事故のようなもの
そのよく知った声に、ギギギと油の切れたロボットのような動きで振り返る矯太郎の目に、正真正銘のロボットが映りこんだ。
手にトレーを持ちながら青い目玉で、座っている矯太郎を見下ろす。
「私とは今後一切そういうことをしないおつもりであることは理解いたしました」
そのトーンは一定であるにも関わらず、底冷えするような怒りが見えるようだった。
「まぁ俺は眼鏡をかけていない女性には萌えないからな」
ポリポリと頭をかきながら普通に答えてしまった矯太郎は、勢いで新顔の前で性癖を暴露してしまったことに気づいたが、まぁいいかと開き直る。いずれバレることだ。
表情筋が死滅しているメイの方を改めて向き直る矯太郎。
手には美味しそうに湯気を上げるアップルパイが乗っかっていた。
洗い物をしながら、石窯を借りて焼いていたのかもしれないと思うと、彼女の献身的な行動に対して、少しだがチクッと心を指すものを感じる。
そんな矯太郎に向かって、表情を変えずに言葉を紡ぐメイ。
「──私は眼鏡が好きではありません。博士の志向はその眼鏡に向けられるものだからです。もしライフ様やシャーリー様が眼鏡をかけていない場合でも、好きになってあげれるのですか? それは眼鏡が好きなだけじゃないんですか?」
表情は死んでいるが、向けられる言葉は何故か訴えかけるような感情を持っているようで。
矯太郎は何も返せずに息を飲み込むしかなかった。
「他人を真に愛せる人は、相手の容姿や趣向に関係なく愛を築けます。見た目などただの入り口にしか過ぎないものです。それを一生引きずるられると、相手は本当に愛されている実感などありますでしょうか?」
矯太郎にとって、メイという創作物は、ひとつの完璧でもあった。
本物の感情すら持ちえているかのような、自己進化型AIは、矯太郎本人も本当に中身が機械なのか疑ってしまいそうになることもあるほどだ。
彼女であれば、人間の感情や、愛という無形の
存在について、彼女自身の答えを導き出すことも出来るだろうと思っている。
だが。
矯太郎には分からなかった。
誰も彼を愛さなかったし。
彼も愛する機会が無かったからだ。
──幼くして彼の両親は、矯太郎を残して他界した。
親戚の家に預けられた彼は、手のかかる子供ではなかった。
日がな本に没頭し、学校へ行かずとも、その知識は遙か上を進んでいたからだ。
ただし、手は掛からずとも、親戚からすれば不気味な子供に見えたのかもしれない。
気を使って会話をしようとしても、幼き矯太郎の話題は専門家でないとついていけない人工知能や、ロボット工学の内容で、全く会話にならないのだから。
いつしか、お互い関わらないように見えない壁を挟んで暮らす関係になって行ったのだ。
そんな矯太郎にとって、愛というのは科学的に証明されるものでもなく。
手を伸ばしても見えない壁に阻まれ、届きようのないものだった。
そんな彼が、そうとは知らずに初めて愛に芽生えた瞬間。
そこに眼鏡があったことを......矯太郎自身も気付けなかったのだから──。
矯太郎は腕組みをして唸るばかりで、メイの言葉に答えが出せないでいた。
前に進まない会話が苦手な矯太郎は茶化して話を有耶無耶にすることに決めたようだ。
「お前が人間の愛を語っているってのが気になってしまってな、俺にはいまいちピンと来ないぞ。俺に隠れて人間と付き合っていたわけでもないだろ?」
話は終わりだと言わんばかりに目線を逸らし、円卓の方に向き直る矯太郎。
「そんなことより、せっかく作ったお前のうまいデザートが冷めてしまうんじゃないか?」
「そうでしたね。愛はわからずとも、料理の味くらいはわかっている様子ですし」
アップルパイを置く動作ひとつにも嫌みを重ねてくるメイが、皿をテーブルに移動させながら目を見開いた。
見てはいけないものを見て一瞬思考停止している。
矯太郎もそれに気づいてその視線の先を確認すると。
メイとの会話に夢中になっている間に、矯太郎の手元にあった眼鏡を、リリーが手に取り今まさに掛けている所だった。
「これで……!? 痛ったぁぁいいい!!」
そりゃぁそうだ。
今まさに眼鏡のつるから端子が延びて、頭蓋骨を掘削して脳へと届いたのだろう。
脳自体には痛覚がないから問題ないが、穴を開けて進む瞬間にはかなり痛みを伴う。
痛みと同時に、脳に流れ込む膨大な魔導書の知識が、思考回路をシャットダウンしたのか、白目で今にも泡を吹きそうなリリー。
「リリー!大丈夫か、しっかりしろっ!」
薄い肩を両手で支えながらローランドは心配しているようだ。
「やってくれましたね」
この状況に慣てしまったメイは、目を細めて矯太郎を睨んでいる。
「い、今のは事故だ!」
「どうやらリリー様用に魔法の知識をインプットした眼鏡を用意していたようですね。こんな都合のいい事故なんてあるんでしょうか?」
それもその通りだが。
今回は説明して、許可を貰ってから掛けて貰おうと思っていたのも事実。
予想だにしない状況だってのは本当である。




