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心移植/heart_to_heart  作者: 遠藤ほうり
天羽つくし
4/6

 天使が、ノートを開いていた。

 細く明かりの差し込む、誰もいない教室の真ん中、列べた机にクロスを敷いたその上に、穏やかに眠る少女を整然と横たえて楽しそうに、鼻歌なんか歌いながら。

 寝息のひとつも立てないその少女、物述世界は、その身体を中心から綺麗に割かれ、誰にも見せられたものではない秘めたる胸の内を晒している。

 そうしたのは、目の前にいるこの天使だ。ご機嫌そうなその姿は、呼吸もなく眠りに就いている彼女と全く同じ。物述世界そのものの形をしていた。

 だけど彼女は、あからさまに世界とは違う。まるでティータイムの傍らに本を読むみたいに穏やかで朗らかで。たとえば生きていく中で、何かに怯えるということを一度も知らないで過ごして来たみたいな。

 それに、何よりも。彼女が最も世界と違うのは、その背中と頭上とに、まるで本物の天使の持つような羽根と輪っかがついていたこと。

 その羽根はふわふわとした綺麗な羽毛に包まれて、呼吸に合わせて小さく動いている。輪っかも同じでなんの支えもなく浮いているし、まるで実体のない光だけがそこにあるかのよう。

 だから目の前の彼女は、きっと紛れもない本物の天使なのだと私は思った。

 あんなあからさまに不自然で、悪し様に言えばみすぼらしい作り物を背負っていた物述世界なんかとは全然、比べ物にならない。

 自分の席に座っていた私は呆然と、そんな天使の姿を見つめる。それに気が付いたらしい彼女がこちらに向かってにこっと笑いかけたから、咄嗟に私は顔を伏せてしまった。心臓が跳ね上がって、痛い。

「あれ、なんで目逸らすの?」

 天使は立ち上がり、つかつかとこちらへ近付いてくる。余りに迷いなくやってくるものだから、俯いたままの顔と目線とをあからさま逃がしてしまう。私と彼女との距離感が近くなるにつれて、身体には変な力が入って強張っていくのを感じた。

 つかつかと、そうして彼女の足音は、私の目の前で止まる。彼女は腰を曲げて、すっかり固まって動けなくなってしまった私と目線を同じ高さに、逸らしていた顔をずいっと覗き込んだ。

「もしかして、人付き合い苦手系だ!」

 ぱちくり、と音がしそうな瞬きをふたつ。天使はじっと私の目を見詰めるから、私はまるで磔にでもされたように瞳を動かせなくなってしまった。

 いったい、固まるだけの私の姿から何を読み取れたのだろう。そっかそっかとひとり勝手に納得して、彼女は手頃な机へと腰を降ろす。

 もしかすると、天使のした質問はどうやら質問ではなくて、確認とか確信のようなものだったらしい。そんな彼女は脚をぶらぶらとさせながら「ねぇ」と朗らかな調子で私に声をかけた。

 びくっと身体が強ばって、情けなく身構える私を余所に、何かを思い立ったみたく机から降りて天使は教卓へと歩いていく。そのお目当ては中にしまってあったクラス名簿だったみたいで、開いたそれへと目を通すと、彼女はこちらを見て言った。

「おっけおっけ。天羽、つくしちゃんで合ってるね」

 私が答える間もなく、ぱたんと閉じた名簿を教卓へと放り去って、わかっちゃったとばかりの明るい表情を見せる。そうしてもう一度私の前へとやって来た彼女は、机の上に置きっぱなしになっていた私のペンを指差した。

「もしかして、それで羽根ペン使ってるの?」

 羽根で、土筆(つくし)だから、なんて。私が恐る恐る首を横に振ると、「なんだ、そっかぁ」となんだか少し残念そうに肩を落とした。落胆というか、まあそうだよねというか。なんだか少しつまらなそうにしょぼくれる彼女は、また適当な机に腰を降ろして再びノートをめくり出す。

 その青い装丁は見覚えどころかむしろ馴染みすらあるような感じがして、くるくると回るような彼女のペースに置いてきぼりのまま、ただ呆然とそれを見つめる。天使はそんな私の視線に気付いたのか、愛想と見映え良く手を振った。

「あぁ、これ、借りてるね」

 それだけをあっけらかんと言い放って、彼女の興味は再びノートの方へ。誰かの机に腰掛けて、手持ち無沙汰の足をぶらぶらとさせながら。

 えっ? そう戸惑いの声が先に出て、それが私のノートであることに気付いたのは一拍遅れてから。彼女からそれを取り返そうと音もなく伸ばした手は、まるで自分の持ち物を扱うような、あまりにも当然のような彼女の態度に行く先をなくして、すごすごと引っ込める他にない。

 私は何にも言われてないのに、どころか関心さえ向けられていないのに、まるで怒られた人がするみたいに椅子の上で肩身狭く、俯く以外に出来ないまま。

 天使はノートをぱらぱらと、そして寝息すら立てることなく眠り続ける世界とを見比べている。割かれたままの腹の中、ぱっくりと開かれた胸の内を確かめるように。そうして時折ふんふんと納得してみたり首を傾げてみたりして、世界を読み進めている。

 そうして最後に、ノートはパタンと閉じられる。一息ついて。

「ねぇ。つくしちゃんはどうして、これを描こうと思ったの?」

 これ、ありがとね。とノートを私の机に置いた天使は、その向かいにある机に座り込んで顔を覗き込んだ。真っ直ぐな彼女の瞳に写り込んだ自分が見えてしまいそうになったから、咄嗟に目を逸らしてしまったけれど。

「だってほら。このノートに描いてあるのってさ、全部かわいそうな事になってるのばっかだよね」

 "ね"のタイミングで小首を傾げてみせるようなそんな彼女の仕草を、私はどこかで見たことがある気がした。

 ただその問い掛けに、なんて答えればいいのか。だって、誰かの見られたくない部分だけをノートに描き残している、だなんて。

 言葉に詰まる私を尻目に、天使は唇の先を尖らせてまるでクイズでもしているように考え込む。

 十中八九その内容は直前に彼女が言及したことの、その理由について。机に腰掛けたまま足を揺らして、彼女は口を開く。

「つくしちゃんってさ、嫌いなの?」

 天使は足を組んだままそれを顎で指し示した。その視線の先にあるものは、横たえられながら寝息ひとつ聞こえないあの物述世界の姿。まるで遊び飽きたおもちゃがそのまま放られるみたいに、その中身を散らかされたまま。

 私は何も言えなくって、中途半端な声だけが出た。その様がよっぽど滑稽に映ったのか、彼女は堪えきれなかったみたいに噴き出して、腹を抱えて笑い始める。どうしてそんなに笑われているのか分からなくて、なんか、嫌だ。

「いや、そんな必死にならなくて大丈夫だから」

 あはは、と。ひとしきり笑い疲れた天使は、まだ少し可笑しい気持ちを引きずった様子で宥めるように私にそう言った。

 彼女は未だに込み上げて来ているらしい笑いを抑えながら、再び私の前へ。一度は返してくれたはずのノートをひょいとつまみ上げて、ぱらぱらと流し見ている。目を細めたその表情に、彼女が何を思っているのか、私には読み取ることが出来ない。

「じゃあさ、なんでこんなの書いてるの?」

 ノートの中身を私に見せるようにして、また彼女は小首を傾げた。その視線は真っ直ぐに、本当に純粋な疑問を投げ掛けている。

 結局、何も答えられずに俯いたままの私に呆れたのか、それとも飽きたのかもしれない。彼女は退屈そうな溜め息をついて、ぱたんとノートを閉した。

「ね。つくしちゃんって、結局なんなの?」

 彼女は椅子に座る私へと視線を向けるけれど、それはまるで言葉通り見下されているようで。その問い掛けただ答えを待ったまま、きっと私が返事をしなければ、永遠にこの時間が続くのだろうなとすら。

「なんなの、って……?」

 そんなこと言われたところで、いったい何を答えればいいのだろう。恐る恐る彼女の顔色を窺ってみても、ただ見目の良い澄まし顔。その表情は喜怒哀楽のどれに分けられるのか、強いて言うなら無表情としか私には見えない。

 私が答えないから、彼女も無言。そんな沈黙がしばらく続いて、ふぅ、と彼女は深い息をつく。そうして軽く考え込んでから、とんとんと自分の座る机を示すように軽く叩いた。

 つまりは、物述世界の机を。

「私ね、知りたいんだ。この子のこと」

 どうして私の真似してるのかな、って。そう言って首を傾げた天使は、にこりと微笑んでみせた。

「だからちょっと、協力してくれない?」



 私は、読んでいたノートを閉じた。

 ふぅと一息ついて見渡した放課後の教室には誰の姿もない。教卓を腰掛け代わりにしている私と、クラスメイトたちの机を並べた上に寝かせたふたりの少女を除いては。

 そのひとりの胸元は真ん中から大きく切り開かれていて、普段は誰にも見せない胸の内を大きく晒け出している。

 勿論、やったのは私だ。手元のメスをくるりと回す。

 教卓を降りて、ひとまず大きく伸びをする。さっきまで読んでいた青いノートは、つくしちゃんがずっと書いていたもの。彼女の目を通して見る色々なものは、私が普段見ているものと全然感じ方が違って、なんだかぐったりと疲れるような気がした。

 私は窓ガラスを見る。そこに映るのは天使のような輪っかと羽根のついた私の姿。つくしちゃんのノートには琴の音が聞こえてきそうだとか誰よりも笑顔が似合うだとか書かれていて、正直大袈裟すぎだと思ったけど。

 だけど、あんなに隠したがっていたノートに書いてあることだ。多分その言葉に嘘偽りはなくて、私が天使のように見えることも含めて、きっと本当のことなんだろう。別にそんな天使扱いされるほど、私は特別とかじゃないと思うけど。

 青い装丁のそれを手に持ったまま、机の上に寝かせていたひとりの少女の元へ。つくしちゃんは彼女を、物述世界と呼んでいたっけ。

 横たわって胸を切り開いた彼女は、そのまま私と全く同じ姿をしている。彼女がくっ付けていた作り物の輪っかとハリボテの羽根だけは、その辺りの椅子の上に纏めて置いておいたけど。

 こうしていると、本当に学校の出し物で用意した小道具みたいに見えてくる。あんまりチープすぎて、ちょっと笑っちゃいそうになるくらいに。

 静かに眠るそんな彼女の胸の内には、どれだけ探しても何も入ってはいなかった。切り口を大きく開けて覗き込んでみても、本当の本当に空っぽ。もう一度そこに手を入れてみたけど、やっぱり何にもない。

 これじゃあまるで、物述世界そのものがハリボテみたいだ。見た目だけ整えて中身のない、ハリボテ。

 そんなだから私には、この子がいったい何なのかわからなかった。なんで私の真似をしてるのか、どんなことを考えてるのか、そもそも物述世界ってなんなのか。全部、全然、全く何もわからないまま。

 ただ、こんな状況ですら不安げな顔をして眠っていることだけは、なんだか彼女の印象そのままだった。いつも何かに怯えてるみたいだったから。

 私は深く溜め息をつく。だってあんまりにもわからなかったせいで、ひとり余計に紐解く羽目になったのだ。申し訳なさとちょっとした手間とで、少し余計に疲れてしまった。

 でもそれも、これでおしまい。ちらっと私は、その隣に寝かせておいたもうひとりの少女の方を見た。

 天羽つくし。

 彼女のことも正直よくわからない。だけどつくしちゃんならきっと、私に理解できないあの子の胸の内をわかっている気がする。だってそうじゃなかったら、あんなノート書いてないだろうし。

 そうして私はメスを手に、横たわるつくしちゃんの前へ。

 私は鼻歌を歌いながら眠る彼女の制服をはだけさせて、その肌に刃先を突き立てる。つつつとメスを動かせば赤い一筋の切り口が出来て、思っていた以上の手際のよさに自分でふんふんとひとり頷いてしまった。

 ともあれ、今度は何か手懸かりがありますように。

 そうして私は赤い線からつくしちゃんの胸の内へと手を入れる。視界の届かない中、あちらこちらへとまさぐってみると、心臓の代わりに何か硬いものが手に触れた。

 それをぐっと掴んで、彼女の胸からそれを引きずり出してみる。ずるっと僅かな抵抗感を以て引き抜かれたそれは、あまり厚みのない長方形をしていて、一言でいえば青い装丁のノートだった。

 見覚えのあるデザインはまさしく、つくしちゃんが物述世界について書き記していたのと同じ。

 私は首を傾けてつくしちゃんの中を覗き見る。彼女に言わせれば、それこそティータイムを分かち合うように、それともふたりの間を分かつ国境のような細い細い赤線を捲り上げて。

 だけどノートを取り除いた胸の内にはもう何も入っていなくって、後は本当にただ空っぽなだけ。だからきっとこのノートが、多分つくしちゃんの全てなんだろう。

 そう考えるとなんだかとても可愛らしく思えて、思わずにこりと笑みがこぼれてしまう。そんなつくしちゃんにとって大切なノートの、その表紙を指先で優しく撫でる。

「つくしちゃんなら知ってるのかな、あの子のこと」

 そう呟いて私は、ノートを開いた。

次回更新は19日18時です。

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