Ⅱ
私は、読んでいたノートを閉じた。
細く明かりの差し込む、誰もいない教室の真ん中、列べた机にクロスを敷いたその上には、穏やかに眠るふたりの少女が整然と横たわっている。
私は腰掛けていた教卓から飛び降りて、横並びに眠るふたりの少女たちの元へと歩いていく。メスを入れて胸の内を晒け出した彼女たちは、まだ動き出す素振りも見せないまま眠り続けている。今は中身が入っていないんだから、当たり前だろうけど。
私は窓ガラスを見る。そこにはやっぱり、なんだか本物らしい天使の輪っかと羽根とが映っていて、きっと清香には私がそういう風に見えていたんだろう。天使みたいに見えるだなんて、大袈裟過ぎて笑ってしまいそうになるけど。
横たわる天羽つくしの頬を、優しく撫でる。ちっとも心休まりそうには見えない彼女の不安げな寝顔は、確かに物述世界にそっくり。いったい何にそんなに怯えているのか、そう思えばなんだか、居たたまれない気持ちになってしまうけど。
「そっか、私みたいになりたかったんだね」
つくしちゃんを開いたノートには、そう書いてあった。世界が私と同じ姿をしているのもきっと同じ理由で、そう考えてみると結構単純なものかもしれない。
そうして落とした視線の先には、彼女が羞恥そのものとまで言っていたハリボテの輪っかと羽根。どうして彼女がそんなものを背負っていたのか、その理由はつくしのノートにも書いていない。そんなに嫌なら、あの子が憧れていた羽根も輪っかも、私と同じにすれば良かったのに。
そうしなかったのは、きっと。彼女の本当になりたかった姿が、本当は私じゃなくて物述世界の形だったから。だから私は嬉しくなって、メスをその手にとる。
「ね。私、あなたのこと、ちょっとわかった気がする」
だなんて声をかけながら、動かないつくしちゃんの身体にメスを入れる。人ひとり分の身体は大きすぎるから、四肢や首、分けられそうなら骨や内臓も。そう言う風にして、鼻歌を歌いながら彼女を小さく切り分けていく。それは言うなれば、言葉通りの徹底解剖。
彼女の全部を切り分け終わったから、ふぅと一息ついて、やがて私はメスを置く。並べた机で誂えた解剖台に広げたそれは、上手にしまえばそこそこのサイズの鞄くらいに納まるだろう。思っていたよりも手際よく進められて、なんだか得意気になってしまう。
そうして小分けにしたつくしちゃんを、隣の解剖台の上で眠る物述世界の、その開いたままの胸の内にしまい込んでいく。嵩張るかと思ったその身体は、世界の中に入れた瞬間嘘みたいに馴染んで。だけど世界もつくしちゃんも、元を辿ればどちらも同じなんだから当たり前のことなのかもしれない。
空っぽだった世界の身体に、次第につくしちゃんが満ちていく。私になりたかった彼女の想いを、私の真似をした彼女の入れ物へとしまい込んで。あのノートの中身が世界でいっぱいに満たされていたのも、それと同じことだ。だってなりたいものには、きっとなれた方が良いから。
そうしてつくしちゃんでいっぱいになった中身が溢れないようにと気を付けながら、仰向けに横たわる世界の身体を椅子へと座らせる。脱力しきった身体は予想よりも重たく感じて、ちゃんと気を付けていないと、ずるりとこぼしてしまいそう。
彼女の身体を椅子に寄せて、背もたれに体重を預けさせる。だらりと垂れ下がった両手はおへその辺りで組ませて、上を向いた首は俯くように前へと向けて。出来うる限りだけど、少しでも見映えが良くなるようにと、私は彼女の姿勢を整えていく。
それは解剖台へと寝かせるのに邪魔で脇にまとめておいた、あの天使の輪っかと羽根も同じ。一目見て手作りなんだと思ってしまいそうなそれは、きっと彼女とは切っても切り離せない。彼女の本質とか、彼女らしさみたいに見えたのだ。
だから椅子に座らされたまま眠る世界の背中とその頭上とに、もう一度それを背負わせる。
厚紙をセロハンテープで貼り合わせて、絵の具でベタベタと不器用に色を着けたような。手作りの演劇、それともお遊戯会の小道具みたいな背中の羽根。そして天使の輪っかのようなそれは、そのまま蛍光灯を浮かべているようで。
明らかに作り物みたいな彼女のそれと、本物みたいな私と。窓ガラスに映る姿を比べてみれば、そのふたつは全然違って見える。そこにある違いがきっと、物述世界なんだろうなと思った。
そして次に私は、つくしちゃんの胸の内から取り出したノートを開いて、彼女の使っていた羽根ペンを手にとる。そのまだ真っ白なページに、ずっと世界のことを描いてきたペンで描き残すのは、もちろん目の前で眠る物述世界の姿。
椅子に腰掛ける彼女は私と同じ姿をしていて、そして私と違う輪っかと羽根とを持って、胸に空いたままの切り口からはつくしの姿が覗いている。なんだかその姿は、静かなうたた寝をしているみたいに思えた。
やがて、物述世界は描き上がる。つくしちゃんがそうしたように、清香が思い描いた世界の姿をノートの中に刻み込んでいって、目の前で眠るの彼女の姿と寸分違わぬその肖像は、やっぱりこんな時でも不安そうに眉をひそめている。
そうして私は、ノートを閉じた。
読み終えた物語を本棚に戻すみたいに、切り開かれた彼女の胸の内へと、世界を記したつくしのノートをしまい込む。それはぽっかりと空いた穴を埋めるみたいにして、綺麗に世界の中を満たした。
きっと彼女は、これを望んでる。思いもよらないその事実はどこかむず痒くて、少し笑ってしまう。
だから最後はこの、大きく開いたままの胸の内を縫い止めないと。私はにこりと微笑んで、ノートの納まる胸を優しく撫でて。まだ眠ったままの彼女の身体を一度優しく抱き締めてから、その耳元で静かに語り掛ける。
「ねぇ、嬉し? これでやっと、世界になれるんだよ」
私は彼女の胸元を走る赤い傷跡を、するりと指先でなぞった。だってノートも傷口も、一度開いたならば、その最後にすることはどっちも同じなんだから。
そうして私は、世界を綴じた。




