◍ 城隍神廟での会議
※【塵】の場面の使い回しがあります。
―― 九月二十九日・午二つ時(同刻) ――
王都、李彌殷。
この時はまだ、数日後に襲い来るものの影も形もなく、見事な晴天に鳩の群れが飛び立っていた。
山脈に囲まれた広大な盆地の北に、白雲を巻く〝寿星台閣〟※【 中央神議臺。神々の話し合いに使われる施設の国内最高機関 】が聳え立ち、その足元に様々な市街が広がっている。
一応、各異人街を中心として区画されているが、上だろうと下だろうと拡張できる限り広がり続けているので、近年はとりわけ混沌……。
「いくら難民受け入れのためとはいえ、重層化が著しくて、息が詰まりそうじゃわい」
「王様には、年寄りの足腰のことも考えてもらわんとな」
見上げた頭上では、大きく張り出した廟堂の軒先に、赤紫の幕が波打っている。風が爽やかだ。境内の木々の間を香が漂い、誰かが暇つぶしに奏でている二胡の音も、人を集めるほどの腕前で耳に心地よい。なんだかんだ、文句なく平穏である。表面上は――。
境内を出ると、そこは主に、農民らの売り物――青果や鶏、草鞋などが並ぶ庶民向け市場だ。
裏手は積四街商圏と呼ばれる問屋街で、絹織物や高級茶葉など、貿易品に近いものが扱われている。二つの通りに面したここは、〝城隍神廟〟という。
城隍神とは元来、人間の営みを守る水濠と城郭が神格化された農耕の神であった。時代が移り変わるにつれ、都城内に住む人々の守り神という性格が過大解釈され、賞罰まで司るようになり、街中にいる閻魔様のような存在となった。
今や些細な日常の悩み相談から、京衛武官らの安全祈願、異国の神仏の拠り所まで担っているわけだが、都城隍の場合は各土地公の統括も大事な務め。土地公らは自領の問題を逐一報告し、しかるべき対応を求める――。
「そういえば、最近〝妙な地鳴りを聞く〟と、信徒らが不安がっておってな……」
李彌殷の目と鼻の先にある路盧県土地公、護坤が話題を変えた。
「おいおい、よしてくれ。こっちは鬼怖木枯らしの被害に遭って、ただでさえ頭を抱えておるというのに」
傍らの岩治が恨めし気に睨む。この上、胃が痛くなるような話を耳に入れないで欲しい。
「だが、物事の根幹は水面下、あるいは地下深くにあって、繋がっていないとも限らん。我らとて、そういう輩であろう――?」
お堂に集まり、茶を飲み交わすだけの老人会にしては、不穏な空気が漂い、真剣な会話が続く。
「樹木の急激な変異報告は、畝潤で五件目となったわけか」
「申し訳ない。しかしうちの場合は、かの世界樹の挿し木。その辺の鬼門を守っている天然の霊木と違って、常にわしと畝潤鎮帥が見張っておったのです。不審者を寄せ付けた覚えはない。まさか、鬼怖木枯らしに遭っているとは思わず……」
「まぁ、致し方なかろう。誰も、〝孫生〟が村の外に出ているだなんて想像もせんからな。むしろ、気づいた奴が目ざとい……」 ※【 孫生:樹木の本体近くに生え出る若芽。主幹への養分を奪うため、見つけ次第、伐ったほうが良い場合もあるが、代替わりさせるなら、むしろこちらを育てる 】
「誰かが人知れず、〝例の薬〟を撒いたんでですって――?」
こそこそと隣同士で現状を確認し合い、分析がはじまった。
「なるほど。挿し木の根は浅い。地表に撒かれた養分を、雨水と共に吸収するのも容易だ。自ずとそちらに伸びて行き、孫生が生え出たというわけか……」
「その孫生のせいで、本体が弱り始めたのね。相生も均衡が大切。それに、強烈な肥料は反って木を傷めるし……」※【 相生:幹が二股に別れて共に育つこと。連理木と同義 】
それぞれが、それぞれに一通り見解を共有したところで、護坤が咳払いをした。護坤は山神で、胸毛までたくましい見た目の上、声がでかい。音頭を取るのに向いている。都城隍――康狐仙が不在の間は、取りまとめ役の自分がしっかりせねば、と心中で自分に言い聞かせ、口を開いた。
「よいか皆の者。燦寿様の元宿地の方で起こっている山岳民族の連続惨殺事件――、これも当初は夜盗の仕業と考えられていたが、同じ〝例の薬〟が原因ではないかという見方が濃厚になってきておる」
砂漠化で長年親しんだ宿地を失ったもの同士、一丸となって生き残った城邑を守ってきた我々には、他人事で済む話などない。
「亘樹宮地方の山岳には、茶万村聚がある――」
護坤と同じく、路盧県に身を寄せる土地公であり、共同で按主を務めている慧珂が言い添えた。慧可の元宿地も山岳であった。太鼓を打ち鳴らして踊り、花を咲かせる美貌の花姑※【花神】として祭られていた日々は、今でも掛け替えがないもの。
「茶万村長の息子が、砂漠化と飢餓を食い止めるため、知恵を貸しに李彌殷まで来てくれたが、知っての通り、あれは七年前の暴動で亡くなった。悔やんでも悔やみきれん。茶万はようやく立ち直ったばかりだ。燦寿様もさぞ、心配していることだろう」
「む――? そういえば、燦寿様はどうした?」
「ああ、気を紛らわせたいのか、表の方槊街で、いつも通り果物を売っておられる」
◍【 太隠は市に隠る 】
黒い小さな柿のような “山竹果”
イガイガしている瓜に似た黄緑の “波羅蜜”
赤い鈴が連なったような “水蓮霧” に
黄金のライチのような “龍眼” ―――
―― * * * ――
南城市・方槊街で、范燦寿ご老体は葦簀の下、この日も福六寿の置物のように、無言で色とりどりの果物に埋もれていた。
たわいのない会話をし、行き交う人々の弾ける笑顔を、ただ道端の地蔵同然に細い目で見守り、のほほんと過ごす。それが日課であって趣味なのである。
陶器を売り物にしている隣の少年が、ふいに
「生きてんのか? じいさん……」と、あきれた風情で話しけてきた。
「ふぉっホっホ。飽きなんぞくるものか。川の流れと同じじゃよ。昨日と同じ水のようで、同じ水ではない。それが諸行無常と言うもの」
「なんの話してんだよ……。こっちは、 “生きてんのか” って聞いたんだぞ?」
「む? どこへ行きたいじゃと?」
「~~~……。」
不思議そうな顔を向けられた少年は、品物を前に膝を抱えたまま、長い沈黙を返した。
非凡な隠者は山野に隠れず、かえって、市中の俗世間の中に、超然と暮らしているものだというが……、これでは話相手にもならない。暇つぶしにと思ったのに。
どうせ聞こえていないのなら、嫌味でも言ってやろうか。そう思いながらも、今ひとつ気乗りせずにうつむく。
つま先には、いつの間にか黒蟻の行列ができていた。
少年はそれをじっと見つめる。
自分は物見遊山で訪れた客にしか寄り付かれないため、悔しいことに、ただ座っているだけでも、燦寿の店のほうがまだ売れ行きがいい。
その上、ここ数年の著しい治安悪化が原因で、観光客はいないわけではないにしろ、めっきり減った。
それでも今は、暴動で死んだ父親が残したものを、意地でも売るしかないのだ――……。
「俺も……じいさんみたいにヨボヨボになるまで、こんな胡散臭せぇ骨董売りを続けるしかねぇのかな」
少年が膝頭につぶやいた独り言を、燦寿はちゃんと聞いていた。
少年の父親は快活で口が巧く、二人そろえば鬼に金棒とでもいうように、傍から見ても仲の良い親子であった。
思いだされてくるにつれ、燦寿の眉もしょんぼりと下がってきた。
「なんじゃい。らしくないのお。骨董なんぞ売り物にしてるくせに、ワシや周りの大人より、よっぽど商売上手じゃろうに」
亡くなった親父殿も、ここの商人たちも――……
「見ている者は、見てくれとる。自分にできる精一杯のことをして終えるのなら、今日のような日とて上出来じゃ」
「――……、そうかなぁ」
「そおじゃとも」
燦寿はもともと垂れている眦でさらに弧を描き、柔和に笑いかけた。
その口元を覆う真っ白な長いひげが、葦簀の隙間から差す日差しに透けて、なんだか不思議な存在感を放っているように見える。
ふと、我に返った少年の視界の隅に、見覚えのある顔が――
「じいさん」
あらぬ方をじっと見据える彼に、燦寿は「む?」と片眉をつりあげた。
同じ方へ視線を向けると、少年が何を言いたいのかは、すぐに理解できた。
だが、燦寿は怪しげなものを見定める目で、しばらく黙した――。




