフはまだ納得出来ていない。

 先程の言葉が、矯太郎の琴線に触れたのだろうとは理解はしたが、彼女にとっては不満の残る返答だったに違いなかった。


 だからこそ、メイは言葉を紡ぐ。

 きっと彼女には、ライフ・グリンベルが抱える問題を理解できるだけの経験があるのだろう。


「ライフ様は知らない事でしたが、私のこの能力もはじめは博士から頂いたもので、私の努力は関係ありませんでした」

「えっ、そうだったんですか?」

 その暴露にライフも驚きの表情に変わる。


 確かに、メイは矯太郎が作ったロボットだから、言っていることは間違いない。

 彼女が起動した瞬間には、基本的な家事スキルは知識として彼女のハードに入力されていたのだから。


 そうなると、ロボットの彼女もアイデンティティで悩んだ時期もあるのだろうか。

 科学者である矯太郎はそれに大きく興味を持った。

 今まで淡々と暮らしてきたように思っていたからこそ、AIがそういった思考をすると考えもしなかったからだ。


 矯太郎の思考の海とは別に、メイは背中越しにライフに向かって語る。

 その口調は、とても優しいものだった。


「そうです、もともと私の中にはそれしか無かった。──しかし博士の好み、今日の体調、気分、それらに対応できるようになったのは、私が博士を観察して得た力です。ほかにも掃除のマル秘テク、服が傷まない洗濯の仕方等、初期には無かったスキルも自分で習得致しました」


 言葉を言い終えるころにはライフの目は生気を取り戻し、頬を赤らめていた。

「そうだったんですね……私ったら」


 自信が持てていない事に癇癪(かんしゃく)を起した事が今になって少し恥ずかしくなってきたのかもしれない。

 ライフは矯太郎の胸を手で押して体勢を整えると、突き放すように腕の中から出て行く。


 そのまま、メイの方へと向きを変えて頭を下げた。

「自信を持つって凄く時間のかかる事だって思い出しました──ありがとうございます!」


 それは生きる力に満ちていて、これからの彼女の活躍に期待したくなるようなはっきりとした声で語られた。


「私、部屋に戻りますね」

 そして恥ずかしさを隠すように外に向かう。

 行きがけに眠さに負けて椅子に溶けたように眠りこけるシャーリーを拾ってでていった。

 少し下膨れのほっぺたに残る涙の痕をいつまでも人前にさらしたくはなかったのだろう。



 最後に残ったのは、長年連れ添ったメイと矯太郎。

 メイは黙々と机を拭いている。

 

「いや、もうそのくらいでいいだろう机は。すり減ってしまうぞ?」


 その言葉に手を止めたメイは、すっと真っすぐ立つ。

 背筋が伸びていて美しい。

 矯太郎自身が作ったので褒めにくいが、造形美としてはなかなか完璧なのではないだろうかと感じる。


 そのままメイは間を置かずに踵を返すと、布巾を持って厨房へ歩き始めてしまった。

 いつもの距離感だ。


 メイのお陰でライフはその若い心を病まずに済んだのだ。

 先を行くものというのは、やはりこうして若者の道標になるように生きなければならないと感じる。

 矯太郎は自分の今日の体たらくを思い出すと頭を抱えそうになる。


 しかし、今は自分のことよりも、解決しなければならない問題がある。

 目の前の問題を片付けたあとでも、自分の事で悩むのはできるのだ。


 時計を見ると、既に日付が変わっていた。

「俺は先に寝ておくからな」

 一言声を掛けて矯太郎はロッジへ繋がっている満点の星空の下へ向かった。


「私はライフさんが羨ましい」


 何かが小さく聞こえて振り返ってみたが、青い髪が丁度厨房の扉の向こうに消えるところだった。

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