空中戦 5
1958年 ドイツ第三帝国 バイエルン州 ミュンヘン
「ルセフ・ヒトラー?今までに聞いたことのない名前だが、その姓を聞くに総統閣下の縁者に思えるが」
名前に興味を示したパウル・ギースラーに、ヴィルヘルム・クーベの顔は少し渋くなった。
「ギースラー殿は、信じられないかもしれないが。その者は、総統閣下の忘れ形見でありまする」
「馬鹿を言え。総統閣下が結婚したのは、大戦が終わった後だぞ。それに、総統閣下も実務に追われていた為に、彼女との夜も殆どなかったそうではないか」
クーべの解答にギースラーが驚くのも無理はなかった。
彼が言っている通り、アドルフ・ヒトラーが結婚したのは、ユーラシア大戦終結後の1952年のことであり。
その後にあった、戦後処理のゴタゴタと彼自身の年齢も相まって、そう言うめでたいイベントを行われることがなかった。
「この者は、閣下が若い頃に関わった女性との間に出来た嫡子でありまして。最近までは、母親の姓を名乗っていたのであります」
「なぜ、そう言い切れるのだ!もしかしたら、ただの淫売かもしれない女が孕んだだけの落とし子かもしれなしじゃないのに、総統閣下の子供だとどうして分かるのだ」
「内務大臣のご懸念は、ご尤もでございます。しかし、今本国を仕切っている『総統の子供たち』よりかは、ヒトラー姓を名乗っている者のほうが、信用できると思いませんか?」
「大して変わらぬわ」
ギースラーが、呆れた口調でクーべの言葉を一蹴すると、椅子にもたれ掛かって続けて問うてきた。
「仮に、君が言う総統閣下の御子息が民衆からの支持を受けられたとしよう。しかし、ヒムラー達がそれを許すとは思えんのだ。特に『総統の子供たち』みたいな奴らは、かなり警戒してくるだろうな」
「内務大臣が警戒されるのもわかりますが、総統閣下が亡き後の親衛隊が、それほどの大事を起こすことが出来るでしょうか?ここ最近の動きも鈍くなっていますのですし」
ギースラーは、懸念を拭いきれないのを、クーべが何とか抑えようとしてくる。
そんな中で全国指導員は、もう一枚の紙をテーブルに差し出す。
「もし、今回ルセフ閣下に協力していただければこのような、御礼をさしていただきます。もちろん、とある方からの承認も得ています」
「君みたいな小娘が、一体どのような御礼をしてくれるかな?」
全国指導員が持っていた紙を受け取るとギースラーの顔が一気に変わった。
「おい。一体誰がこんなモノを保証するのだ。君みたいな一般指導員が、渡せるものではないぞ」
「もちろん私が渡せるものではございません。これは、下に記されたサインの通り副総統より許可を頂いたものであります」
「副総統からだと!」
ギースラーがそう言って、下の方に目をやると、副総統であるルドルフ・ヘスの名前がサインされていた。
「彼の後援者であるヘス氏からは、ルセフ氏を支援してくれる政軍関係者には、設立後の重要ポストも約束しているそうです」
「しかし、南部3管区の委任行政権の承認とは、いくらなんでも」
「ええ。破格の条件と思いますわ」
彼女が出した見返りに驚かされたギースラーは、しばらく渡られた紙をしばらく見つめていた。
「ギースラー閣下!急報であります」
オットー・カリウスが慌てて部屋に飛び込んて来たことで、会話を中断することになった一同は、一斉に彼の方へと視線を向けた。
「どうしたのだ!カリウス」
「北部平原にSSの部隊が展開中!ミュンヘンに向けての包囲を行いつつあります」
「親衛隊め!だいそれた事をしよってからに。直ちに、きみの部隊に出撃を命じたまえ」
「既に、防衛指示を出しております。ただ、多くの部隊が南部での演習に回しておりますので、到着に今しばらくの時間を要します。その間は、既存部隊のみになりますので、守りきれるかどうか」
カリウスは、この周辺にいる兵力が思いのほか少ない事を懸念していた。
この頃のミュンヘン市街には、カリウス直属の装甲大隊が2個と砲兵連隊1個、歩兵大隊3個(クーべ麾下のSSも含む)が駐屯しているものの、充足率は7割程度しかおらず、まともに戦える戦力ではなかった。
「カリウス中将!できる限りの迎撃を命じる。ミュンヘンを守ってくれ」
状況の改善が絶望的なのはギースラー自身も分かっていたが、他に良い命令もなかった。
「了解!」
カリウスが外へと駆けていくと、ギースラーが3人の方に目をやる。
「すまないが、非常時ゆえにこの話は、一旦保留にしてほしい。状況が収まり次第、また話すこととしよう」
「その様ですな。では、ご武運をお祈りします」
「お互いにな」
お互いの無事を祈るようにローマ式敬礼をかざした後に3人は、車に乗り込んで親衛隊本部へと急いだ。
ミュンヘンから北に50キロ手前
第17SS軍団を率いているオットー・クム親衛隊中将は、久しぶりの実戦に高揚していた。
ユーラシア大戦以降は、ブルターニュ半島にて起こったフランス解放戦線の抵抗以来の組織的戦闘であり、日頃の訓練を試す機会でもあった。
「軍団長!北部部隊及び西部部隊の準備完了。命令一下で攻撃に移れる状態にあります」
「よろしい!」
伝令兵の報告を聞いたクムは、立ち上がって居並ぶ黒い軍団へと向かっていった。
軍団兵士は、この日の為に新調された真っ黒な凹凸の少ないヘルメットを被り、黒に近いグレーの威圧的な軍服に袖を通していた。
手元には、最新鋭のStG48SSモデルやパンツァーシュレックが握られており、個人火力も充実していた。
「我が偉大たる帝国親衛隊諸君!今日は、亡き総統閣下と偉大なる帝国に逆らう者たちにとっての厄日となるであろう。これより、ミュンヘンに蔓延る反逆者どもを根絶やしに行くぞ。前進!」
クムの号令に応えるように、黒き死神達が一斉に「ハイル・ヒトラー」の掛け声を上げて、右手を掲げて、自身の忠誠心を見せつけた。
「勢いが良いですね。さすがは、精鋭軍団です」
クムの後ろから黒髪の親衛隊服を着た男性が歩いてくると、軍団長の顔が少し不機嫌になった。
「これは、総統代行殿。わざわざこんな前線までお越しいただかなくても大丈夫ですのに」
不機嫌さを隠すような口調でクムは、後ろから近づいて来たカイ・パルナバスに問いかける。
「何をおっしゃりまするか。こんな大事な作戦に顔を出さないわけにはいかないでしょう」
パルナバスは、クムに笑みを浮かべながら自分の椅子を用意させて腰を下ろすと、双眼鏡にて前線の様子を見始める。
「戦果を期待しますよ。群団長殿」
「言われなくてもわかっている」
二人の意思を背中にしょって、黒い軍団の列がミュンヘンを目指すのであった。




