◍ お嫁においで
山堂守の孫娘――、奉里は牙を剥いた。
こっちは祭祀に使うお札を増産しなければならないというのに、まったく、どいつもこいつも嫌がらせか。
「識字率自体が低い田舎で、この役目を担えるのは堂守りだけなんですッ。今、忙しいんですうっッ!」
そう訴える足元に落ちていた小枝が踏み折られ、訪ねてきた花人――鬼薊大國は我が事のように痛い顔をした。
「奥方様、とりあえず落ち着いて…」
「だから、奥方じゃないって何度言ったら分かるんですか!」
「あなたはこれまでの人生の半分近くを、我らが大樹大花のお世話に捧げてくださった。まだ十六とはいえ、ここも萼と同じく、半ば仙境。初笄【女の成人式】からすでに、十二年が経っておりますでしょう。萼は今、祭祀を司る常葉臣不足。あなたが若の奥方、ひいては奥王妃になって下されば、一石二鳥、三鳥と、これまで停滞していた物事が万事上手く巡りだすのです」
皐月に「若っッ!」と呼びかけたのは大國だ。一向に振り向いてくれないので、しびれを切らしたためだった。
「いいですか? 奉里さま。花人に嫁ぐということは、今はもう、生贄になることとは違う。我らは人と大差ありませんよ!? ほら!」
両腕を広げて見せる大國は、確かに僧侶のような恰好の快活な中年禿オヤジだ。ただ、右手の上腕に刺青のような花模様の痣があり、ジャラジャラいうほど装飾品をつけている。数珠に似ているが、おそらく宝石の類。
「襲ったりもしませんぞ?」
「ええ、ええッ。現に皐月は、泥棒にすら牙剥いたことないですからねぇッ」
茶を出してもてなしていたため、「お客さん?」と尋ねたら「盗人」とそういうわけで、奉里は唖然とした日のことを思い出した。
〝花人〟とて本性は鬼。彼らは由緒正しき原初夜叉族とされているのに、それも当代では信じられないほど人間に馴染んでいる。中には、番犬にもならないダメ鬼もいるのだから衝撃。
一方、萼という軍事国家を持っているため、萼国夜叉とも呼ばれる。
夜叉という鬼族は水と聖樹を奉りながら、人間に禍福をもたらすのが特徴だ。普段は森に棲み、夜になると鬼本来の力を発揮する。
〝花人〟という呼称は、萼で人間と共存してきた彼らの王家を中心とする勢力――通称、東天花輩のみが名乗っており、過去に袂を分かつこととなった反勢力は野放し状態で、山野に潜む魑魅魍魎と変わらないそうだ。
皐月は後者――ではなく、その東天花輩を背負っていく花人だというから、驚きこそしたものの、奉里が疑わしく思うことはなかった。
人間よりも遥かに禁欲的で善良。懸崖に咲ける草花の如く、雨にも風にも、喉の渇きにさえも耐えてみせる。
ちょっとやそっとのことでは激怒しない。確かにそういう性格だと、共に過ごしてきたこの十年間の記憶が証明している。
「お前は俺以上に牙剥いてきたし、角も生やしてきたけどね」
「あんたのせいでしょうがッ」
部屋の中からボソっと聞こえた呟きに、奉里はガオウッと吠えて返した。
「おお~、さすがですな。やはり奉里さまは、理想の鬼嫁になられる素質がおありだ~」
「全然嬉しくないんですけどッ!?」
「ではでは、ひとまず〝お世話係〟ならどうです?」
「お世話係?」
「ええ、常葉臣は萼の神官、兼、史官。普段は王宮の様々な役割を司る各壺に属し、花神子や鎮樹王将たちに仕える官人でもあるのです。更衣という役割がございましてな――、そうなると、衣服のことを司る紅葉壺などどうでしょう。宮中祭祀にも関係がありますし…」
ねぇ、若。
「――……」
皐月は珍しく重い沈黙を置いた。
そうして、雲行きが怪しくなってきた頃、ようやく大儀そうに上体を起こした。
【 初笄 】
髪上げ。裳着。
初潮を迎える12~14歳頃行われた通過儀礼。
婚期が来たことを周囲に知らせる目的があった。
2022/08/14 投稿