◍ 連理の枝と、砂漠化の国に差し迫るもの
「――大國、本題はそんなくだらない話じゃないだろう。どうした」
ひとの嫁ぎ先を巡る話を、くだらないの一言で流してほしくないのだが……。
奉里は皐月の「どうした」が、訪ねてきた者の顔に貼り付いている仮面を落とさせること知っている。
案の定、明朗だった大國の顔つきも変わった。塀の外から聞こえてくる、通りすがりの里の者たちの話し声が、いつにも増して呑気に聞こえるほど険し気に――。
「彪将さまの花連部隊に与えられている猶予が、あと二年を切ります。お忘れなわけがないでしょう?」
皐月は肯定を示すようにため息を一つ、家の中から歩み出てきた。
軒先から見上げたのは椥の巨木だ。神木とされる樹木の一種で、別名を竹柏という。
竹に似た葉や、真珠のような実を、人間たちは御守りにする。〝なぎ〟が〝凪〟に通じるため、巌砥国の漁師たちは海難防止、葉が千切れにくい性質から、縁結びになると信じてきた。
彪将さま、とは――……。はて、誰であろう。不思議に思いながら、奉里も椥の巨木を見上げてみた。
自分と皐月には共通の秘密がある。それは、この木の樹冠が、他人の倍に見えていること。
〝連理の枝〟と言うらしい。元来は別の木が合わさって、さながら夫婦のように寄り添う現象だが、不可視の者が大多数である連理の枝など、普通のそれではないことは明らか。
こんなものが見える男女と知れたら、「ぜひお嫁に」どころか「もう嫁でしょ」になりかねない。
だから、二人だけの秘密にしておこうと決めたのではない。
*――もし皆に知られたら、どうなるの?
ある日、自分よりも大きくなった皐月の隣に立って、奉里は何気なく問うた。
皐月から醸される雰囲気は、ついこの間まで、五歳児の姿だったとは思えないほど重々しかった。
そして、
*――別れなきゃならなくなる……
そう告げたのだ。縁結びの木が、強力なその利益を、自分たちに対する宣託のように見せつけている木洩れ日の下で――……。
忘れていたわけではないが、あらためて思い出すと、心の底がざわざわしてくる。
強制的に嫁にされることに抗議の声上げてきたのは、本気で嫌だからではない。皐月の気持ちが分からないからだ。そもそも、自分自身の気持ちについてもよく分からない奉里は、なんとなく、椥の木を見上げているのが申し訳なくなった。
ただ、不器用でドジな彼を世話するたび、「奉里はいい嫁さんになるなぁ」と大人たちに褒められて、
*――じゃあ、奉里ねぇちゃんはオレがお嫁にしてやるよ!
*――僕だよおっ!
そう意気込んでくれるのは嬉しいが、筆をおもちゃの剣にし合う子どもたちの額を指弾して、笑いが起きて、
*――皐月~、そんなところで昼寝してる場合じゃねぇぞ
*――嫁取られちまうぞ~? はははっ
いっそ賑やかになって――、
皐月が椥の木の上で、苦い顔をする日々が、掛け替えのないものには違いない。
でも――……
彼にとっては、なんでもないのかな――。
◍【 華瓊楽国の砂漠化 】
「彪将さまから、直接訴えがあったわけではありません」
「当然だろ。あれが俺を堂々と頼れるわけがない」
「ですが、あと二年以内に例の火蛇神を仕留め、〝不毛化の惧れ〟から華瓊楽国を開放しなければ……」
「不毛化……?」
今まさに、田植え祭祀の準備に追われている奉里には聞き捨てならなず、我に返った。
「炎天――南壽星巉の中央に位置する華瓊楽国で、八年前に起こった大旱魃をきっかけとする天災です」
いや、正確には大飢饉に拍車をかけたその後の蝗害を含め、人災――。
人為的に引き起こされた、一国の被害に留まらない、一世界規模の破壊行為。
大國が口惜しげに舌打ちする。
想像以上にとんでもない話じゃないか。奉里は持ち前の正義感が発火する感覚を覚えた。
「すべてを作為的と括るのは、語弊があるだろ。先王は竜氏でなかったとはいえ、暗君でもなかった。ただ力が及ばなかった。破軍星神府からはそう聞いている」
いつ聞いたのだ。と、突っ込みたい奉里であったが、知っているようで知らない用語のほうが気になった。
「〝破軍〟って、あの……長槍を持ってる……?」
「おや、ご存じですか? さすが若のお嫁様候補。星神府の傘下にある鉄槌神には色々とおりますが、金槌というよりも、長槍に見えるものを携えていたのだとすれば、それはおそらく陵鳥神の一族でしょう」
破軍を担う神々は、文字通りの天罰として、空からある種の鉄槌を降らせる。
「雨が降ろうが槍が降ろうが、星が降ろうが――。その時、地上で虐げられていた人々は、黙って勝利を祈る外ないでしょうな。かつて〝天兵〟と称された神孫の猛攻撃は、大地の原型をも失わせる」
「す……、すごい次元なんですね」
奉里に知識を与え、共有、共感しようとするところに、大國は微塵の躊躇いも見せない。
手渡されたお茶に礼を言いつつ、話を元に戻した。
「神代崩壊直後の千年大戦並みになるとは、さすがに想像しておりませんが、何一つ失わずに済むはずがない。国の存亡が掛かった状況なだけあります。当代、華瓊楽国の王座に就いている竜氏は、建国初期に匹敵する本物で間違いございません」
そこに、我らが萼の双璧と仰いでおりました、若のお兄様が部隊を率い、対処に向かわされたのです。
「お兄さんいたのっ!?」
「……。大國、喋りすぎだぞ」
「すみません」
笑って言うからに、全然悪いと思っていない。大國はまた一口、冷たいお茶でのどを潤す。
「奉里さまの淹れるお茶も絶品ですが、清鞏の蓮茶の味も他にないでしょう」
彪将さまが還らなければ、絶える味。どちらも捨てがたいのは分かっている。いい加減、その重い腰をあげたらどうだ。
大國は紅玉色の瞳を真剣のように研ぎ澄まして、止めの一言を添えた。
「あなたがいつまでも、南壽星巉の世界樹を肩代わりしているわけにもいきますまい」
え……? 奉里の思考は、その言葉の意味を捉えかねて固まった。また一つ、とんでもないことを知らされた気がする。
「南には南の、妥当な〝天壇按主〟が就くべきです」
まずは彪将さまと和解を。
そして、例の〝裏切り者〟についての真実を。
華瓊楽国の砂漠化危機を終息させるのは、複雑な事情が絡み合い過ぎていて、一筋縄ではいかない。だが、時は待ってくれないのだ。
「これをご自身の軌道修正を図る、第一歩とするのがよろしいかと――」
北極星は動かない星であるため、船乗りや迷い人が方角を知る道標となる。
その性質から民を導く〝王〟に例えられ、悪しき者を裁く務めを帯び、ひとの寿命、兵乱、すべてを司るとされる。
ゆえに、神代崩壊後の無秩序な新世界で取り決めがなされ、そうした役割を担う九天九地、各世界各国の裁きを司る者たちはこの星を背負うことを誓った。
北極星とそれを守るかのように位置する破軍星――剣先星と相対せば勝機はない、はずなのだが……。
その綺羅星の如き精鋭たちの代表格と信頼されていた兄の帰還が、いよいよ危ぶまれている。
「――……分かった」
とりあえず、あいつの情けない顔を拝んでやるとしよう。
「え? えっ? ちょ、ちょっと!」
我がことのように色々と考え込んでいた奉里の腕を取り、皐月は家の奥へ引っ張っていった。
2022/08/14 投稿