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11グリンベル家の食卓

「よっよよよよっ……ヨツメさぁん!」

 叫び声とドタバタと走る足音で目が覚めた矯太郎の布団を、声の主が剝ぎ取った。

 どれだけ慌てて走って来たのか、ライフ・グリンベルの緑色の髪がてんでバラバラに好き勝手な方を向いている。


「おはようライフ殿、どうかしたのか?」

 矯太郎は別段朝が弱い訳ではないが、朝っぱらから同じテンションで付き合ってあげられるほどではない。

 のそりと上半身を持ち上げると同時に、グリンベル家の来客用の布団を折り曲げて足元で二つに畳んだ。


 そんな悠長な動きを待つことが出来ないのか、ライフは足踏みをしながら絶叫する。

 

「あ……朝ごはんが出来ています!」

「朝なんだし当然だろう?」


 未だなぜ彼女がこうもハイテンションであるのか、人間観察が得意な矯太郎も理解し難くはある。

 二つ折りの布団から足を抜いて、ベッドの上から靴の上に足を移動する。

 西洋風というか、日本とは違う文化なのだろう、土足の板張りはきれいにはしているが、どうも靴を履いたままでは寝る気が起きなかったのだ。


 またもやその悠長な朝の行動に対して、ライフはもう待てないという風に急かしてくる。

「いつもこうなのか?」

 昨日知り合ったばかりの、16歳の少女の起床ルーティーンなど知る由もないのだが、これから朝は毎日この調子だと少し鬱陶しいと感じてしまっている矯太郎だったが。

  

「起きたらすでに朝ごはんがあるんです! 奇跡なんですか?」

 そんな事はお構いなしにライフは叫んでいた。

 彼女にとってのいつも通りではないようだという事は分かった。

 

 そのまま手を引かれ、グリンベル家の食卓へと足を向けた。

 短い道中、早口にライフが言うには、母が死んで2年、毎日毎日父親の分も朝ごはんとお昼のお弁当の用意をする日課が、低血圧なライフにはかなりしんどかったそうだ。


 いわゆる子供を持つ母親の様な意見だと矯太郎は思いはしたが。

 母親がわりの、若干16歳の少女の口からそれが出てくる事に、少し同情もある。

 しかし、それが彼女のルーティーンであり、役割分担だと自分に言い聞かせ、毎日必死でやって来たことを、可哀そうだとかそういう色眼鏡で見るのは何だか違う気もした。

 矯太郎は黙って手を引かれるままダイニングの入口へと運ばれた。


 そんな感情とは無縁なように、ライフは意気揚々と食卓をお披露目するのだった。

「しかもこれ見てください!」

 矯太郎は言われるがままに食卓を一瞥する。


 自然酵母風のパンを薄切りにし、湯がいた卵をマッシュして挟んだサンドイッチ。

 白菜系の葉物野菜と根菜をミルクで炊いたスープに、ミートボールを入れたもの。

 それに燻製肉を細かく切ったものが入ったポテトサラダが並んでいる。


「うん、朝だしこんなものじゃないか?」

「すみません、勝手に残り物を使ってよいと言われたのですが、わたくしのレパートリーではこれが限界でした」

 矯太郎の冷めた態度と頭を下げるメイド。

 自慢するどころか、むしろ謙遜する彼らに対して、ライフは首を激しく横に振るのだ。

「朝からこんなに豪華な食事はしませんって!」


 この世界、大抵は一品だけを口に入れて、朝食は終わるものだそうだ。

 そういえば矯太郎達の居た日本の家庭の食卓は品数が多いと聞いたことがある。

 他の国では朝にコーンフレークのお宅は、翌日もコーンフレーク……のような食生活が割と一般的なのだそうで、一汁三菜などという4品以上の違った料理を用意することはあまりないらしい。


「家事はメイドの仕事ですから、私がいる限りお食事はお任せくださいませ」

 メイがうやうやしく頭を下げるものだから、ライフは感激に飛び上がるかと思うほどの喜びようだった。

 日々繰り返される憂鬱な日課の一つが、絢爛豪華な朝ごはんに代わるのだから、その喜びようは計り知れない。

 連れてきた矯太郎の手を離すと、自分の席らしき椅子に急いで座るのだった。


「冷めないうちに食べようじゃないか」

 ライフの向かいの席では、割と空気になりがちなライフパパが、ほくほく笑顔で席に一番乗りしていた。

 彼のその頬は緩みきっていて、目じりは下がるだけ下がっていた。

 ライフも、父親がこの美味しそうな朝ごはんを喜んでいると思って居るだろうが……同性である矯太郎は見抜いていた。

 あの顔は女性の手料理に飢えている顔だ。


 矯太郎が席についたのを皮切りに、グリンベル親子はまずパンに手を伸ばす。

「おおっ、美味い!」

 早速感嘆の声が上がった。

 この世界のパンはハード系が主流のようで、メイはそれを薄く切って重ねたことで、嚙んだ時に力が要らないように工夫していた。

 あまりパンの方が固いと、中に挟んだ卵が潰されてはみ出てしまう。

 そういった事件は食べ物の味を確認する際に無駄な情報になる。

 ただただ美味しいと感じる為に、料理の手間は存在するのだと思わせてくれる。


 矯太郎は次にミルクスープに手を付ける。

 日本で牛乳が飲めるようになったのは、ここ300年程度の話だ。

 ただし文化圏の違うこの世界ではどうなのだろうと頭を巡らす。

 同時に情報を得る為に鼻を使った。

 その料理から香ってくる臭いは牛乳のそれとは少し違う気がした。


「これはヤギの乳か」

「はい、昨日ヤーゲン様に資金を頂いておいたので、朝一番でヤギのミルクを購入して参りました」

 矯太郎は日本にいる時は飲んだことは無かったが、ヤギは古くから人間によって飼われており、その乳の栄養素は牛乳よりも多いとされていたのは知っている。

 これであれば確かに科学に劣るこの世界でも広く親しまれていそうなものだと納得が出来た。

 しかしそのことよりも、メイがミルクスープの説明をしていた中に聞きなれない名前が出てきたのを思い出す。

 

「ヤーゲン?」


 その疑問に反応したのはライフの父親だ。

「そういえば昨日は自己紹介の途中でメイさんを掃除場所に案内したんだったね」

 肩幅の広い体をこっちに向けると、自己紹介をはじめた。


「俺はヤーゲン・グリンベルだ。妻が亡くなってから家が荒れ放題になっていたからね、ヨツメさんの所のメイさんには感謝しかないよ」

 矯太郎への言葉のはずだが、視線はメイの方に行っている。

 この男分かり易い奴だなと思うも、矯太郎は大人な態度を崩す事はない。


「こちらも労力を対価とは言え、押しかけた形になってしまって申し訳ない」

 丁寧に頭を下げる。


「あの博士が至極真っ当な事をっ……!」

 矯太郎が一般常識を貫いた事に対して、メイが息をのむのが分かる。

 

 息なんてしてない癖に!

 大体、人の善意に付け込もうって言いだしたのは俺ではなくお前だからな?

 等と心の中で思いはしたが、矯太郎も48歳。

 真っ当な大人なのだ。我慢くらいできる。


「ライフもこんなに喜んでいるしな。こんなに嬉しそうな顔……あいつが居た頃以来だ……」

 ヤーゲンは懐かしむような、慈しむような顔で、愛しいわが子を見つめている。

 もしかしたらメイに対しても、自分の最愛の妻を思い出して嬉しいのかもしれない。

 そう考えるとただのスケベ親父だと判断するのは失礼になるかもしれないと、矯太郎は思うのだ。

 

 そんな事に気付かないまま、ライフは出されたお代わりまでも目を輝かせて平らげている。

 その雰囲気はまさに年齢通り、16歳の好奇心旺盛な少女であった。

 ミルクシチューの湯気が、ふわりと一瞬だけ眼鏡を曇らせるのにも気づかない程夢中だ。

 その光景に矯太郎は湧き上がるものを感じている。

 

 この笑顔が毎日の様に、この可愛い女の子に咲くのであれば。

 それが見たいと思ってしまう。

 その毎日を作ってあげたいと願ってしまう。


 その気持ちが恋というのか、愛というのかすら、恋愛経験のない矯太郎には分からない。


 ただその気持ちを、目の前で同じ様な目をしている男性にぶつけた。

「私も縁があり関わった身……彼女の幸せを願わずに居られませんよ、お義父さん」

「ご主人様……いまこっそり((義))を付けませんでしたか?」

 だが明後日の方から突っ込みという返答が差し込まれる。


 そこには呆れ顔のメイドが居た。 

「発音は同じなんだから、お前の思い過ごしじゃないか?」

 高性能にも程がある。

 矯太郎自身もそういう機能を付けた覚えはないのだが。


 メイは頭を横に振って続ける。

「いいえ、私の記録用文字起こし機能がちゃんと反応しました」

「そんなもん記録してどうするんだ」

「裁判などがあった際に、博士に不利な発言を記憶しておくためです」

「よおし、敵だな? お前は敵なんだな?」


 片手に持ったサンドイッチから握力で卵がはみ出そうになる。

 お互いに鼻がくっつきそうなほど近づいて、にらみ合う二人。


 その時、ライフが机を叩いた。

「お食事中に喧嘩をしないでください!」

 口をとがらせながら異世界コンビを見てくる眼鏡の娘。

 その目は横目でうっすら閉じられ、自分の至高の時間を台無しにしている相手への軽蔑が含まれているように感じる。

 いわゆる、ジト目というやつだ。 


 その目に射抜かれたメイは動じる事は無かったが。

 矯太郎は別の意味で大きなダメージを負う事になる。

 

「これはまさしく学級委員長叱り!」

 矯太郎はそのシチュエーションに痺れて、一気に脳が昇天した。


「委員長は眼鏡界のホームラン王でしゅぶばぁっ!!」

 感激の涙を流しながら矯太郎は両拳を天に伸ばして叫んだ。

 あちらの世界へと行ってしまった主人へ、メイも侮蔑の視線を投げかける。


 しかし、ライフはそれどころではないらしく、片腕にお椀を握って。

「メイさんお代わりお願いします」

 などと、真面目な顔で要求していた。


 そんな奇怪な状況について行けないのはヤーゲン・グリンベルただ一人。

「あの、メイさん……ヨツメさんはどうされたんでしょうか」

 天井を向いてうわ言を言っている矯太郎を心配したらしいが、メイの反応は冷たいものだ。

「常人ではたどり着けない遠い所へ行っておいでです」

「戻ってこられるのでしょうか?」

「戻ってこない方が双方にとって幸せということもありますが?」


 という訳で矯太郎はしばらく戻ってこないまま、ライフが2杯目のお代わりを終えるまで、和やかに食事は続いたとか。

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― 新着の感想 ―
朝から豪華ですね〜。 メイの手料理……ハァハァ(´ε`) 矯太郎に、常人ではたどり着くことが出来ないし、追い付けない! そこに痺れる!憧れない!
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