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払雲花伝《花咲かす鬼王、連理の枝を成すまで》  作者: 讀翁久乃
✥ 第一鐘 ――――――――――――――――――――――
8/53

◍ 急展開 行ってきますとお留守番命令


 引きずってこられたのは、井戸がある小さな中庭。祭祀の道具や衣装やら、文献やらが納まっている分厚い白壁の蔵もある。

 ぐるりと巡っている縁の下で、軍鶏シャモが餌を突いている。

 一角に青々とした棕櫚竹しゅろちくが植わっていて、奉里は簾が垂らされているその影に座らされた。


「まさか、付いて来ようとか考えてないよな、お前」


「まさか置いてきぼりっ!?」


「当たり前だろ。玄じいを一人にする気か?」


「おじいちゃんなら大丈夫。水師様の祠からもうすぐ帰ってくるはずだから、そしたら事情を説明して、お母さんのところに…」


「一人娘を奪ったおじさんのことが未だに気に入らないから、年寄りが意地張って別居にこだわってきたんだろうが」


 皐月は半眼で続ける。


「俺もおじさんに恨まれたくない。変なことに巻き込んだら、嫁に貰わなくても殺される。ってわけで、お前は付いてくるな」


「だって! それじゃあ皐月は一人で大丈夫なの!? 大の方向音痴でしょ!?」


「……。」


 大國だいごくとて、長く屋敷を空けられる立場ではないはず。滅多に来ないお客の部類ではないが、彼は近所に住んでいるわけでもない。うてなから、わざわざ越境して来るのだ。


南壽星巉みなみじゅせいざんってことは、同じように界境を超えなきゃ華瓊楽カヌラ国には行けないでしょっ? 自分の国にも還れないのに、お兄さんのところまで、ちゃんとたどり着けるのっ?」


「三歳児じゃないんだから大丈夫だよ。それに、俺が一人で萼に還れないのは、迷子になりやすいこととは関係ない」


「うそッ!」


 まぁ……、正直嘘とも言い切れない事情のためなので、皐月は一瞬押し黙らされた。


「越境の難易度や所要時間は、導き手の腕次第で随分と変わる。萼は距離を短縮できる便利な移動呪物だって持ってる。それに、素人でも確実に行きつける特別な渡航方法があるんだ。大天屏峪だいてんびょうこくにも、渡師わたしがいるだろう――?」


 そうした人物に頼れば、子どもでも気軽に往来できる。


「すぐ帰ってこれると思う。先方に追い返される可能性もあるから」


「そう、なの――?」


 実のお兄さんなのに?


「……まぁ、なんにせよ、色々とあるんだよ。じゃあな」


 諭すように言って立ち上がろうとする袖を、気が付くと引っ張っていた。

 何故かは分からない。うまく言い表せない。


「あ…、あの、ごめん。でも、えと……」


 奉里が幼子のように口ごもっていると、



「っ――……?」



 ふいに手を伸ばされ、額に口づけをされた。

 その数泊の間だけ時が止まり、目に入る光が増した気がした。

 解放されると同時に前髪の上から眉間を押さえ、奉里は赤い顔のまま呆然とした。

 今度こそ立ち上がった皐月が行ってしまうのに、顔はおろか、背中も見れず、ただ足音が遠のいていくのを聞いているしかなかった。






 ◍【 祖父 】



 八曽木の里は山の斜面にある。所々に幟がはためく櫓が突き出、猛獣の侵入を防ぐため、廓が棚田状に連なっている。

 人家の天辺にある山堂守の屋敷のさらに上に水源があり、その間に祭祀用の動植物を育てている田畑や飼育小屋があった。


「玄静さん、皐月の奴が話があるって来てるよ」


「あ――?」


 白髪頭の老父は声をかけてきた農夫の向こうに見えるあぜ道に、それらしき姿を認めた。

 だが、本当に皐月か? と疑ったのは、編み笠に薄紗を巡らせた帷帽をかぶり、墨染めの衣を着ていたからだ。


「どうした」


 泥の中を歩み寄り、田から上がろうとするが、年寄りの力では足が抜けない。

 皐月は手を貸しながら答えた。


「ちょっと出かけてくる」


「出かけてくるって……、そんな回国する方士みたいな格好までして、どこに行くつもりじゃ。これから祭祀があるんじゃぞ? 何もせんで見てくれておるだけで良い。花人のお前がいるお陰で、この里の豊穣は約束されてきたような気がする」


 末広がりの棚田を見晴るかしながら、風に吹かれている年老いた背に、皐月は苦笑した。


按主アヌスじゃない俺に、そこまでの力はないよ。ただ、随分昔に預かりものをした件で、華瓊楽国に行かなきゃならなくなった」


「ほぉ、そうか。……か、かか、華瓊楽国っ!?」


 玄静は舌を噛みながら、唾を飛ばしてきた。


「そういうわけだけど、奉里はちゃんと置いていくから大丈夫。っていうか、こっそり後を追いかけてこないように、見張っててほしいんだ。世話焼きな上に心配性で困る」


「まぁ、あやつの長所であり、短所なのは確かじゃな。今ではお前の方が大きいが、奉里に言わせれば、中身は手のかかる小さな弟のまま。外出自体、滅多になかろ。当然と思ってやれ」


 玄静は水路の水で手を洗い、腰元の手ぬぐいで水滴を念入りに拭き取った。

 そして、首から下げていた懐の物を取り出した。


「ほれ。どんな事情か知らんが、あえて詳しくは聞かんことにする。その代わり、これを持って行くんじゃ」


 堂守屋敷の庭にあるなぎの葉で作った護符。二寸ほどの木板に当て、奉里が呪字を書いた半紙に包まれている。


「――……」


 まじまじと見つめることなど、最近はなかった。初めて見せられた時以来かもしれない。皐月は思い出し笑いをこぼした。


「字が力強すぎ。もう少し優美に書く練習したほうがいいって言っといて」


「ミミズ字のお前に言われたくないと思うぞ」


 苦笑する玄静に、受け取った護符を軽く振って見せながら、皐月はあぜ道を旅路に変えて踏み出した。






 ◍【 産霊ムスビ解霊トケビ



 かつて一つの大山であった世界は、神代と共に崩壊後、四つの圏に分かれ、島状に再生した。

 崩壊のきっかけは、天と地の関守を担っていた龍王の乱心。

 龍王は八雲原やくもばらという雲中に棲み、下界に光が差すことや、清浄界の天に、地の不浄が侵入することを防いでいた。

 その頃の世界は、雲上雲下の生まれによって善と悪がはっきりしていたが、龍族は唯一、陰陽が混ざり合うところにいた。

 そして、ある悪神が囁いたのだという。〝我らが力を合わせれば、すべては自由を得る〟と。

 そいつの本体は、神代世界の地盤を支えていた、巨大な花木であったと――


「若」


 皐月は我に返った。

 八曽木里にとって水源と同じくらい重要な場所、東の竹林に、注連縄が施された大岩がある。

 その陰に隠れていると言った通り、彼が顔をのぞかせたため、大國は支持された物を持って歩み寄った。

 いや、実際には支持された以上の物であった。


「華瓊楽国の地図、あと、生息している妖魔のことが分かる地理書が数冊。ご所望の暗器の他にも拘束具とか、爆呪符とか、治癒呪符、それから~…」


 着替え三着とおやつ。


「……。何故おやつ?」


「ただのおやつじゃありませんぞ? 兵糧並みに日持ちする上、一口で五穀一升分の栄養と、柏の葉の殺菌力まで…」


「ああ分かった、もういい、ありがと」


「ではお包みしますね!」と、大國は背負ってきた唐櫃の全中身を、蓮の葉のようなもので梱包する。紐状の拘束呪具の一種で一締め、さらに別方向からもう一締めすると、元の大きさの半分以下になった。


「これは常に携帯してください」


 皐月は渡されたそれを目の高さに持ち上げ、大量のお守り袋のようだと、半眼で見つめる。普通、この手のものを腰に下げても、二つ三つだというのに……。


「邪魔くさいよ」

 

「では、着替えなどには解術げじゅつを掛けますが、再生の仕方はお忘れでないでしょうな。いや、それよりも霊応が足りないとか…」


「さすがにそれくらいの物を復元する産霊ムスビの力は、南壽星巉の世界樹を養っていてもひねり出せないことはない」


「左様ですか。いや、随分と長いこと、人間同然の生活を強いられていましたからな。身体能力だけでなく、霊応まで鈍っていた日にはお手上げですぞ? 本当に一人で大丈夫ですか」


 大國が携帯の必要がない荷物に手を当てると、その下から、カミキリムシのような無数の影が這い出てくる。

 解霊トケビの術の一種で、荷物をあっという間に食い尽くした。

 これに産霊ムスビという真逆の力を吸わせれば、ちょうど磁石に砂鉄が集まるのと同じように、消化した物を固結し、復活させる。


「とりあえず、今回は行って帰ってくるだけ。現状把握に留めてください? くれぐれも無茶はいたしませんよう…」


 背中を押した本人ながら、幼少期より世話を焼いてきた配下の一人である大國は心配でならない。正直、皐月がこんなにもすんなりと腰を上げるとは思っていなかった。彼が歩き出すのを目で追って、ついつい続いてしまいそうになる。


 皐月は制するように、肩越しに薄く笑った。


「そんなに念を押さなくても分かってるよ。あくまで俺は、〝この世に在るはずのない存在〟――。壁に耳あり障子に目あり。牛の物言う世の中だからね、気をつける」


「それを言うなら〝石〟でございますな」


「じゃ行ってくる」


 スタスタ歩き出した背中が逃亡者のようで、大國はやれやれと肩をすくめた。



2022/08/14 投稿

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