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契約完了

 その場の全員が取り乱しているうちに、リリーの黒目が戻ってきた。


「あービックリした」


 などと言いながら目をぱちくりし、何事もなかったかのように眼鏡や穴の開いた部分をさすっている。


 その様子を見て、危機的状況は脱したようだと、ローランドは半腰に持ち上がったお尻を椅子に下ろしながら問いかける。

「痛いと言っていましたが、大丈夫なのですか?」

 モンスター退治で危険をいくつかは潜り抜けてきた間柄だろうか、落ち着いた対応が堂に入っている。


「痛いのは最初だけで、今はどうってこと無さそう。むしろ頭がスッキリしているかも」

 割とアッサリしたリリーの返答に、ローランドも矯太郎を責めるような気にはなれなかった様だ。


 かくいう矯太郎もほっと胸を撫で下ろしながら、その眼鏡が正常に機能しているかどうか確かめるために口を開いた。

「無理に外すのは危ないが、もう痛みは起こらないからそのまま掛けていても問題ないぞ。そしてその眼鏡のお陰で、いまリリー殿の頭の中には、俺が暗記している何十冊もの魔道書が入ってる筈だ」

「そーなんだ、呪いのアイテムみたいなものかな?」


 言い得て妙である。

 取り外せない所もまた然り。

 この世界には割とこういうものが広まっていて、装着時に痛みを伴うものや、外せなくなるという物はあるらしいので、彼女もあまり忌避感が少なかったのかもしれない。


 それがどういう原理で行われているかは彼女達にはわからないだろうが。


「どれ、一つ何か呪文を思い浮かべてみてくれ」

 という矯太郎の言葉に、リリーは思い出す素振りを見せたあと、驚きの顔で立ち上がった。

 そしておもむろに呪文を唱え出す。


 先も語ったが、この世界の呪文は精霊との交信だとか、異世界の力を引き出すとかで、呪文自体に人間が使うような文脈もない。

 意味の分からない単語をいくつも繋げたような不可思議な言葉になっており、それゆえに暗記も難しいのだ。


「フ、ルウ、ドエ、リグル、エル、モン、リウ......」


 それをいまリリーは淀みなく羅列していく。

 100文字程の言葉を言い終えたところで、リリーの首元が赤く光った。


「リードの魔法、使えました!」

 驚きと同時に軽く飛び上がり、とても嬉しそうに手を叩いて喜ぶ姿は可愛過ぎる。

 飛び上がった際にグラマラスな何かが激しく上下に揺れた事で、矯太郎は赤面せざるを得なかった。

 先程までと違い、やはり眼鏡を掛けたからか、その魅力は当社比100倍と言っても過言ではないのだろう。


「よ、喜んで貰えたなら俺も嬉しいよ、その眼鏡は君によく似合っている」


 矯太郎は取り繕うようにそう言うと、流石に直視出来なかったのか目を背けてしまう。

 しかし、そんな矯太郎に近づくリリー・フロマージュ。


「でもまだ完成じゃないですよ?」

 丸テーブルをくるりと回り込んで彼へと歩を進めた。


「どういう意味だ?」

 近づいてくる眼鏡女子に嬉しさ半分恥ずかしさ半分、挙動不審になる矯太郎。

 しかもリリーは近くに来ると、その右手を優しく握った。


 そしてそれをゆっくりと持ち上げ、自分の顔の辺りに持ってゆく。


 矯太郎の身長は172cmと標準であるのに対し、リリーは少し小柄で、155cmだ。

 矯太郎の胸の辺りに彼女の顔がある状態。

 そこから上目遣いに顔を上げると、吐息を孕んだ声を出す。


「リードの魔法は、その紐を握る相手を指定しなければなりませんから、ね」

 そう言いながら、自らも顔を赤らめるリリーは、矯太郎の手を自分の頬に当てた。


 薄いそばかすの下、ふわふわのマシュマロみたいな肌には透明感があり、暖かくしっとりと包み込んでゆく。


 そしてその手をゆっくりと下げて行き、顎のラインを通って、彼女の細い首に到達させる。


「アッ……」

 リリーのなまめかしい声が口から漏れ出た瞬間、矯太郎の指先が白く光り出した。


 驚いて手を離すと、その光は粘りを持つ粘液のように、リリーの首と指先の間をツツーっと伸びていき、もっと距離が離れると薄らいで見えなくなった。


 全員が固唾を飲むなか、リリーはいたずらっぽく微笑む。

「これで契約完了ですね」


 言葉を無くした矯太郎とリリーの間にメイが割り込んできた。


「先程もお話しましたが、ご主人様はこれといって奴隷もメイドも募集しておりませんが?」


 その声には刺があるようで、リリーもその(とろ)けかけた表情をスっと元に戻した。


 矯太郎は思い出す。

 そう言えばリードの魔法の話が出たのは、メイが厨房にいる間の事だったと。

 先程は驚きはしたが、リリーは会話の通りに動いただけなのだと、矯太郎はメイの肩を持って止める。


「これは借金した相手が逃げていかないように掛ける魔法なんだ──」

 分かりやすく説明したことで、メイも納得できたのか肩の力が抜ける。


「そうでしたか、わたくしとしたことが、とんだ勘違いをしていたようですね」


 しかしその緩和した状況に、謎の宣言をぶちこむリリー・フロマージュ。

「メイさんには負けませんからね!」


 少しあざとく満面の笑みのままそう言うと。

 せっかく抜けたメイの肩に力がはいる。


「勝ち負けで判断する問題がどこかにありましたでしょうか?」


 メイもそれに過敏に反応しており、二人の間には物理的に火花が散るのではないかと思うほどの睨み合いが開催されていた。

 だが矯太郎にはその空中戦が理解できない様子だ。


「落ち着け二人とも、何処に敵対要素があったんだ?」

 仲間同士雰囲気が悪いというのは困る。

 矯太郎は仲裁のためにスルリと二人の間に体を滑り込ませると、メイの方を向いて下がらせる。


 しかし、メイは矯太郎から目を落とすと。

「はぁ……」

 とため息をつく。


「な、何だというのだ。息もしていないのにどこからその空気を調達してきてるんだ」

 理解不能な展開に、慌てる矯太郎。


「はぁ……」

 そして遅れて背後からもため息。


「えっ、俺か? 俺がなにかした感じなのか?」


 矯太郎の問いには誰も答えず。

 ローランドがその肩を叩き、首を横にふると。


「デザートでも頂きましょう」

 とか言ってくる。

 矯太郎だけに分からない何かがあるのだろう。

 生粋の研究者である彼にとっても、どこから取っ掛かればいいのか分からない難問のような気がしていた。

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