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割れた窓ガラスから人工照明の光が差し込む。
少し苔の生えた硬いコンクリートの床に敷かれた敷き布団から脇腹にある傷口を押さえつつ体を起こし、左下が割れた縦長の鏡の前に立つ。
鏡には、20代の顔のととった男が立っていた。
毎日、本当にこれが俺なのかと疑ってしまう。
黒と銀が混ざった髪の毛で出来たウルフカットの髪をいつもの容量で整える。
使いふるされたクローゼットからいつもの黒色のシャツとズボンを取り出し、シャツの上にところどころに明るい水色のラインが入った上着を羽織る。
薄汚れた靴を履き、家の外に出ると同時にため息をつく。
今にも倒壊しそうな家のマンションの階段を降り、人通りへと出る。
そこには毎日見ている薄暗い町並みと行き交う人々の姿があった。
恐らく[天]の東京を模したであろう町並みを500mほど遠くにあるように感じる天井の照明が今日も俺達を照らす。
一定間隔で配置された照明も、この草木に覆われボロボロの東京も、そこを行き交う人々も、もう慣れていた。
この仕事を除いて。
再びため息をつくと、俺は自宅から2㎞ほど離れた職場に徒歩で向かう。
他の建物のと比べ、明らかにきれいな俺の職場のビルはこの町中でとても浮いていた。
上にいくにつれて建物の三分の二くらいから四角から円形になっている独特な形をした50階建ての職場につくと入り口から見て左にある受付に向かう。
受付の女性に会員証を渡し、職員であることが分かると女性は
「こんにちわ。今日もお仕事頑張ってくださいね」
といい、俺は軽く会釈をし、後ろのエレベーターに乗り込む。
あの女性とももう3年の付き合いになるのか。
そんなことを考えながら、36階のボタンをおす。
このボタンが多いエレベーターも、最初はボタンを押すだけで1分かかった。
「36階に到着しました」
という聞き慣れたアナウンスと同時に扉が開く。
俺は一定間隔で置かれたたくさんいる職員の机の間を通り、一番奥の部屋のドアをノックする。
コンコン、と二回ノックし、部屋に入る。
「失礼します」
部屋にはコーヒーの香りが漂っていて、そこには茶色の本棚に囲まれた机でいつも通りの事務作業をしていたクールで清楚な印象を受ける女性の上司のメリアがいた。
「ああ、カイ君、来てくれたのね。今日は休んで構わなかったのに」
カイ。それが監獄での俺の名前だ。
「別になんともないですよ。それより、次の仕事はありますか?」
俺は別に仕事熱心なわけではない。というか、ここにいるほとんどがそうだろう。だが、我々は仕事をしなければならないのだ。
メリアが何枚かの紙を見ながら、
「今日は珍しくあまり仕事は無いわね。素材の収集とかならあるけど、あなたはあまりやりたくないでしょう?」
と言われ、俺は首を軽く振りながら
「いえ、それしか無いなら別に構いませんよ」
と返す。
「そう?じゃあお願いするわね。えーと、収集するものは、[鉄鉱石]、[銅鉱石]、この2つを50gずつね。場所はどこのでも構わないわ。報酬は3500Gよ」
「分かりました、依頼が終わればまた来ます」
俺はそう言うと軽く彼女に手を振り、部屋を出てこの階の右端にある準備室へ向かった。
ガチャ。
準備室のドアを開け、壁沿いの灰色の金属でできた重いスライド式の戸を開ける。
俺はそこに入っている採掘用のツルハシと、万が一のためのいつもの黒メインの近未来チックな短剣をとり、腰にかける。
別の棚に移動し、少しばかりの食料と水の入ったペットボトルをとり、そこそこの大きさのバッグにツルハシと食べ物を入れ、首にかける。
俺は準備室を出て、再度エレベーターにのり1階のボタンを押す。
「1階に到着しました」
とアナウンスが鳴る。
俺はエレベーターを出ると、建物の外に出て、大通りで最近サービスが始まったタクシーを乗り物を捕まえる。
職場で聞いた噂じゃこのタクシーとやらも[天]では随分前からあったらしいが、ここじゃ目当たらしい物だ。
俺はタクシーに乗り込むと、60代くらい運転手に
「[ハルハッド]の管理するB12の鉱山までお願いします」
と言う
運転手は
「かしこまりました」
と穏やかな口調で返事をした。
俺がシートベルトをしめると、車が緩やかに走り出した。
少しして、運転手が
「お客さん聞きました?またこの階から上の階に行った人がいるそうですよ」
この監獄は地上からとんでもないくらい地下まで伸びており、総階数は1000階。
死刑よりももっと重い罰で償わせなければ。
そう警察に判断された者はここへ送られる。
新入りはまず最下層の1000階に送られ、さまざまな職で仕事をこなすことで上層へ行くことが出来る。
そして、最上階をぬければ、晴れて外で暮らすことができる。
999階、998階、と序盤のうちは比較的楽に昇ることができるだろう。
しかし、この[900階]の壁を越えれるものは少ない。
俺も半年ほどこの901階に滞在している。
上の階に行くためには仕事をこなして受け取ることができるG(gold)が必要であり、当然上の階に行くにつれて、必要なGは増えてゆく。
だが、俺たちは仕事をこなして貰える金の中から生活費も出さなくてはならない。
一食分も、監獄を管理している警察が出すことはない。
そんな理由もあり、大抵のも者は901階で死に絶えてゆく。
そして、900階に行ける者が少ない理由はもう一つある。
それは、900階に行くのになぜか急激に必要なGが上がっているのだ。
902階から901階まで行くのに必要だったのが50万Gだったのに対し、901階から900階までには150万Gが必要なのだ。
今までは、大きく上がったとしても、せいぜい5万ほど。
恐らく、警察はもともと我々を外に出すつもりなんて無いのだろう。
警察と言えば、あのメリアもそうだ。
メリアは監獄の職員の中では天使と言えるくらい俺らに優しい。
そんな理由もあって、901階は[監獄最大の壁]と言われながら、[監獄のオアシス]とも言われている。
これは俺の勝手な想像だが、奴らは叶わないことのために汗水たらして働く俺たちを嘲笑っているんじゃないか。
あのメリアも実は裏で俺たちを馬鹿にしているんじゃないか。
そんなことを最近考えている。
だが、最近になって、900階に行ける人が増えてきている。
その理由の一つが仕事の増加だ。
3ヶ月ほど前まですぐに無くなっていた仕事が余るほど増えたのだ。
そのため、高報酬な仕事も増え、この大きな壁を越えるものが現れて来た。
職業によって、仕事が違うから当然報酬も違う。
職業はここに入ってきたときに好きなのを選ぶことができる。
料理人、運転手、組合職員…
さまざまな職業こある中で、他の職業と比べ、人数が多い職業がある。
それが、俺も所属している冒険者だ。
冒険者ってのはほとんど名前だけで、本当は何でも屋みたいな感じだ。
何でも引き受けるから、当然仕事も多くなる。
つまり受けられる仕事が増えれば、報酬も多くなる。
そんなだから人も当然多くなる。
その仕事を奪い合いながらこなすのが我々だ。
この仕事をしていて、自分たち人間の醜さがよく分かったと思う。
俺はそんなことを考え、小さくため息をついた。
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20分ほどして、運転手が
「着きましたよ。料金5400Gになりますね」
と言い、俺はそれに対し
「分かりました」
と言い、銀貨5枚と銅貨4枚を小さな薄汚れた白色の袋から取り出し、運転手に渡す。
「はい、5400Gぴったりですね。ご利用ありがとうございました」
俺は車の扉を開け外に出る。
そこは、先程までいた町中とはうってかわって、ほとんど人の気配がしなかった。
それはそうだろう。ここは既に俺の所属している組合の管理区域を外れている。
組合の管理区域なら特殊な結界もあり、魔物が入ってくることはないだろうし、万が一入ってきても組合の者に守ってもらえる。
だが、管理区域をぬければ、道路などはあるといえいつ、魔物に襲われてもおかしくない。
鉱山も、組合に管理はされているが、それも2週間間隔でだ。
その間に緑小豚の住処になっているかもしれない。
数が多ければ、いくら武装しているとはいえ、簡単に死ねるだろう。
そんな危険をおかしてでも、俺たちは働かなくてはならないのだ。
俺はタクシーの運転手が管理区域の方向に走っていったのを見て、道路の脇にある森の中の小道を進む。
10分ほど歩くと、鉱山が見えた。
俺はバッグから水の入ったペットポトルを取り出し少しだけ飲むと、再びバッグのなかに入れ、今度はツルハシを取り出した。
俺はゴクリと唾を飲み込むと、鉱山の中へ足を踏み入れた。