15地獄の猫が鳴くとき
矯太郎達はまっすぐにライフの待つ治療院へと向かった。
老婆の案内など必要ない程、メイの地図は正確に機能しているようだ。
その治療院が見えるころになると、ライフがその店の前で仁王立ちしているのが目に入った。
どうやら表通りを歩いている通行人を睨んでいるようだ。
その目がメイ達の姿をとらえると今度は、一目散に駆け寄ってきた。
ゲストの帰宅を歓迎しているのかと思ったが、その表情からは焦っている様子が受け取れる。
話を聞くと、午前中からずっと店の前でお客さんを待っていたにも拘らず、誰も来なかったそうだ。
「そりゃぁそうですよね……考えてみれば、母が亡くなって二年、お父さんの薬が必要なお客さん以外は治療を目的に来る人は居ないんでした」
落ち込むライフがようやくメイに背負われているベルガ婆さんに気付いたので、矯太郎は治療院への残りの距離で手短に経緯を語って聞かせるのだった。
すると打って変わってライフの緑色の目が光り輝いた。
「やりましょう! ささっ、早く!」
さっそく腕まくりをしているので、症状の説明もそこそこだが、メイはベルガ婆さんをうつ伏せに寝台に寝かせることにした。
「さぁライフ殿、腕の見せ所だぞ」
調子を取るように矯太郎が後押しをすると、鼻息荒くライフが患者に近づいてゆく。
両手の指をワキワキさせながら患者に迫る姿に、これから行われるのが本当に腰の治療なのか疑わしい。
成功するだろうという確信はあったが、その診察や治療に対して矯太郎も興味が有るのだろう、邪魔をしないようにはしているが、その場を離れようとはしない。
ライフは自信ありげに、うつ伏せの老婆の腰に手を当てる。
そのまま背筋をなぞるようにして、指で何かを感じ取っている。
背骨の位置を確認してから今度は患者に仰向けになるように指示をした。
「ベルガのお婆ちゃん、ちょっと足を上げるね。──これは痛い?」
問いかけながら、左足を上に持ち上げる。
「あいたたた、少し痺れる感じがするね」
「こっちは?」
「そっちは左程でもないね」
矯太郎には簡単な診察の様に思えた。
彼の知っていた現代医学では、レントゲンなどを使い骨の異常を確認するような状況なのだろうが、この世界にはそこまでの文明は発達しているようには見えない。
逆に、先ほどライフが背骨に触れていたあの行動が、それに当たるのかもしれないと予想しているようだ。
実際、ライフは確信に到達したものの表情をしている。
あれだけの触診だけで、脳内の記憶から症例を探し当てたようだ。
「おばあちゃん、これは地獄の猫だよ」
「ああ、やっぱり地獄猫だったかい」
矯太郎とメイはポカンとしている。
ちょっと聞きなれない病気の診断結果だ。
とは言えご年配の知恵袋も同じ症状の病気を知ってることから、この世界ではわりとポピュラーな病気なのかもしれないとは感じたし、矯太郎が読み解いたノートの一節に、確かに猫の記載があったようには思い出せる。
しかし、医学書として読むにも、魔法書として読むにも「猫」という描写が理解できずに、頭を抱えた。
こういう、現地の感性で書かれた部分は、矯太郎には読めても理解できない部分だっただろう。
「地獄猫というのはどういう病気なんだ?」
矯太郎はその人間性として、本来素直な人間ではある。
知りたいと思ったことは調べるし、聞く。
そこに恥ずかしいとか、そういうプライドはない。
相手が年下だろうが、自分より知識が有るものを尊敬できる好人物なのだ。
眼鏡に執着さえしなければの話だが。
ライフも短時間ではあるが、矯太郎のその知識欲に好意を持っていた。
こちらも何の蟠りもなく、その答えを暴露してゆく。
「猫背の人などに起こりやすい病気の一つで、酷くなると頻繁に地獄の痛みを味わうらしいです。原因は骨と骨の間の神経が圧迫されて、それで痛みや痺れが起こります……って、こんな事今まで知らなかったハズなのに、不思議な感覚です」
自分の口からすらすらと回答が出てくること自体に、自分でも驚いているライフ。
その中でも、やはり嬉しさが勝っているのか、口元が綻んでいくのが可愛い。
その緩んだ顔にドキドキしながらも、矯太郎にも大体の症状を把握することが出来た。
「それはヘルニアだな」
「Hellニャーですね」
どうやらメイも矯太郎と同じ回答にたどり着いた様子だ。
ベルガの体重と痛がり様であれば、思ったよりも悪化は進んでいるのかもしれない。
現代医学では、手術やブロック注射といった手法でしか痛みを和らげる事は出来なさそうだが
この世界の魔法なら何とかなるものなのだろうか?
患者の状態がある程度把握できたことで、矯太郎達は不安を感じてはいたが。
どうやら改善の方法を知っているらしいライフは、天使のような笑顔でベルガに向き直る。
「何度か通っていただくことになりますし、一時的に施術後は少し痛むかもしれませんけど、それでよければ楽になる方法はありますよ」
そう聞かされてベルガはそのしわしわの顔をほころばせた。
「痛いのなんて構わんさ、また店に立てるのならね」
歳を取ると、やれることが減っていってしまう。
日々取捨選択を繰り返しながらも、どうしても残したい物さえ、失いそうになることだってあるだろう。
いずれ来るその時が遠のくのであれば、多少の代償など気にも留めない。
最も、老婆程の年齢となると、否が応でも痛みは付きまとっている訳だ。
その程度のものが彼女を思案させることなどまずない。
そんな強い女性だからこそ、希望に対して純粋な笑顔を咲かせるのだった。
しかし、何かに想いあたった瞬間、その表情は萎んでしまう。
「じゃが……施術費用は、わしは払えそうにないの」
国家資格である職業の、しかも手術レベルの仕事だろう。
この世界に健康保険や高額医療控除等といったシステムが有れば話は変わってくるが、おそらくそういう事はない。
それがベルガの落胆した顔からありありと読み取ることが出来た。
だとしても、ここはベルガの腰を治し、ライフに自信を付けさせてあげたいと考えた矯太郎は、一歩前に出て老婆へと優しく提案を投げかけるのだった。
「彼女はまだ見習いです、国家資格も持っていません。なので、公式の料金などを貰うわけにはいきませんが……どうでしょう、貴女のお店の商品をヤーゲン殿が購入する際に、割引をして頂くというのは?」
「そんな事でいいのなら願ったり叶ったりじゃが」
それでもまだ申し訳ないとういう表情は解れない。
やはりこういう施術にかかる費用というのは並大抵のもではないのだろう。
「では、ベルガさんの近い知り合いに、ここの店の宣伝をしてもらうわけにはいきませんか? 資格は無いのであくまで大っぴらにではなく……金額も正規のものよりお安く──」
矯太郎は少し声を絞ると、まるで悪代官に囁く縮緬問屋の様な雰囲気で次の提案を持ちかける。
その発言にライフは少したじろいだ風だ。
彼女に聞かせるにはまだ早いかもしれない、大人の悪い部分でもある。
しかしライフが何かを言う前に、その提案に対してベルガは首を縦に振った。
「わしの知り合いにも大勢、地獄猫に悩まされているモンがおるからの。金を貯めこんどる爺婆にこっそり教えたろうかね」
ちょっと意地悪そうに笑うベルガは、やはり商売で身を立ててきたからか、自分への恩恵を他の所からお金を引っ張ることで埋め合わせられるように考えるのだろう。
矯太郎とベルガは頷きあうと、ライフを他所にそんな契約を結んでしまったのだ。