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払雲花伝《花咲かす鬼王、連理の枝を成すまで》  作者: 讀翁久乃
✥ 第一鐘 ――――――――――――――――――――――
9/53

◍ 鶴頭の渡し


「――やや、珍しいのが来たな」


 煙管キセルを咥えているへの字の口で、その船頭は独り言のように言った。

 空が見えないわけではないが、周囲は薄暗い。良くそよぐはずの竹に囲まれているというのに、不自然なほどしんとしている。

 時おり、魚のはねる水音や、大鳥の羽音がするくらいで、他に動物の気配はない。

 鳥の正体は真鶴マナヅルである。翼が青灰色で、頭ではなく目の周りが赤い。そいつらの憩いの場となっている池の岸に、四人乗れれば上等な小型の帆船を横付けしてある。その中に腰掛けていた。


 初めて見るものは、池に帆掛け舟というこの光景を不思議がる。



「あんた、何処にも行かないんじゃなかったのかい」


 やってきた皐月が旅姿であるため、越境を求めてきたことはすぐに分かったが、以前、暇つぶしの世間話に付き合わされた際、あまり外を出歩けない身の上だと聞かされた。だから、ろくに働きもせず、家に引きこもっていると。

 ただ話し相手になるだけで、酒や煙草をくれるのは少々腑に落ちないと怪しんではいた。

 角笠つのがさを目深にかぶった船頭は、面白そうに迎える。

 皐月もあいさつ代わりか、口端をつり上げた。


「貢物の効力が発揮されるべき時が来たんだよ」


「ほらほら。な? 思ってた通り。タダほど高いものはねぇってな。まぁ、俺も分かってて受け取っちまったんだから、仕方ないね」


「いきなり刀の切っ先向けられて脅されるよりマシだろ」


「ふん。これだから善人に成りすました鬼ってのは、端から悪ぶってる奴よりタチが悪いのよ」


 船頭は言葉とは裏腹に、好感を抱いていることが分かるよう、やにで黄ばんだ歯を見せて笑った。老いぼれだって、撃退できないわけじゃない。でも、懐柔された立場じゃ無視すらできない。


「あんた、なんにしろタダじゃ済まさない人だね。逆らったら痛い目に遭いそうだ。乗りな。ちなみに俺は、東から南にしか越境させてやれねぇがぁ…」


「分かってる。行先は華瓊楽カヌラ国。なるべく王都に近い界口に出してくれ」


「あいよ」


 皐月は船に乗り込みながら――、船頭の老爺は大儀そうに腰を上げながら答えた。



     |

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鶴頭かくず――、あんたは越境先からその異能を得て帰った時、すっかり変わり果てた故郷の様子や、誰も自分のことを知らない人間たちに接して……、何を思った? 残されたものは、その化粧箱だけだろ」


 東扶桑ひがしふそう南壽星巉みなみじゅせいざんの間には、裏渡師が複数人存在する。

 船頭――浦鶴頭ホ・かくずは指摘された漆塗りの箱を開けた。螺鈿細工が施された美しいその中には、老爺に不釣り合いな化粧道具の他、釣り針、てぐす、喫煙の道具までごちゃごちゃに納めてある。

 そぐわないものは他にもあり、傍らには飾り房付きの赤い組紐を巻いた苧環おだまきを置いている。



「そうさぁねぇ。お陰で、他人様の縁を繋ぎ止められる仙界の渡師にゃなれたがぁ……、むしろ随分な代償を支払わされた気分だったよ。考えてみりゃあ意図せぬ越境だったとはいえ、ことわりを無視して何事も無かったように還れるわけがなかったんだ。どうしたって、何かしらのひずみは生まれる。一種の罰として必要だったと、そう解釈する外なかったが、あんたはどう思う」


 皐月は舟のへりに頬杖をついた。


「さあ。この世には、白黒曖昧なことが沢山あるから」


「まったくだ。こりゃあ、俺の航海術が認められた証。南との貿易に一役買った勲章みたいなもんさ。あっちでそういう立ち回り方をしなきゃ、俺はただの不法海入異民で終わってたね。この化粧箱を褒美にもらえたから、今もこうして生きていられる。常世だった盤臺峰ばんだいほうの岩石を含んだ、この白粉のお陰でな……」



 神代崩壊後、四つの圏で再生した世界地盤の狭間には、解霊トケビが渦巻くようになった。元来は八雲原やくもばらによって下界に封じられていた瘴気を含む陰の力で、盤臺峰という雲上にいる限り、神々がこれに触れ、年を取ることはなかった。



「〝ときで化ける霊〟とも書く。今や、俺らみたいな縁結びの脈持みゃくじじゃなきゃ、この時化しけを避けた越境はできない。創造神並みに生命力が強い産霊神ムスビがみでも、単身じゃ無事では済まないのが普通だからねぇ」



 語尾に力を込め、鶴頭は苧環おだまきから引き出した赤い組紐を放った。と、同時に、とりわけ大きな真鶴が風として翔け抜け、それを咥え取った。

 鶴頭はすかさず、組紐を帆船の舳先に結び付ける。舟が真鶴に引かれて動きはじめるや、煙管をふかし、化粧箱の中の白粉に紫煙を吹き付けた。


 見る見る紫煙が増殖し、沸き立つ雲霧に化けていく。

 舟がそこから抜け出た時には、景色が一変していた。左右には切り立った崖と瀑布。眼下には雄大な石柱群。その岩肌に松の木がしがみついている。落差が天から地ほどあり、



「やあ! 今日も絶景だねぇ…!」


 鶴頭の高揚した声が反響した。


 滝のしぶきが、崖から枝垂れている花枝の御簾を吹き上げている。

 白い大輪の花だ。東扶桑巉ひがしふそうざんの象徴とされている仏桑花ぶっそうげ。長く突き出ている花芯の付け根が赤く、青々とした葉は桑に似ている。


 小さな帆船が、そんな花の咲きそろう大渓谷の中で、黄褐色の帆をぱっと張った。

 大真鶴おおまなづるに導かれ、谷底の海原へゆっくりと降下していく段階に入ると、いくらか落ち着いて、鶴頭は再び話し始めた。



「――ところであんた、一体何者なんだい。斎竹池さいちくいけに棲む中でも、あの鶴は滅多に反応しない化け物級だ。片翼だけでも一尺はある」


「〝類は共を呼ぶ〟……とだけ言っておこうかな」


「ようするに、同じ化け物だってか。俺と同じで、年取らない体か――?」


 肩越しに顔を見せた鶴頭は、よく日焼けした健康的な青年になっていた。かじを操る手にも、声にも、瑞々しさと張りが蘇っている。

 皐月は頬杖の陰で口端をつり上げた。


「上質な常磐と水源を保有する里に暮らしてはきたけど、三年に一度は時化霊トケビの影響を受ける。〝真秀場まほろば〟と言われるほどの土地じゃない。俺はそれなりに時を刻む体だよ」


「そうかい。それじゃ、せいぜい舟から振り落とされねぇよう気ぃ付けな」


 後方には二体の老松が連理の枝で成した円洞門があり、舟はそこから抜け出てきたと分かる。しばらくすると枝が勝手にうねって、それぞれ左右の懸崖に根差しているだけの、単なる松の巨木に戻った。


 鶴頭は前方に向き直った。


「各世界樹の根が届かないところは解霊トケビの底なし沼よ。地盤があるようで無い。あの漆黒下海に落ちたら、さすがの俺も助けられねぇかんな」


 鶴頭が言う海は反射する光がないせいか、海面が分からず、大真鶴の翼の下に暗黒として広がっている。

 皐月は同じような色の瞳で、迫ってくるそれをただ見つめていた。



 ◇   ◆   ◇



2022/08/14 投稿

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