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犬のお金

作者: 文月しわす

 階段で姉ちゃんの財布を拾った。

 さっきドタバタと出て行ったから、そのとき落としたのだろう。


 弟の特権で中身を確認する。

 千円札が三枚と小銭が少々。小銭の中に紫色のコインが一枚紛れていた。

 ゲーセンのメダルかと思ったが、それっぽい表記は無い。

 コインのふちには、読めない漢字が刻まれていた。


 ふと思い、スマホでコインを画像検索する。

 見覚えのある動画が出てきた。


「やっぱ犬の金だ」


 柴犬がポメラニアンにコインを渡すと、ポメラニアンが柴犬に餌を渡す。そんなやり取りが繰り返される動画。

 客風の柴犬と店員風のポメラニアンの立ち振る舞いが滑稽で、半年前くらいにバズった動画だ。

 財布から出てきたコインは、その動画のコインとよく似ていた。

 千円札一枚とコインを拝借して、財布を階段に戻す。


「九太郎!」


 僕が呼ぶと九太郎は階段の下に駆けてきた。舌を出しながら尻尾を振っている。


「お前コレ知って―― 、うわぁッ」


 鼻先にコインを近づけた瞬間、指ごと噛まれた。

 床に落ちたコインを咥えるや否や九太郎は走り出して、玄関で吠え散らかす。尋常ではない。


 どうやら外へ出たいようだ。

 仕方なく首輪とリードを付けてから散歩袋を持って家を出る。

 九太郎は一目散に駆け出した。

 僕のことなんて考えていない全力疾走だ。いつもの散歩道からどんどん逸れていく。


「お前どこいくんだよッ、ちょっと止まれ!」


 当然聞いてもらえない。

 右へ左へと振り回され、また右へ左へと振り回される。

 ようやく止まったかと思うと、今度は吠え始めた。

 息が切れた僕は、見ず知らずの家の前で座り込む。


「はいはーい。今開けますねー」


 女の人の声と鍵を開ける音がした。


「おい、こら九太郎」


 扉が開いた途端、九太郎はリードごと家の中へ潜り込む。

 出てきた女の人は、姉ちゃんよりも歳上で母ちゃんよりも歳下だろう女の人だった。

 僕はなんとか立ち上がって軽く頭を下げる。


「いらっしゃい。玲子ちゃんの弟くんでいいのかな?」

「姉ちゃんを知ってるんですか?」

「常連さんよ。ふ、おんなじ」

「え?」

「玲子ちゃんも初めて来たとき、ここで倒れてたから」


 全力疾走した姉ちゃんのひどい顔が頭に浮かんだ。


「すいません。勝手に押しかけて」

「いいのいいの、疲れたでしょ。さあ入って」


 言われるがまま家に入れてもらい、リビングに通された。

 ソファーに腰を下ろして、出されたコップの中身を一気に飲み干す。麦茶だった。

 一息つき、九太郎を探す。


「そこだよ」


 僕の隣に座った女の人が指を刺した。

 指の先には「待て」の姿勢をしている大きな犬のぬいぐるみ、――かと思ったら九太郎だった。

 まるでハチ公像のように微動だにせず佇んでいる。

 あんな姿家でも見たことがない。凛々しさすら感じる。


「リード、外してあげて」


 女の人に言われた。そう言えば付けたままだった。

 僕が近づいても九太郎は反応しない。念の為頭を撫でてぬいぐるみではないことを確認する。

 リードを外してソファーに戻った。


「ビー」


 突然女の人が大きな声を上げた。「動かないでね」と僕の太ももに手を置く。

 しばらくすると重い足音が聞こえてきた。

 白いモノが僕の脇を通過する。


「すげー、かっこいい」

 シベリアンハスキーだ。初めて見た。

「名前はビー。女性だよ」

「でも、かっこいい」


 ビーはゆっくりした足取りで九太郎の前に立った。

 九太郎も大きい方だが、ビーはその倍くらいある。

 九太郎が口を開く。

 例のコインが床に落ちた。転がったコインはビーの足元で倒れる。唾液まみれだ。

 それから「うー」だの「ぐー」だの、たまに「わん」だのと、九太郎が犬語を始める。


「何言ってるかわかります?」

「うんうん、全然わからない。でも真剣」


 それは僕にも伝わった。

 九太郎が大きな相手に臆さず向かう姿は、何か込み上げてくるものがある。


 九太郎の犬語が止むと、ビーは足元のコインを咥えて、ゆっくりした足取りでリビングから出て行った。

 九太郎はまた銅像のように固まった。けれど今度は尻尾の揺れが隠せていない。


 10分ほど待っただろうか、ビーが戻ってきた。

 僕を一瞥することなく、先ほどの位置に戻り、咥えていたモノを九太郎の足元に音もなく置いた。緑色のモノだ。

 九太郎は頭を下げて緑色のモノを咥える。けれどなかなか頭を上げない。

 ここのルールだろうか。

 普段暴れん坊の九太郎が、今は女王陛下から剣を授る騎士のように見える。


「ビー、ありがとう」


 女の人がそう言うと、ビーはまたゆっくりと動き出した。

 どうやら終わったようだ。

 僕はリビングを去るビーの後ろ姿を最後まで目で追った。結局一度も目を合わせてもらえなかった。


「九太郎くんも、ありがとう」


 女の人のその声で、九太郎はようやく顔を上げた。その途端僕に向かって飛びかかってくる。

 いつもの九太郎だ。いや、いつもより荒ぶっている。


「見て見て、って言ってますよね、これ」

「うん」

「お前、何もらったんだ」


 咥えていたのは、野球ボールサイズの緑色の石みたいなモノだった。

 宝石ではないだろう、プラスチックだろうか。

 手を伸ばすと、九太郎は激しく首を振った。


「触らせてくれないのかよ」

「宝物なのよ、きっと」


 空のコップにいつの間にか麦茶が注がれていた。チョコやクッキーが乗った皿も現れている。


「いろいろ聞きたいんですけど」

「どうぞ」

「あの紫色のコインって何なんですか?」

「犬のお金だよ。君は見たことない? この動画」


 女の人はスマホの画面を僕にかざした。


「あ! この動画です。僕が見たの」

「この動画のおかげでお客さんが増えたの。玲子ちゃんもそうよ」

「本物なんですか? この動画のお金」

「本物よ。欲しいモノが買える犬のお金。ウチは欲しいモノを売る犬のお店」

「ここ以外にもあるんですか?」

「あるよ全国に、この動画のお店は博多のお店だし」


 考えていた以上に規模がでかい。


「なら、犬のお金って会社とかで作られているんですか?」

「違うよ。作っているのは魔法使いさん」

「魔法使いッ!」


 突然突拍子もない言葉が出てきた。思わずコップの麦茶を飲み干す。


「ウチのお店でお金がある程度貯まるとね、ビーと一緒に魔法使いさんの家に行くの。私は家に入れないから、お金を入れたバックをビーに背負ってもらって届けているわ。ビーは魔法使いさんと仲がいいから、長いときは一時間くらい待たされるの。ビーが戻ってくるとバックの中身は色々な品物になっていて―― 、大丈夫? 伝わっている?」


 僕は頷いた。

 魔法使いという言葉に面を食らったが、姉ちゃんの周りにも似たような輩がいるおかげで割とすんなり飲み込むことができた。


「よかった。玲子ちゃんにはなかなか伝わらなかったから」

「仕方ないですよ。姉ちゃんはあんななんで」

「面白い子よね。少し変わってるけど」


 姉ちゃんの話はもういい。


「魔法使いは集めたお金をどうするんですか? 貯めているんですか?」

「うんうん。魔法使いさんは集めたお金を人間に配っているの。そのお金を九太郎くんたちがまた使って、ビーたちが魔法使いさんにまた届けて、魔法使いさんが人間にまた配る。その繰り返し」

「その繰り返しに何の意味があるんですか?」

「私にはわからないわ。でも人間が使うお金も一緒でしょ。働いて、お金をもらって、欲しいモノを買う繰り返し。何の意味があるんだろうね」


 確かに、それは僕にもわからない。


「なら、どうすれば犬のお金をもらえるんですか。僕は一枚ももらったことがありません」

「九太郎くんが使ったあのお金は、どこで手に入れたの?」

「……あれは、姉ちゃんのです」

「そう、玲子ちゃんの」


 女の人は微笑んだ。


「安心していいよ、君にもすぐ配られるから。私の保証有り」

「そうなんですか?」

「そうなんです」

「わかりました。じゃあ、お金をもらえたら九太郎とまた来ます」

「玲子ちゃんも一緒に来てくれると私は嬉しいな」

「それは無理ですね」


 ひと段落したところで、そろそろ帰ることにした。

 九太郎はリビングの端で戦利品を嗜んでいた。


「九太郎、帰るぞ」


 リードを付けて玄関へ向かう。機嫌が良いからか九太郎は従順だ。

 玄関にビーが居た。何かを咥えている。


「あ! 散歩袋」


 すっかり忘れていた。たぶん玄関で座り込んだときに落としてしまったのだ。

 ビーはゆっくりと僕に歩み寄り、散歩袋を差し出す。


「あ、ありがとうございます」


 頭を下げて受け取った。僕を気にかけてくれたことが何より嬉しい。

 最後の最後まで気品溢れる姿のままビーは家の奥へ消えていった。


「かっこいい」

「だから、女性だよ」

「でも、かっこいい」


 女の人に別れを言って、僕らは犬の店を後にした。

 早く帰りたいのか、帰り道の九太郎はやけに大人しかった。


 家に着くと、それまで大人しかった九太郎が急に暴れ出した。うっかりリードを離してしまう。

 九太郎は庭の方へ走っていった。


 追いかけようと思ったタイミングで、九太郎はそそくさと戻ってきた。

 よく見ると咥えていた緑色の石がない。


「お前、石どうしたんだ?」

「うー、うー、わん」

「隠したのか?」

「うー」

「なんだ、お前にも隠し場所とかあるんだ」

「わん、ぐー、わん」

「安心しろ、誰にも言わないって」

「わん、わん、わん」

「お前、姉ちゃんともあの店行ったんだろ。なら姉ちゃんもその場所知ってるだろ」

「ぐーぐーぐー、うーうー」

「ん? もしかしてあの石ってエロいモノなの?」

「わんわんわんわん、わんわんわん、わんわんわん、わんわんわん、わん」

「わかったわかった。姉ちゃんにも母ちゃんにも言わないから家に入ってくれ。近所迷惑だ」


 玄関でリードと首輪を外す、九太郎は足を拭く前に突っ走っていった。もはや騎士の風格など微塵もない。

 片付けを済ませてから僕は自分の部屋に行く。


 階段には姉ちゃんの財布が落ちていた。構わず自分の部屋に入る。

 部屋着に着替えている最中、ジーンズのポケットから千円札が一枚出てきた。

 この金はなんだろう? 身に覚えがない。

 まあ僕のジーンズから出てきたのだから僕の金だろう。

 千円札を財布にしまう。


 ―― ん?


 財布の中に何かある。硬いモノだ。


「犬のお金……」


 しかも二枚。


 なぜ僕の財布に? 女の人がくれたのだろうか?

 いや、財布は店に持っていかなかった。

 ならどうして。

 いくら考えても答えは出なかった。


 そう言えば、君にもすぐ配られる、と女の人は言っていた。

 姉ちゃんなら何か知っているかもしれない。

 僕は部屋を出て姉ちゃんの部屋の扉をノックした。

 返事はない。

 扉には【入ったら血祭り】の張り紙がある。


 僕は階段に腰を下ろした。

 ここで帰りを待つとしよう。

 姉ちゃんの財布を拾い上げ、弟の特権で中身を確認する。

 千円札が二枚と小銭が少々。

 犬のお金を一枚、姉ちゃんの財布に入れた。


 大丈夫、これでバレることはない。

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